▼懸念




1995年。

神代家、離れ。


自分の目と、自分の周囲の人間の目が幻視できないという奇妙な事実を知ったあと、昼子はより正確な数字を求めた。 美耶子に協力してもらい、実験を繰り返し、判明したのは、昼子の目は何時いかなる時でも。 幻視ができなくなる周囲の人間の範囲は、だいたい自分の立つ場所から半径120pほどの範囲であり、 その場所にいる人間を幻視しようとすると、視界が真っ暗になり、同時に無音になるということだった。

なぜ、そのようなことができるのかは知りようがなかったが、自分の産まれの奇妙さを考えれば、 納得できるような気がしたし、その“できない”という事実だけわかれば、まず、昼子にはどうでもよかった。

調査の最後に、昼子は敢えてある人物の目に触れるような行動と発言をして、その人物の動向を伺い確かめることにした。 確かめている間、小屋のなかで美耶子に差し入れて貰った紙と鉛筆を使い、書いた文を30分ごと事あるごとに眺める。



「私は 堕辰子 の 呪い の 解き方 を 知っている」



もし、昼子の言動を怪しみ、幻視をして、それが成功していたのならば、その人物から何かしらの接触があったはずだろう。 しかし、何週間か続けてみたが、なんの接触も見られず、裏付けの結果は、恐らくできない、というものになった。

その期間、昼子の目を幻視しなかったという可能性もあるが、その可能性ですら、その人物にとって昼子は、 奇妙な言動をしていたところで取るに足らず、どうでもいい存在だと考えているという意味だ。 それはそれで、大きな隙になるはずだ。


“自分の目は、恐らく誰にも盗むことはできない”


それは、幻視という異能の発端である化物。強いてはその化物のために村を支配している黒幕に、 自分が思い描いている計画を簡単に覗かれることがない、ということだ。







昼子の強みは、3つあった。
幻視されない自分の目と、決定的な出来事がなければ儀式の日まで約束されている自分の命の立場と、 失敗した儀式のあとの異界で起こるできごとを、詳細に、最後まで、“知っている”ということだ。 そして、その強みを生かし、絶望への反逆を誓い、計画を練った時、 懸念したのは、“この世界が一体何周目にあたるのか?”ということだった。



昼子の有する知識によると、異界という舞台に立たされた時、“人間”として意識を有する人物は17名。 その17名の内、もっとも“正しく”事が運んだならば、1名のみ現世へ戻るが、 異界の時間は捩れ、終りのない、終点と始点が交わるループの世界となる。 この世界は、何度も何度も同じ時間軸をめぐり、再生を繰り返していたはずなのだ。

その時間の間で、違うものといえば、17名の彼らが、いったいどう行動するかによる。

それぞれの行動と結果は複雑に関係し合い、一人が扉を開けなければ、次にその地を訪れる人物が行動を起こせず、 “正しく”事は進まなくなる。そうなると、一体、どうなるのかは予測がつかない。 最終的に最後の一名の脱出が叶わず、世界は終わりを告げ、再び、ループの最初に戻るのかもしれない。



昼子が恐ろしいと考えたのは、“この世界がループが初期の世界なのでは?”ということだった。

昼子が思い描く、絶望への脱却は、“知っている”記憶を土台にしている。 つまり、この土台が壊れてしまってたら、計画は水の泡だ。しかも、その土台がちゃんとしたものかと問えば、 まるで、バランスゲームのように、奇跡のような噛みあわせと、超自然的な都合で成り立っている。

何度も同じ時間の幅を繰り返し再生するという、異常な世界のなかでのことだからなのか、17名の人物が起こす行動は、 時折、首をかしげるような不思議な行動をすることがある。 結果的にその意味がないとも言える行動が、未来の自分とほかの人物を救うことになるのだから、 “正しく”あるためには必要な行動なのだろう。しかし、本人が、その時点で必要な行動だと理解していることは到底ありえない。 それほどまでに、命が危険にさらされている異界という舞台でするには、脈絡がない行動なことが多く、頭が痛かった。

もし、この世界がループが始まったばかりで、彼らがその行動をとらなかったら? それにより、“正しい”場合よりもずっと早く、命が絶たれ、世界を徘徊する化物になり果ててしまっていたら?

それだけで、昼子が“知っている”記憶は、なんの意味もなくなり、計画が破綻する。 異形の化物と、人を呪う神が支配する危険な世界で、茫然とするしかなくなるのだ。




そして、懸念はまだある。
数回目のループ後でもなく、この世界が本当の始まりであった“一回目”であったなら?

この可能性は実は一番高い。今、昼子が存在している時間は、ループ以前のものであり、 繰り返している時間から飛び出たところだ なら、これから繰り返しの原因となる出来事が起こり、同じ時間の幅を行き来しだすはず。 その場合、果たして、一回目の世界で“居ないはず”の昼子が起こすアクションがこの世界にどのように影響するのか。 最悪、この村は、ただの“一回”壊滅して終わりだ。


ループが起きることもなく、ただ村が壊滅されること。 17名の人物たちが昼子の“知っている記憶”とは違った行動をして、“正しい”道筋を壊し、 昼子が計画した脱却への筋書きを根本から壊されること。 その二つを危惧して、昼子は、自分の強みを最大限生かせる道を模索した。







▼画策


1999年


調べまわっていた村の地図が完成した。
そして、村のそれぞれの土地へ移動する時間も把握すると、昼子はできたばかりの地図の複製と、用意すべき物の選択、 その荷物をどうやって、異界へと持っていくかを考え始めた。


地図の複製は、主に異界に巻き込まれる“よそ者”に配り、迷うというリスクを減らそうと思ったからだったが、 最終的にもっと枚数を増やし、村出身者にも行き渡るようにした。 考えてみれば、異界という場所は、2003年の羽生蛇村と27年前の村が混ざった場所なのだし、 17名のなかで、27年前の風景を記憶している人物は多くない。よそ者も、村出身者も、どちらにだって迷う可能性は十分にあった。

用意すべき物は、現時点で思いつく限りでは、腕時計、食糧、水、ライター、懐中電灯。

腕時計は時間を指定して進む計画に必要不可欠。また、用意する数は、なるべくなら、余分に用意して置きたい。 異界に彷徨う人物のなかで、大人は腕時計を持っている可能性は高いが、子供達が持っているかはわからない。 正確な時間が分からなくては、指示が出しにくいし、本人も不安が高まる。 懐中電灯は夜の行動の為に。これも余分に用意しておきたい。けれど、化け物に発見される可能性が高まるため注意しなければ。 食糧は、密閉性の強いものが好ましいと思われた。たとえば、災害用の非常食や、袋詰めされたレトルトなど。

そして、水。これが最も厄介だ。

あの世界では、水は、口にしてはならないものとされていた。 なぜなら、体内に入れれば入れるほど、人間は“化け物”へと近づくからだ。 異界では、羽生蛇村の水源であった眞魚川にこの事態の元凶とされている神の血潮が混じり、赤く染まり、 水道の水も当然ながら汚染されてしまっている。そして、降り注ぐ雨も赤い色であり正常な水がとても少ない。

この赤い水が、どういう原理なのか人間の体内に一定量入ると細胞を変化させ、人間を化け物にする。 また、傷から水が浸入した場合、息絶えたばかりの死体に水が浸入した場合でも変化は起きる。

化け物になると、体内にあった血液を噴出させ、人間としての意識は薄まり、 通常の人間の姿が化け物に自分と同じ血を噴出させている化け物の姿が通常の人間に見えるようになる。 そうなると、もう、言葉で言っても通じない者になったも同然に、こちらに襲いかかってくるようになる。手遅れだ。 よって、水を飲むことはできない。

しかし、人間は水を摂取しなければいけない生物だ。水があれば人間は2週間ほど、なにも食べなくとも生きられるが、 水を摂取できない状態だと5日ほどで、体温調節をする汗が出なくなり、老廃物が溜まり、全身の身体機能が障害を起こし、 命を落とす。異界内の時間は5日内でループを繰り返しているため、“正しい”場合なら、 それにより命を落とすことはないかもしれない。だが、水を飲めないことで起こる体と精神的な不調、 そしてその不調が招く、失敗は、馬鹿にできないだろう。

よって、まだ異界に飲み込まれる前のこの世界から、正常な水を持ち寄る必要がある。 簡単な方法は、ペットボトルや水筒に詰め、肌身離さず持っていることだが、ほかの荷物と合わせると、さすがに重いし、動きづらい。 異界に飲まれるまで、これらの荷物をどこかに安全に隠しておく場所が必要だ。




***



地図ができれば、あとは、決まった方針のためにとにかく考えを絞ることに時間を割いた。 昼子は思考を巡らせながら、作り上げた地図をみつめ、そこに文章を細かく書き込む。 小屋の壁に穴があき、そこから陽光がライトのように薄暗い小屋の中を照らして、その光のなかで、たどたどしく鉛筆を走らせ続ける。 自らの3つの強み、そして、持ち寄るべき物、それらを含んだ計画を行うため昼子が最終的に選択したのは、

“情報の提供”だった。

絶望への脱却の筋書きは、途中まで、“正しい”道筋である必要があり、 そこから、より安全だと思われる方向へ変えるために、昼子が介入し、 人を集めて結託を促すのが、大まかな流れになった。

あらましはこうだ。

事の始まりである2003年の8月3日、午前0時丁度、 サイレンのような音が村に鳴り響き、村は赤い水に囲まれた異界に飲みこまれる。

それから、個人差があるものの、だいたい3時間ほどで、17名の彼らは気絶から目覚め、それぞれ複雑な行動を開始する。 昼子が“知っている”ことは、いい道しるべにはなった。だが、それでも完全とは言えない。

例えば、“高遠玲子”と“四方田春海”の足取りは、初日の午前2:18に羽生蛇村小学校折部分校にいることを最初に、 なんとかその場をやり過ごしたとして、同日、23:45の刈割の廃倉庫に居るところまで、全くの不明。 また、ほかの人物達も、間間の行動がわからないところが多かった。

この世界の中では、いつ命を落とすかわからない。 だからこそ、行動が確実に分かっている早い時間を選び、昼子は素早くその人物がいる場所に向かわなくてはならないのだが、 いくら小さい村とはいえど、端から端まで結構な距離があり、 そのなかでうろつく化け物達をやり過ごしつつ、となると それぞれの人物がいる時間と場所が確実にわかっている最初のところへ向かおうとしても、 そのタイミングで全ての人間と接触するのは、昼子一人では絶対に不可能だ。

だから、なるべく人が近い範囲で集まっているタイミングを狙い、人を集めるのが無難であり、 拳銃や武器を持つ人物と戦う手段のない人物を組み合わせることで安全が増すように計らうことにした。 そして、そのためにも、実行する時間帯まで、17名の人物たちには自力で計画通りの行動で生き抜いて貰わなければならない。




そのことを踏まえた上で、昼子が注目したのは、8月3日の正午から行われる、“海送り”だ。

海送りとは、神の血によって、体を変異させた人間が、より神に近付くために、6時間ごとに村に鳴り響くサイレンに誘われ、 赤い水が満ちた村を囲む“海”に向かって進んでいくことを言い。彼らは、6時間ほど後に、神に近付いた姿で村に帰ってくる。 その帰りは“海還り”と言う。8月3日の正午に行われる海送りは後に重要となる化物達の参加する海送りであり、 正午から6時間後の海還りまでのその間、村を徘徊し鉢会う化物―――屍人の数が減る、つまり、行動がしやすい筈だ。

加えて、15名のなかで、すべての元凶である神―――堕辰子に敵対してくれる 自分と同じ目的をもってくれそうな12名の人物の行動を追った。 すると、正午12時から、18時の間にある、17時前後に、数名集まり、すれ違う場所がある。


17:54分、蛭ノ塚付近。


ここには、この異界に巻き込まれた、前田知子、安野依子、志村晃、の3名が集合し、また、海還りの時間は過ぎてしまうが、 20:41まで待機すれば竹内多聞もやってくる。そして、蛭ノ塚から続いている道から、比良坂に向かえば、 この時間にはすでに、宮田司郎、恩田理沙、牧野慶、が宮田病院に居るはずだ。 上手くいけば、この7名を短時間で集めることができる。 やはり、重要なのは、それぞれの人物たちの行動次第ということだ。






そして、だからこそ、結果的に自分の分と合わせて13枚の異界の地図を見比べながら、 昼子はそれぞれに必要だろう“情報”を書き込む。


問題は山積みだ。


幻視の実験は、ほぼ良い結果と言っていいが、もし、黒幕が幻視を行っていて、昼子の目が幻視できないこと知っている場合、 はたして、異例の否子として納得しているのか、それとも、実は警戒を強めているのか、そこが分からなかった。 持ち物の問題。隠し場所はほぼ決まったが、物資を仕入れる伝手が余計の子供である昼子にはなかった。 美耶子に頼むことも考えたが、いくらなんでも、ものがものだけに、怪しすぎる。 神の花嫁である美耶子が村を脱走しようとしていると思われては、今後に悪い影響しかないだろう。


そして、昼子が選んだ手段“情報の提供”。
地図には、異界にある羽生蛇村の全体像だけではなく、 彼らがすべき必要な行動から、屍人の位置、武器のありか、脱出のコツ、

いわゆる、
“攻略法”を明記してある。

これを村が絶望に飲み込まれる前に、異界で彷徨うはめになる“彼ら”に、 それぞれの信用を得た上で手渡さなくてはならない。





【パーソナルスペース】
他人に近付かれると不快に感じる空間のことであり、
その空間の距離は個人差はあるものの親密さによって変化する。

[個人的関係の場合]
120cm〜45cm----友人などと個人的な会話をするときなどの距離

・両方が手を伸ばせば指先が触れあうことができる距離。





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あとがき



これからに向けての長い解説の話になりました。ここまで読んで下さった方、お疲れ様です!
主人公がやろうとしていることは、簡単に言えば、アイテム持ってって、途中までゲームのシナリオを確実にクリアしつつ、 途中からキャラを集めて夢の最強パーティ組もうぜってことです。“知ってる”設定とか“幻視”が効かないとか、いろいろありますが、 設定はつくづくチートで行かせてもらいます。目標はあくまで絶望からの脱却なので。 というか、つくづくやっても不安がほとんど拭えてないのがもはや凄い。 障害は尽きませんね。

主人公がなんで知ってるのか?は、先々までぼかしつつ、本人がどう思ってるのか?は後で。


*2011.8/12 見直した結果、持ち物のうち、蝋燭→ライターに変更。
 蝋燭なら春海ちゃんに頼んどけば手に入ると気付きました。
*2012.5/9  15名から17名に。知子ちゃんの両親を追加。