▲年上
1995年。
不入谷教会。
教会から遠のいていく後ろ姿を確認すると、すぐに彼が届けた手紙を確認するためにがさがさと頼りない指先で封を切った。
広げてみると、墨が白紙をのたうちまわり、文章を作り上げている。そこには異例の双子だった神の花嫁が、
今日、判別されたとある。
それを見て、牧野は、手紙を一回目から離し、次に書かれた文字を読むべきか読まざるべきか迷った。
もし、選ばれたのが、双子の“姉”のほうであったのならば、
選ばれず“否子”となった妹に対して憐憫を感じずにはいられないだろう。
だが、だからと言って、選ばれたのが“妹”のほうであったのならば、
牧野にとって、それは自己の否定に繋がっているような気がして恐ろしかった。
牧野にとって、“双子”のうち、眞魚教が選ぶのはいつだって、年上であって欲しい、と望んでいる。
それは必然であり、そういう法則性があるのなら、教えを導く教祖として選ばれてしまった少年にとって、
自分を肯定する理由として蟠りを消化できるような気がした。だが、そうであっても罪悪感はつきまとう。
同じ存在でありながら、選ばれなかった年下の存在。その存在に対して憐れみを感じることすら、
牧野にとってただの罪である。
震える喉が細い息を吸い上げて、閉じていた手紙を広げる。再び文字をなぞっていく目線が、“妹”の文字を見つけた。
先ほど吸い上げた息がため息となって、地面に落ちた。膝から力が抜けていく。
力の抜けた四肢を支えたのは、教会に信者たちが祈るために用意されているベンチだった。
“今回”は、年下が選ばれた。
やはり、と予想もしていなかったというのに、牧野は思った。
よくない影が思考を暗くする。双子の良し悪しを決めるのは、
先に生まれた、後に生まれた、それから決定されるものではないのだ。
今回は年下が選ばれ、“自分達”の時は、たまたま年上が選別された。そこに必然性を見出すことは叶わない。
次に、追いかけてくるように羞恥と自己嫌悪が牧野を支配した。
やはり、自分ではダメだ。なぜなら、自分の救いですら、見つけられない。
なぜ、自分は、ココにいるのか。
問いかけるようにして、牧野は視線を眞魚十字に向けたが、神は答えなど用意はしてくれなかった。
私には、
私には、ほとんど他人のような、優秀な双子の弟がいる。
▲年下
「黒衣とは舞台などでつかわれる“居ない役”の者がまとう服のことです。」
「居ない役?意味わかんない」
「そういう約束事なのです。居ても居ないという約束事です」
「姿が消えるわけじゃあるまいし。騙される奴は馬鹿だ」
「そうですね」
幼い真実を適当に流しながら、測り終わった体温計を受け取り、大人と比べれば少々高めな温度を記載していくと同時に、
この子供は、馬鹿には見えない服を纏い、意気揚々と歩いている権力者に向かって、「裸だ」と、
言い放ってしまうだろうと宮田は思い、わずらわしく思った。
それを痛快だと思えないのは、宮田自身もある程度の権利を持ち、村の公然に頼って生活しているせいだろう。
だからと言って、なんでも見えてしまうまさに慧眼なこの少女が、血に塗れている自分に向かって、
「血まみれだ」と言ったとしても、宮田は何も動じない。神代の名前を持った子供の衣服も、
自分と同じように、血の染みで染まっているせいでもあるし、少女自身が“見えない服”でもあるからだ。
その宮田の適当な相槌に気がついたらしい、美耶子は、不躾に足を伸ばして蹴りを入れてくる。
「うそつきめ」
「…」
書き込んでいた異常なしの文字が歪んだ。
宮田が万年筆を仕舞いながら、美耶子を窺えば、不機嫌な顔から一転して、その顔が曇った。
そういう後の言葉は大体決まっている。この子供が唯一求める肉親に対する充溢の思いだ。
「おねえちゃんの顔が見たい」
だったら、勝手に“見れば”いい。と言うと、口ごもる。
そうして、思い出せば、彼女の姉はいつも黒衣を被っていて顔が見えない状態で、先ほど訊かれた質問も、
「お姉ちゃんが被っている。あの黒い袋は何?」という不機嫌なものだった。
しかし、そんな弱音を言われたところで、慰めるほどの甲斐性を“宮田”に求めてもらっては困る。
「馬鹿宮田!」
一度使った手を再び使うと、今度ばかりは許可されなかったらしい。もう一本の足が膝へと飛んできた。
これで両の足を伸ばして座ることになった美耶子はそのままの姿勢で睨みつけてくる。
まるでただの駄々っ子だ。そして、本日の診断はこれで終わりです、と、立ち上がると、慌てたように、
・・
「命令だぞ!お前の目から覗かせろ!」
そう言い放ち、くるりと後ろを向いた。
そうだ、これが子供だ。
***
“神代美耶子”が“宮田司郎”に命令を出したら“宮田司郎”は実行に移さなければならないか?
それは違う。
“宮田”はあくまで、神代と教会が絶対であって、“美耶子”という少女が姉を求める感情からくる命令に従うソレではない。
だが、事のついで、と、御印はまだ降りる兆しを見せていないと報告をした後に、当主にそれとなく伝えたところ、
・
見る、だけならば勝手にするがいい。と、大儀そうな許可を宮田は賜った。
途中からとはいえ、離れ離れにして育てたはずなのに。当主も美耶子の双子の姉への執心には参っているらしいのだ。
夜。9時になる30分前、夕食の食器を下げるついでに、宮田は、昼子に美耶子の提案について話すことにした。
家にやってきた昼子には、宮田家の二階奥にある一部屋を使ってもらっていた。
当主から隔離病棟への通達もなく、「宮田の家へ」となっていたため、そういう扱いになっている。
普通の一室のため、鍵もない。昼子はあくまで美耶子の予備であり、言うなれば、いなくても良く、
いれば安心といったところだろうか。それに加わり、異例の否子という肩書きが昼子の立場を複雑なものにしているようだった。
触れるべきか、触れぬままでいようか。その答えにあぐねたため、ここにいると言ってもいい。
しかし、それにしても、これは緩すぎるのではないか、と思う。
日中、昼子が出ようと思えば、好きに村に出れる。なにかの拍子に村から脱出してしまう可能性だってあるだろう。
だが、宮田が、自らの判断で部屋に鍵をつけるという対策に至っていないのは、
神代の家の命令がないことと、昼子の態度によるもの、そして、“そのように”と教育された子供は、
従順すぎるほどに従順だと知っていることにある。―――まるでそれは呪いのように。
「よろしいですか?昼子様。」
食器を下げに参りました、と告げると、戸惑ったように、まだ食べ終わっていない料理と、宮田を見て、昼子は謝る。
いつもであったなら9時を過ぎた頃に取りに来るため、食べ終わっていないのは予想していた。
残った料理を確認してから、視線を上げると、一人で食事をとっていたというのに、昼子は黒衣を被ったままだった。
その行動からも、この子供は、自分の立場というものを頑なに理解しているのだと思わずにはいられない。
「では、食べながらお聞きください」
「…?」
戸惑いながら昼子が、黒衣を口までめくるだけの恰好で食事を再開させたのを確認して、美耶子の提案について宮田は話す。
今から20分後、9時に美耶子が宮田の目を使い、この部屋を幻視する。その時刻に黒衣を外して顔を見せて欲しいという事。
顔を見るだけならば、鏡を用意して、黒衣を外した昼子が自分の顔を見て、その昼子の目を美耶子が幻視すればいいだろうが、
美耶子が要求したのは、何故だか頑なに“宮田の眼”だった。
それを宮田は疑問に思ったが、口は挟まず、求められたことに答えることにした。
最後の一口を飲み込んで、昼子は、「分かりました」と頷く。時計を確認すると、あと10分はあった。
「どうぞ、」
昼子が指示したのは、部屋の隅に置いてあるパイプ椅子の一脚だった。
この部屋には、ベッドと、そのサイドに二冊分のノートを広げたらいっぱいになってしまうような申し訳ない程度の机、
そしてパイプ椅子が二つあった。そのウチのひとつを昼子が座っていたため、1つ余っている。
「いえ、必要ありません」
そうですか、と、昼子は潔く勧めるのをやめ、時計へと目線を向けながら、言う。
「あの、」
「はい」
「美耶子は元気ですか?」
「…」
それは、前にも問われた質問だった。
何故だか、離れた西原で生贄の少女が笑った気がした。そうだ。9時になったら姉の顔を出すと言っても、
あの少女ならば自分が帰ったその時からずっと目を盗んで姉の姿を追っていても不思議ではない。
姉を慕う妹が目の前で姉に元気か?と心配されれば嬉しいだろう。
自分の目玉が疎ましいような感覚になった宮田は、瞬きをして、
その質問にあえて最も平坦で冷たい声で一言、はい、とだけ返した。
目の前の少女は一回頷いただけだった。
▲キョウダイ
時間になった。
黒い布が取り払われ、ずっと陽に当たらなかっただろう青白い顔が覗く。
見覚えがある顔だった。けれど、違和感がある。既視感と違和感を、慣れ親しんだ理由で飲み干した。
「やはり、似ていらっしゃいますね」
「……。」
当たり前だ。双子なのだから。
素顔を覆っていた黒い布は、その事実すら覆い隠していた。
性格の相違が大きかっただろうから、こうして素顔をみると、顔の造形に既視感があり、静かな眼差しが違和感を引き起こす。
診察で宮田が毎日顔を合わせるあの少女の瞳は、何時だって、理不尽に対する怒りに燃えていたからだろう。
大きな違いは、その瞳と、髪の長さであり、妹が嫁入りのために髪を伸ばしているのなら、妹は家との関係を切るかのように短い。
だが、他はほぼ同じだ。宮田が、改めるように似ていると言うと、昼子は少し眉を顰めたあと、時計へと視線を向けた。
「もう、幻視をしているんでしょうか?」
「恐らくは」
目にした時計はちょうど9時をむかえていた。
自分からあんなに姉の顔を見たいと言っていたのだから、絶対にしているだろう。
それどころか、前々からしていたのかもしれない。いいや、きっと覗き見ていた。
確信しながら、宮田は昼子へと視線を戻す。「早くしろ」と美耶子が文句を言ったような気がした。
無言で向かい合い、互いに目と目を合わせた。
そうしているうちに、昼子は、戸惑って、躊躇するように目を泳がせた。
鏡に徹している宮田は、本来なら黒い布の内側で行われただろうその動作を見ながら、
思っていたよりは、“人間らしい”とぼんやりと思う。
最初はもっと、無感情な子供かと思っていた。
実の父親に生死を振り分けられ、生まれで差別され、自分の姉妹と比べられ、黒い袋のなかで、
その光景を他人事のように眺めている人形のような子供だと。けれど、その予想は外れたらしい。
神代の家から宮田の家まで車に乗せたときの返答も、今思えば、隙間にできた沈黙を謝罪する、
ただの拙い返答だったのだろうと思う。そう思うと同時に、宮田に小さな疑問が生まれた。
――――なぜ、この子供は、そうはならなかったか?
そうして、随分と顔を合わせ、もうそろそろいいだろう、と宮田が目を伏せようとした時、
それを悟ったのか、昼子が、決心したように、宮田の向こう側にいるだろう美耶子に向って言った。
「大丈夫。どこにも行かない。一人にはしない。」
――――戯言だ。
「もう、よろしいかと」
目を伏せ、昼子の食べ終わった食器を持って、追われるように扉に手を掛けた。
頭のなかで汚い言葉を内包した泡が弾けて、宮田を追いたてた。そのうちの一つが、なんとか弾けずに、口を衝いて出る。
「もし、“次”があるようでしたら、鏡を用意させて頂きます」
双子の妹に向けた姉の言葉など聞きたくもなかった。
この場合、宮田先生と昼子の間の距離が離れてるので、宮田先生の目なら美耶子は幻視できる感じ。
昼子の目はどうなろうと幻視できないので、実は鏡じゃ無理。
*2012.5/9 時間を修正。