▲黒の子供




2002年。
車の助手席で静かに外を眺めているらしいその子供をちらりと見て、らしくない、と自覚しながら宮田は声を掛けた。

「外が、珍しいですか」

言ってから余計に言葉に違和感を感じ、苦々しく思う。

否子は不和の子。
この村で神に代わっている神代で、あってはならない子供だとされた子が、村をまともに歩けたとは思えない。 ましてや、自分の生死ですら無感情らしい幼子が、何を思って外を眺めていたかなど、 尋ねたところでぞっとしない答えを持ち合わせているに決まっている。 宮田は西日が強い振りをして、目を細め、そのまま静寂を飲み込む準備をした。 しかし、否子の子供はそんな宮田を一回振り返り、静かに視線を外に戻しながら拙く言った。

「車が、車に乗ったのが…、その…いいえ、なんでもありません。景色が早くて。」

前方の安全を確かめてから、再び外を眺めている子供の黒い袋に隠れた後姿を見た。 宮田はその言葉の真意を探ろうとして、止めた。もしや恨み言かもしれないと過去に耳を澄ませてみても、 世間話のようにするりとしていて、ともすれば、一瞬の沈黙を謝るかのような音も含んでいたようにも思えたからだった。

そうして、自分の苗字を噛み締めて、今度はあえて静寂を作り、その奇妙な息苦しさに辟易としながら自宅へと向かう。 ミラー越しに子供が時折気遣うように自分を窺っていたことなど、ありはしなかったのだと、得意になった見ないふりをして。





▼黒の大人




「では、幻視ができるようであれば、神代の血を引いた娘だと認めよう」

それはほんの昨晩のことだった。“昼子”となって7年が過ぎ、齢が13になり、改めて幻視のテストをすることになった。 理由は、“美耶子”が神の花嫁として、二つ目の“御印”を賜る大事な時期に入る最終段階に入ったため、 これからは、不和の子供である“否子”を、離して育てているとはいえ、 同じ家に置くことはできない、といった神代家に連なる者たちの意見が発端だった。 長女の亜矢子とは違い、仲違いもしない、時折互いについて心配りをしていたことも神代を不安にさせた要因だったのだろうと思われた。

それに美耶子が噛みついた。 姉の理不尽を喚く美耶子に対して、双子の父親でもあるはずの神代家当主は、眉を顰めながら、 美耶子を納得させるための案を提示する。それが、幻視の能力の有無だった。
それに美耶子はしぶしぶ最終的には頷いた。美耶子は基本的に誤解をしているのだ。 美耶子にとって、幻視とは人間がモノを見る具合と同じように簡単なことでそれが難しいものとは捉えられない。 だから、押し切られて頷いた。無理だとしても自分がなんとか昼子に伝えればと思ったのかもしれなかった。

だが、当然、6才の頃と同じく昼子に幻視は出来なかった。

テストは、美耶子と昼子が並んで座り、鉄のついたての向こうで父が見ている文字を、幻視して当てるといったものだった。 眉間に力を入れすぎて頭が痛くなるほど見つめても、昼子にはついたてを越えて、文字を読むことはできない。 最後に、美耶子はなんとか、答えを伝えようと四苦八苦していたが、 それを見ていた母が父に告げ口し、父の顔を顰めさせた。それが決定打だった。

そうして今日には、“宮田”が呼ばれた。 座敷に座り、宮田を呼び出した当主の意向を聞き及べば、 異例の否子である昼子は、宮田の家に花嫁の予備という意味も込めて、儀式のその日まで厄介になることになるらしい。 呼ばれた“宮田”を父の横に並んだ昼子は黒の布の下から見ながら、 「血は繋がってないだろうに、目が父親と一緒だ」と思った。


与えられる名前というのは、どうして、こんなにも重いのだろう。





▲双子





否子を迎え入れて数日。
神代の家から預かってきたその子供は、同世代の子供と比べると、 まるで餌をねだる雛と、死んで冷たくなった雛ほどにも違うように宮田には思えた。

26年間生きてきて、わずかではあるが関わってきた子供は例に漏れず、頭痛を禁じえないものであったから、 宮田は子供が苦手であったし、今回の“宮田”の仕事は“いつも”よりもやっかいかもしれないと覚悟していた。 けれど、今、思っていたより苦労はしていなかった。

子供は、頭に響く泣き声をあげることはなく、我侭も言わず従順だった。 それに、これはあとから気づいたことだが、幼い子供ではわからないような単語を使って指示をしても、 子供はただ一度、コクリと頷いて、意図した通りのことをする。 どうやら、“否子”として扱われていたにしては語彙が多いようで、「なんで、なんで」と尋ねる子供に言ってきかせることすら、 想像もできない宮田にとって、それはとても助かった。

ただ、いつもの静かな自宅の生活のなかで、ほんの少しだけ、言葉を発する機会が増えたに過ぎず、 それすら、最初の日を抜かして二言三言だった。

それよりも、むしろ、頭痛を感じたのは神代の家の方だ。 この寡黙な子供の双子であるはずの“神の花嫁”の定期的な健康診断のほうが疲れを感じる。 花嫁の印である強力な幻視を使い、姉が宮田の家に居ると翌日には知った少女は、宮田に、

「返せ!おねえちゃん!返せ!」

と、喚き、暴れ、診断がなかなかできない。 花嫁のその身体に何かあっては大事なため、止めようとはしたのだが、加減がよくわからず、 結局、疲れて大人しくなるのを待つことにしている。散々喚かれ、痛くないとはいえ、ポカポカと殴られて、 襟を掴まれて揺らされ、最後の抵抗とばかりに、じたばたする足で蹴られる後には、 少女は黒髪をあっちこっちに跳ねさせたままぐったりとふて腐る。そうしてやっと、診断を始められる。

そして、最後に、カルテに異常なしと結果を書きこんでいると、決まって、少女は、拗ねた表情を一回やめて、不安そうに、

「おねえちゃんは元気?」

と、宮田に訊く。
その度に痛感した。

双子とは不思議なものだ、とは思う。

同じ姿でありながら、中身は異なる。かたや姉は、物静かで従順であり、かたや妹は五月蝿く、反抗的。 そして妹は姉を慕い、姉は何も言わない。その様子を覗き見る立場である宮田は思うのだ。

他人から与えられる名前は、こうも人を左右させるものなのか。

一卵性の双子というものは、生まれたその瞬間は、生物の設計図であるDNAが一緒だ。 それから、その後の成長過程において、病を患ったりすることで、DNAはそれぞれの形を変える。

ならば、名前というのも、きっと病と同じなのだ。

「……。」

その答えに行きつくと、なにか、良くない影が頭を覗きこむような感覚に襲われた。 昼子を預かってから十日ほど過ぎたであろうその日の夜、宮田は、もう何度目かの堂々巡りなその感覚に、 カルテを見返していた目頭を強く押さえた。 やはり、子供は苦手だ。どんなに手の掛からない子供であろうと、関わると疲れる。 考えるのをやめてしまえ。どうせ、過ぎれば終わりだ。 そうして、暗闇のなかで、その良くない影を振り払っていると、カタリ、とドアが開き、くだんの子供が姿を現した。 ここに来ても律儀に黒衣を被り、白い着物を纏い続けているその子供は、ソファに座っている宮田に気づくと、 頭を軽く下げ、隣の台所へ行き、水を飲んでいるらしかった。 そうして、台所から出てくると、また同じようにお辞儀をしてそのまま、部屋から出ようとする。 足首についた鈴を余計に鳴らさぬように、スッ、スッとすり足で歩くのが様になっていて、 明かりのついてない台所に溶けてしまった黒衣が、――――まるで、頭がないようで。

「昼子様」

ドアに手をかけた子供が振り返る。
ほんの少し黒衣が傾いたので、頭を傾げたようだった。

「美耶子様が貴方を呼んでいましたよ」

うわ言のようだと他人事のように宮田は訊いていた。 言われたわけではない。姉を恋しがる“神代美耶子”が“宮田司郎”に命令し、 “神代昼子”に伝えて欲しいと言われたわけでなく、そんな私情を遂行するわけでもない。 恐らく、口をついて出てきたこれは、この良くない影を払う為に、自分が欲しただけのものなのだろう。 返答は期待していなかった。だが、あえて、ただの独り言だと付け加える気にもなれず、沈黙したままでいると、 子供はこちらに一歩近付いて、逆に尋ねてくる。

「美耶子は、元気でしたか?」

これだから、子供は嫌だ。

内心苦々しく「はい」と答えるだけで宮田には精一杯だった。
「そうですか」と何処か考えこむようでありながら、安堵したかのような声を聞き、自分の失敗を呪う。

影は、さっきよりも増して、払えなかった。







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あとがき



宮田先生の家はどこなのか?と考えると、恐らく病院のすぐ近くにあるんじゃないかと。 外伝のほうを読むと、お母様は病院内にいるようですが。多分、恐らく、自宅もあるのでは…。 そうなると、母親が自宅におらず、父親は仕事というと、幼少宮田先生は、誰にご飯を作って貰ってたのか? …家政婦さん?お手伝いさん?メイ…いや、方向性が違う。

まぁ、成長した宮田先生は、お手伝いさんを雇っていたとしても、自分と鉢合わない感じに時間指定してそうですけどね。

あと、主人公が言いかけた「車に乗ったのが…」に続くのは「久しぶり」。けど、ヒルコになってからは初めてなので、 「前に車に乗ったことが?」と突っ込まれると厄介なので、口を噤みました。