▼兆候
村を北上し続けると当然として山にぶつかる。
勾配の急な山肌に作られる道というのは総じてつづら折りに長くくねり、
すり鉢状の一番下に位置する集落から上がってくると、変わり映えのない延々とした上り坂が続く。
ぐるりと囲む山々は深く、外と村とを繋げている唯一の道も舗装が細かくひび割れ、辛うじてその体をなしていた。
むやみな伐採の禁じられているせり出すような保安林の樅は冬でも青く、冷たくひんやりとした空気が葉の隙間から降り続ける。
しんしんと冷たさを被り、皮膚の感触が無くなるのを振り払うように歩んで、
かつて村で行われていた採掘事業の跡、“廃選鉱所”へ向かう崩れかけた切通しの土の階段を上った。
昼間の気温もぐんと下がり、もうすぐ雪が降り始める事が分かった。
雪が降りだす前に、遠出の用を中心に昼子は村を回っていた。
今なら話を通して宮田に防寒着や靴を用意してもらうというのもあるかもしれないが、
それを着て歩き回れば神代に連絡がいき、“宮田”の家のあり方を問われる事になる。
宮田自身も昼子が練り歩く様を完全に肯定した訳ではないので、渋られるだろう。
それぞれがそれぞれ神代という権威を刺激しないで、村の奇妙な事実をすり合わせる。その今の関係を崩すくらいなら、
ずっと続けている方法で行った方が良い。神代に反応されるのだけは昼子も望んではいない。
すっかり硬くなった足の裏で登っていくと、木々の開けた場所と道がわかれる。
そこで方向を変え、周りをぐるりと見渡した。
ここ。
来年の8月3日のこの場所はもう少し緑が茂っていただろうが地形は同じ。
今まで何度か来た事があるが、記憶にあるここは何度来ても既視感がある。
深夜の暗闇に包まれた森の中。そして、そこにいるのは“宮田司郎”になる、はずだ。
差し迫る思いの自覚を繰り返している。
しなくてもいい役割を無くす事。
自分の不完全な永遠の生を無くす事。
問われて初めて自分の口が吐き出してしまった幸いの理想。
そのどれもが滲んで同じもののように広がっているのに、そのどれもがどこか条理としての無理があるのだと理解した。
美耶子を生贄に捧げないでいるには“彼女”を神に捧げる事。
不完全な生を無くす為に異界にある像を手に入れるには、村人の住む村は異界に沈まなければならない。
誰も何も起きないことは死にかかりの神がいる限りあり得えず、この村は神がいなければ存在しなかった。
美耶子が生き残ることができたとしても、その後、歩むだろう人生はけして堕辰子や羽生蛇村から解放される事はない。
望みを持つことで確実にどこかは軋む。
……それでも。
手頃な尖った石を拾い上げ、
木々の隙間に一人、手に持ったそれを木肌に残るように強く押しつける。
力を込めて描くように昼子は印を刻んだ。
▲キョウダイ二
ケルブ、という小さい声が聞こえたのはその日の散策を終えて山を下りてきた麓だった。
村の人口が一番満ちた頃に開拓され、今では草原に還る途中の歪なもと田んぼだった土地の傍、 ざあざあと枯れかけた背丈ほどのススキや笹の茂った畔、
開けていて通れるとはいえこの場所に態々くる人もおらず、ぽっ、と人影もなく聞こえた小さな声に辺りを見渡した。
草を掻き分ける音が聞こえたと思った瞬間、音のしなかったはずの背後から押され、追いうちに草のなかから出てきた手が昼子を掴んで引っ張る。
何者かが押したのか後ろを確かめることもできず、ほとんど倒れるように飛び込んで横倒れになり、耳をくすぐったくした草が倒れては、視界を覆い隠していく。
そのままぐるぐるとなだらかな地面を転がり、体にまきついてきた二本の細い腕に従ってこちらも手を回すと、近いところで堪え切れなかったような笑う声がする。
二つの温度を抱いて転がり、勢いがなくなると昼子を下にぐっと力を込めて止まった。
丁度その時、昼子の背を押す任を成功させたケルブが転がる二人に追いついてきて、鼻を鳴らして上から覗き込んだ。
声にならないうめき声をあげ、体温は一度離れ、めくれ上がって辛うじて昼子の頭に引っかかっていた黒衣をつかんで地面に投げつける。
ペタペタと顔に手を這わせ、確かめると再び胸元に顔を沈め「何かあったかと思った」という美耶子の言葉はくぐもりそこに消えていった。
美耶子が村人の目を盗み、昼子の動向をなんとか掴もうと苦労し始めたのは秋だった。
診察に来た宮田の様子が可笑しかった事、当主の目から見ていた会話。
それから昼子を見かけた村人の視界を探りながら、なんとかして会える機会を探った。
冬を迎え、降雪が近づいて、昼子が遠出をするようになると、山の麓で待ち伏せをし、今日、ようやく出会えた。
「何があったの?」
心配そうに問う美耶子に昼子は一回決意するように頷くと、宮田との変化した関係についての話をした。
村人から隠れるように草々の中心で声を潜め、神の従者から覗かれないように身を寄せ合い、目の代りであるケルブも寄せ、美耶子はその首に抱き着きながら話を聞いていた。
二人にとっての決定事項である来年の儀式まで、判断の有無も含めて不可侵である宮田と昼子の関係について知ると難し気な顔をして、
様々な思惑が廻ったのか、幻視を阻む範囲内でどうやっても見えない姉の顔を探るように眉を潜めていた。
でも、その顔も「美耶子が来てくれて良かった」と正直な気持ちを告げると、パッと意外そうでどこか喜色ばんだ顔付きに変わった。
「本当? 来て良かった? 良くないかと思ってた」
否子と神の花嫁が近くに居たというのが見つかったら、姉妹の自由は拘束ほど狭まるだろう。
それを分かっていても美耶子は姉に会いに来た。その行動を咎める理由を昼子はとても持てない。
「話さなきゃいけない事が、あるの」
それを告げる為に、平素から神代に居る美耶子への連絡手段に悩み、神代からの救導女の帰りの知らせをくれるケルブの首輪に手紙を括りつけるかとまでは考えたものの、
それだと、小さい紙じゃないと目立つので少ししか文字が書けないし、何度もやり取りしてたらいつかなにかありそうだった。
美耶子が自分で行動し、来てくれてなかったら、今でも苦心していたはずだ。それに。
「それに……こうして会えたら、やっぱり、ほっとしたから」
聞いた美耶子の顔が得意げに姉に微笑む。
何か無茶な事はしなかっただろうか、今更、気になって見ると、
服のあちこちに枯葉が付いているのを発見して、つまんで取ってやるが、美耶子はわからず、擽ったそうにしているだけだ。
後回しにはするまい。
悪戯に不安にはさせまいと思う挫きを捨てさるべく、
言葉を言おうとして空気を噛んで、昼子は自分を厭う。
あれから何度、美耶子の救いを考えても昼子は答えを出せなかった。
どこまで考えてもこの少女には、どこかで残酷な選択をする瞬間がやってくる。
村の外でまともで温かいコミュニティを得た瞬間、襲ってくるのは自分がかつて沢山の人を見捨てたという覆りがたい過去。
それに「彼等こそ自分を見捨てていた」という主張で耐えられたとして、寿命を全うした頃に来るのが、
その身誰かに宇理炎で焼いて貰うか否か、という選択。
もし、その時、普通に暮らせた結果として子孫が居たならば。その子の将来を自分の末期の姿と重ねまいか。
残して逝くのなら、追ってきた絶望に結局逃れはしなかったと、狂おしいほどの気分になるまいか。
絶望の起点がどこにあるかと言えば、村のはじまり。
少女が産まれたよりもずっと前から、神代美耶子という神の肉の宿った少女は呪いに囚われる運命を持っている。
美耶子の救いが分からない。それなのにどうして救うなどと言えるだろうか。
「私は、……始めにしておかなくちゃいけない事をずっとしてこなかった。
美耶子は、この村を出たその先で何がしたい? どう、暮らして行きたい?
それを、今まで訊いて来なかった」
ごめんなさい。
不意な謝罪に、縋っていた糸に急にほつれが出始めたのが信じられないように美耶子は驚く。
その質問が糸を完全に断ち切ってしまうんでないのか。答えたら「やっぱり計画は出来ない」と言われてしまうんではないのか、
姉の様子に怯え、こんな顔をさせてしまった自分を恥じる昼子はただ黙って答えを待つだけだった。
美耶子はおずおず口を開く。
「……どう、暮らしていいかはわからない。わかんないよ。
それがなんなの? どうしたの?」
「計画は、私の目標だけで立ててしまった。
美耶子の目標を知らないで、勝手にそれで間違いないって決めつけてしまった。
―――美耶子は村の皆のように普通に暮らしたい?」
「……計画は、異界で神を倒して、それで外に出るんでしょ?」
「そう、そして、多分、異界を出れるのは、この村のほんの少しの人数だけになってしまう」
「昼子は、怖いの? 嫌になったの?」
首を横に振るう。
「私は、今でもこの計画が一番、可能性があると思ってる、」
嫌でも、怖くても、これ以上は1000年以上時間を遡らない限り、殆ど可能性がない。
「―――でもね、それでも、まず何においても、最初にそれを美耶子に訊いておかなきゃ駄目だったんだ」
あのね、美耶子。
「この計画が成功して、外で暮らして行けても、辛い事はきっとある。
今よりももっと苦しくて、悲しくて、希望がない目に遭うかもしれない。
私は私の目標を叶えようとして、それを言わないまま計画を実行しようとしていた。
……酷い事だと思う。それにこの前ようやく気が付いた。本当にごめん。
だから、せめて美耶子が村を出られた時、叶えたい事を教えて、
それが叶えられるように、頑張るから」
美耶子の反応が恐ろしく、指の間から抱えた足の足元ばかり見てしまう。
希望と救いを掲げ、責任は自責であるというのは昼子の信条だった。
自らを投げだし糾弾されよ、としながら、相手に拒絶される事を恐怖する。儘ならない。度し難い。
「―――……私は、」
掛けられた言葉は小さく静かで、平静だった。
癇癪ではなく、泣きじゃくる声でなく。相手を気遣うような落ち着いた喋りだった。
いつの間にか美耶子はもうすぐ14になるのだと気づかされ、思わず少女を見つめ、その答えに息を飲む。
「私は、こんな村大っ嫌い。
神の花嫁なんか絶対なりたくない。
村の奴らは私の事なんか少しも考えてくれたことない。
私が消えても、私の事なんか知らないで、暮らしていくに決まってる。
自分たちの命がどうやって繋がっているか、全然知らずに、当たり前だって顔して暮らしていくの。
神代も、そう。役目を果たしさえすれば安泰だって。―――私は?私の気持ちはどうなるの?
村人全員が生贄になれるようになったらって、考えた事ある。
そうしたらあいつ等、全員が全員、自分はなりたくないって叫ぶに決まってるのに!
……それなのに私に全部押し付けて、押し付けてる自覚もない。
悔しい。そんな奴らの為に私が我慢するなんて嫌。嫌……なの。でも、それだけ。
……私、村の外に出た後どうやって暮らして行きたいかなんて考えてなかった」
美耶子は言って、「昼子が、生贄にならなくていいって言ってくれた時、ただ、それだけで、凄く嬉しかったから」とその時の希望を抱いて笑った。
「村を出た後は、村を出れた後に考える。
辛くても、苦しくても、悲しくても、生贄になっていたら私には全部なかった。
だから、いい。私はこのまま生贄にされて、全部無かった事にされるのが一番許せないから」
“あの子供は余計なことを教えられなかった。
だから、貴女のように堂々巡りにはならないでしょう”
まったくその通りだ。
この答えではダメだろうか、今度は逆に返事を待つ美耶子に昼子は言葉が見つからなかった。
この子は自分の生存や存在に真摯だ。
道徳も自責も、明々と燃える命そのもののように誰に邪魔される事なく自己の生存を叫ぶ。
……命に、区別や差別は無く、ただ生きよ、と、残酷なくらい死を迎えるまで徹頭徹尾変わらない。
体や精神に、歪みがあろうとも、苦しみがあろうとも、生きよ、生きよ、と、燃えつくす炎のように。
無理やり型の中を閉じ込められた火は勢いを無くすだろう、しかし、この子の命は弱るどころかまだひたむきに光を強く放っている。
「私はね、満足して死にたいんだよ美耶子」
観念したように言った。美耶子が口を開く前に、何でもなく口端を緩めた。
「“満足して死ぬ”には美耶子達が幸せに暮らしていくのが前提で、そうじゃないと私は死ねない。
全部、―――わかった。 私は、“後悔して生きる”のが、一番、嫌いな人間なんだと思う」
―――なら、あとは頑張るだけなのだろう。
計画は当初の通りに。
そう告げて美耶子とはそこで別れた。あまり時間が掛かると、世話をする者が食事を届けた時にでも不在が判明してしまうから、と小さな背を押した。
最後に、何かあった時にはケルブの首輪に葉か蔓を結び付ける事を約束して、まだ、何か言いたげな美耶子を見送った。
陽が暮れていく。山の端に陽は落ちて、村は染まる。夕食の匂いと帰宅を急ぐ人々。
孤独感は無く、進んで行く道は確かだった。
あの子が幸せに暮らして行けますように。
自分の目標を叶えられますように。
【等活地獄】
仏教。殺生罪を犯した者が堕ちると言われ、五体を裂かれて粉砕されるが、
獄卒の「活きよ活きよ」の言葉で等しく生き返り、責め苦が繰り返される。
ゆえに等活地獄という。
▼鬼遊び
……
…ザァ…ア…
ザァ……
ザ ァ ァア――ア―…ア―…
水が、落ちる。集まって、狭い所を通り抜けていく。
泡が重なって、音を立てて、暗闇に、飲まれて。
強い雨だ。川になって、水が途切れない。
何かが、水のなかで動いて弾いて……
違う。
―――水道の音だ。
酷くぼんやりとした頭の昼子が目を開けると周りは真っ暗だった。
ベッドに横たわったまま眠りながら聞いていた水の出続ける音が今もまだしている事を確かめる。
夜だ。まだ、朝ではない。暗かったし、纏わりつくような睡魔があった。
ゆるく暗闇のなかでまどろんでいてもまだ水が流され続けているのに疑い、体を起して音のする方向を見た。
やっぱり水道の音。
1階のふろ場のほうから音がする。恐らく脱衣所についた洗面台の水道だろう。
予想して、再びその音に耳を澄ませる。一定の、しかも大量な水量が出続けている。
けれど、限界まで開け放たれて空気が白く混じるくらいの水音がしているのにそれ以外の音はしなかった。
水道管を通った水がそのまま何に邪魔されることなく淡々と下水へと流れていく。
半分眠りに意識を浸している昼子にはそう感じた。 出しっぱなしになって忘れられている。
―――蛇口を閉めなくちゃ。
ぼんやり思いながらベッドの下へと足を下ろす。
ぬるい布団の中とは違った冷たい空気が肌をとたんに冷ましていった。
誰が水を出したんだろうか。音のする方へと部屋を横切って扉にたどり着く。
リリ、と足首に付けたままの鈴が鳴った。
冷たいドアノブに手をかけていた昼子がその手を止めて、何となく今まで寝ていたベッドを振り返った。
暗い部屋のなか人の横たわっていない少し蒲団が乱れた寝床がそこにある。特に可笑しいところはない。
それよりも。流れ続ける水の音に急きたてられてドアノブに再び手を掛けて捻った。
軋みもなくドアはゆっくりと開いていく。
廊下は暗く、やはり忘れ去られて出しっぱなしになっているのだろうという気分になった。
けれど、ようやく完全に目が覚めた昼子はそれが可笑しいと気付いていた。
この家の主である宮田がどうしてそれに気がつかないのか。
宮田の寝室は昼子の部屋よりも風呂場に近い。音もそちらのほうが響く。
それにどう考えても昼子はあんなに水道の蛇口を捻って水を出した覚えがない。
あんなに水の音が響いていたら眠れていない。だから、昼子が眠りに落ちてから蛇口は捻られたのだろう。
恐らくあの人が。
寝ているんだろか。―――そんなまさか。考えながら廊下のその先を見た。
どこの明かりも反射しておらず青く静かに続いて真っ暗な階段がぽっかりと下に続いている。
そこに相変わらず水音が続く。人の気配は感じられない。 昼子は足音を殺してなるべく鈴の音もしないよう滑るように足を動かして進んだ。
途中あった時計を確認すると深夜3時を回っていた。ざあざあと水が出続けている。
階段まできて再びその先を覗き込む。やはりその先もなにもない。青い外の光が少しだけ木目で反射していた。
水を止めるだけ。
いつものように気兼ねなく階段を下りて廊下を歩いていき、そこから左に曲がったその先の水道を止める。
しかし、何故かそうはできなかった。一段一段音がしないように慎重に降りていく。
何故、あんなに水を出しっぱなしでそのままにしているのか。
音に気付かないくらい疲れて眠っているのか。それとも家にいないのか。
急患の連絡が入ったのかもしれない。それで病院に。でも、水道を止めていくくらいはして行くのでは。
階段の途中、昼子は立ち止まった。いつもとは違った匂いがした。
一瞬、夕立の匂いのような気がした。本当に雨が降ってきたのか?
違う。
泥の匂いだ。
キュッ
今まで出続けていた水道の音が止まった。ガタン、と勢いを殺された水道管が余韻の残る音を出す。
その後は本当に静寂に包まれた家のなかで少しずつ物音が伝わり始めた。
いる。
昼子は今度こそ震えた息を止め、そして自室へと後戻りし始める。
水の音によって足音や鈴の音が掻き消されることはなく、じりじりと少しずつ、少しずつ慎重に下がっていく。下からここは丸見えだ。
少ししていた物音が止む。いつ曲がり角から戻ってくるともわからなかった。
崩れ落ちそうになりながら、ゆっくりその先を見つめながらと後退していく。鈴を鳴らさぬように。
階段を上り終わって先が暗闇にのまれて見えなくなると下の廊下を行き来する音がした。
でもまだ上がってくるような気配はない。部屋の前まで着き、少しだけドアを開け、体をすり抜けさせる。
部屋に入り、ドアを閉めれば多少の音なら聞こえないはず。
リリ、リ、
背筋が凍った。
壁に鈴が擦れて小さく鳴ってしまった。慌ててドアを静かに閉めた。
聞こえただろうか。 ベッドに入りこんで、暫くほとんど聞こえなくなってしまった下の階の物音を伺い体を硬直させる。
トン、
次第に克明にその音は意思を持って近づいてきた。
階段を上がってくる音。
トン、トン、トン、
心臓が打たれるように鳴った。
寝返り、ドアに背を向けて掛け布団をかき集めて不自然にならない程度に顔を埋めて、音を追った。
足音が部屋の前で止まった。カチ、と金属が触れる小さな音。空気が変わる。衣擦れの音が背中に迫った。
来てしまった。 静謐に響く吐息と、圧迫されるような背後の気配に無理やり目を閉じた。
しかし力を込めてはいけない。気づいたと悟られてはいけない。
それに踏み込んでしまった時、“宮田”は昼子を放置はできない。
かつて昼子は“宮田”の家の役割を予測であるとして、そうして放置できる余地を作っておいた。
宮田も答えを自らのなかに閉じ込めて昼子の予測を頭のなかで発生した実証のないものだとしておけていた。
しかし今、夜中、土の匂い、水音、異常が実態を物語って存在している。
昼子が意識が覚醒している証拠を出してしまおうものならけして宮田は見逃せないだろう、と思った。
―――今日、
丸まるようにして、息を寝息のように間延びさせ、自分の迂闊さに昼子は息が速まってしまいそうなのをなんとか堪えた。
反面、闇に紛れてしまいそうな沈黙が続いた。今、何を考えているのだろう。ギ、と音がして少しベッドがたわむ。
自分の体が揺れるのが分かった。片足が背の後ろに。寝ているか顔を覗きこまれているんだろうか。
瞼の裏側で見えるはずのない陰の輪郭が描かれ、震えてしまうのをなんとか抑えた。
その時、皮膚のごく薄いところが空気の動きのようなものを感知して、ヒタ、と、冷たいものが肩に触れる。
驚きは体を揺らしただろうか。
昼子はそのまま掴まれて向こう側へ寝返りを打たされると思った。
けれど氷のように冷たい手のひらは力なく添えられたままだった。
―――村で、誰かが死んだ。
それを作り出したのだろう手が体に触れていると思うと身を捩りたくなった。
布団の中、見えないところにある指の爪が引っかかりもしないシーツを掻いていく。
一体どれくらいの間、水にさらされていたのか、冷たい手は暖かいところを探すように彷徨う。
辛うじて触れる細かく痙攣するような弱々しい動きで肩から喉へ、髪に分け入り頬へ、こぼれおちて鎖骨の薄い皮の上へ、
そして影は、最後に震えるような息を零して気配は軋みを残して闇へと還った。背後でパタン、と軽い音を立ててドアは閉まる。
トン、トン、トン、と遠くなる足音をとらえて、堪えていた瞼を薄く開き、這わされた肩を掴んだ。
恐ろしかった。皮膚が総毛立って堪えられない嗚咽や嫌悪があって布団を頭の上まで被って自分の体を抱いた。
恐ろしく、混乱した。何を思ってこんな、と思い、部屋を出て行って階段を下りて行きたいような、その罪を問いただしてやりたいのか、
どうしてこんなに泣きわめきたいのか、ぐちゃぐちゃに混ぜあわせたような衝動が駆け抜けていって、そして、最後に悲しい疼痛を残していった。
残った静寂のなか、眠れない昼子は両手で口を塞いでひたすら朝を望む。
堪えられて良かったのだ。踏み込んでしまったのならきっと無事では済まない。
そうだろうと思いながら、確実に埋没していく夜の中でまったく辻褄の合わない悲しさがふつふつと沸いて出でて、空が白むのを否むしていた。
【鬼遊び】
「鬼ごっこ」。古くからおこなわれてきた子供の遊戯の一つ。
鬼になった者が他の者を追いまわし、捕まったものが次の鬼となる。鬼渡し、鬼事。
追難の儀式が遊戯として伝承したものとされている。
何を無くしても生きたいと望む事と、全てに満足して死にたいと望む事、どちらが我儘なのか。
美耶子の好きなところは誰も味方がいない村で洗脳されることなく自己の生存を叫べる強さが好きです。
「村の皆が助かるのなら……」とか言いつつ、勇者の前でシクシク泣く生贄の娘とかありがちだけど、
勇者を当てにせずに弱くても不利でも戦っていくスタイルの美耶子には男気すら感じる。
だからこそあの「きょーや」ってデレには破壊力がある。ボーイミーツガールいいなぁ。
主人公は今までちょっと美耶子を過保護にし過ぎて見ている所があったりしました。
この子は絶対幸せにならなきゃ駄目だっていう強迫観念。
普通に可愛い妹にシスコンに成りつつあるってのもあるけど。
後半は……あー…宮田はなー…あー…根が深ぇんだぁ……深ぇんだァ…(赤い水を飲みながら)