▼パンドラという女




考え込むようにどこかへと向けられていた視線が焦点を結び、こちらと目があった時、 目の前に座った宮田は、先程まであった軽薄な色を無くして強く警戒しているように見えた。 昼子は、異界の“屍人”が現実の何であるか宮田が考え付いたことを悟り、少し安堵する。 ようやく、話へ引きずりこめた。しかし、時間は既に20分を過ぎている。

昼子が首を捻り背後の時計を確かめていると、咎めるような、 氷のように冷たい問いかけが吐き出された。

「…存外、昼子様は、村の事情についてお詳しいようですね。
 なぜ知っているのかは、まだ明かしてはくれませんか」

村の事情、宮田の家の役目、羽生蛇村の住人が絶対に触れてはならないタブー。 踏み込んではならないところをなぞっていると自白した自覚のある昼子は、 乾きそうになる舌で上顎を一度なぞった。

「まだ、時間にはなっていないはずですよ」

そう言い放つと、宮田は、笑みを僅かに浮かべていた口元から表情を完全に消し、 腕を組み、無言で先を促した。昼子はその意に添って話を続ける。

「―――村の3つの権威である、神代、医院、教会。
 それらは、死なない神代、死亡の判断を下す者である医院、死体を弔う者である教会、となります。

 支配のためには、従うことで得ることのできる利益と、
 それにも増して、逆らうことで起きるリスクがなければ成立しない。
 そして、秘密とは、限られた人間のなかでなければ存在できない。
 自然と、隠さなければならないものというのは同じ枠の中に集まってくるのです。
 
 つまり、得られる利益が村での権力として、
 後はそれぞれの家の特徴をみれば、秘密とリスクは割り振ることができる」

だから“神代の偽装の死”と、おそらく“不死の化け物”を割り振られたであろう医者の貴方は、 それを見たことがあるはずだと予測した。そう聞こえるように、昼子は話し、 それが正解か不正解かは訊かず、答えは宮田に委ねる。

教会は儀式を行い、村人の救いになるという重責を負い、 医院は屍人に成りかかった狂人と眞魚教に異を唱える人間を秘密裏に始末する。 それらを指示する神代に逆らうということは、自分自身の罪が曝されると同義ということ。

もし、神代に逆らった場合、彼らのことを村人はこう思うだろう。

救導師は儀式をせずに災厄を起こし村人を殺し、
医者は化け物なんているはずもないのに、村人をただ殺した。

そうして、これが仕組みに組み込まれれば、後は坂を転がり落ちる雪玉と同じ。 親の罪は子の罰へ、子の罰はやがて罪になり、肥大しては秘密の為に固く凍りついていく。

事実そうであると昼子は“知っている”し、 訊かず予測としておけば、まだ、宮田の役割が動くには余地があるはずだ。 影の中にいるように、冷え冷えとした気配を濃くしていく宮田を視界に捉えながら、 昼子はその気配を振り払うように、喋り続けた。

「―――そうして、村の中にそういう仕組みが出来、
 長い長い時を経て、目的と方法を逸脱しなかったのは、奇跡ではありません。

 途中で、道を違えてしまいそうになるとそれを修正する者がいた。
 その人物は、仕組みができる以前の古くから村に居り、罪が清算されるのを待つ人物。
 神を食べ、神の肉片を多く吸収した完全な不老不死となった女性、その人です」

「馬鹿な。……神が現れたのは、飛鳥時代でしたか?」

「そうです。彼女は気の遠くなるような1318年の時を生き続け、
 罪を払い終わるのをひたすらこの村で願い続けた」

確信に迫るごとに、背もたれから背中が自然と浮いてくる。
宮田との距離は、何度も測り、感覚で身に付けた幻視が利かなくなる範囲内だ。 昼子は話を始める前にそれを確かめ、内容へと入ったはずだった。 けれど、今、この瞬間、“彼女”が持っている神の力を恐れずにはいられない。 幻視が利かなくなるなんていうのはただの思い違いで、 薄暗いこの室内を見ている者は、ここに居る人間以外にもいるかもしれない。 それが不可能でないのが、この村に巣くう者の力の一つ。

加えて、恐れはそれだけではない。

「けれど、その願いは空しくも来年の儀式は失敗し、怒った神によって村は異界に飲み込まれる

 原因は、わかりません」

宮田の表情に、特に大きな変化は無かったことを一瞬、確かめる。

「もしかしたら、現れる幻視の力とは裏腹に、神代に産まれる子に宿る神の肉片が
 代を重ねるごとに少なくなってきたのかもしれません」

嘘だ。

「捧げられる花嫁に神が満足するだけの肉片が足らず、儀式が失敗するのだとすれば、
 一番最初に神を食べ、完全な不老不死となった女性が残りの肉片をその身に宿していることになる。

 だから、

 美耶子の代わりに、飲み込まれた異界の中で、
 私は、不老不死であるその“彼女”に、自らを神に捧げて貰いたいと思っているのです」

26年前の儀式の失敗は花嫁が逃亡したからだった。 そして、来年にも、ちゃんと理由がある。 加えて、美耶子は宿っている肉片が足りないなんていうことはなく、完全な神の花嫁の資格を有している。 歴代のなかでも強い幻視の力を持った美耶子は、恐らく“彼女”が待ち望んだ罪の清算をする本当の最後の娘。

けれど、“彼女”が多くの神の肉片を宿しているというのは嘘ではない。 完全な不老不死、幻視の力、加えて村人にかける、死なず、老わずの自分の存在を疑問に思わないようにする催眠のような力。 異界の中でも、美耶子が血の杯を行って、血を交じ合わせて花嫁の資格を失ったと知り、絶望した“彼女”は、 自らの身を神に捧げ、それを受けた神は完全に復活していた。

だから、美耶子の代わりに“彼女”に神のもとへと行ってもらうことで、神は復活し、 人間の行けない深層の階層から、異界へと堕辰子を出現させられる。 そして、姿を表した所で、堕辰子の苦手な陽光の下、その場に集めた人員で総攻撃をかけることができる。


「その女性が資格の足らない美耶子様の代わりを務めることで、
 失敗する儀式をやり直すことができる、ということですか?」

「そうです」

宮田は組んでいた腕を解き、首を傾げた。

「その女性が存在するのなら、最初から儀式を彼女で行えばいいのでは?」

「確かにそれが一番です。
 けれど、1000年以上もその女性は生き続け、呪いが解けるのを待ち続け、村に執着してきた。
 並大抵のことでは、自らを神に捧げ、諦めることはしないと思うのです。

 だから、一つ一つ、彼女の希望を無くし、退路を断たなければならない。
 …それにも増して、進言した所で、私の立場ではどうにもできないというのが現状です」

「やり直した儀式が成功したとして、異界に飲み込まれた村人は帰還できるのですか?」

「…順番に話します。

 まず、異界に飲み込まれた時点で、村の大多数の人間は…屍人となってしまっています。
 そのなかでまだ人間である者たちがわけもわからずに三日間を彷徨い、
 最終的に一人だけが土砂崩れで壊滅した姿の現世へと戻る。
 ほかの人間は化け物になったり、死亡したりして、現世に戻ることは不可能なまま、世界は閉じる。
 異界の時間は堕辰子の力によって捻子曲がり、始まっては終わり、終わっては始まる。
 8月3日から8月6日までの三日間がひたすら繰り返すようになる。私はこれを回避したい」

「…その現世に戻れる一人とは、貴女か、美耶子様ですか?」

「違います。神代とも儀式とも、一番、関係無い人物です」

そう言うと、宮田は歯切れの悪いものを飲み込むような顔をした。
それに昼子が首を傾げたが、宮田は首を横に振る。

「いえ、―――では、貴女も、美耶子様も、異界へと飲まれ、彷徨い、最終的には戻れず“屍人”へ?」

「…いいえ、神代の人間は神の肉片がすでに体に宿っていますから、屍人にはなりません。

 けれど、屍人にならないから屍人に襲われないというわけじゃなく、
 襲われれば、例外なく殺されるほどの暴行を受けます。
 よって、異界の中でも、肉体が死に、精神が残った状態になるわけです。
 そうなった後には何もできず、残った精神が磨滅するのを待つしかなくなる。
 そして、閉じた世界は繰り返す。神代の者でない者も、記憶が残るわけではないので、自覚はないですが、
 果ても無く、延々と異界の中の三日間を繰り返し続けるのです」

「何故、繰り返し続けることに?」

「世界が延々と繰り返される理由は、堕辰子の、いえ、堕辰子と堕辰子を食べた女性の力と行動のせいです。
 けれどこれは、女性の行動を止めさえすれば回避は可能だと思います。

 それから、私は、異界に飲まれ、人間として彷徨う人物達、その人達のことも知っています。
 異界のなかでその人がどう行動して、どうなるのか。 
 だから、その人達が人として生き残れる確立が高くなるように、事前に準備をしておきたい。
 …そのなかに、ライターは必要なものだったんです」


わかりませんね、と宮田は言う。

「貴女の目的は、結局は何ですか?

 自分と美耶子様を役目から脱却させるということなのか、儀式を本当の意味で成功させることなのか、
 まさか、人間として彷徨い、化け物に成り果てる前の人間を救済することが目的ではないでしょう」

昼子は答えに一瞬詰まった。
けれども頷く。否定し、潔白をする分の材料を否子の昼子は持ってはいない。

「そうです。異界を彷徨う人間を生き残れるように準備するのは、異界からでる為に人手が必要だからです」

「なるほど」

それに事もなげに頷いて見せた宮田が、では、と昼子に問う。

「では―――俺は、その異界の中で、既に化け物に? それとも、人間のまま永遠に彷徨うことになりますか?」


再び、昼子は答えに詰まった。 宮田を見て、背筋にそっと冷たいものが寄り添った。 質問と相反して穏やかに見える表情のはずなのに、そこから覗くものは、底知れぬ、闇を丸めて固めたような目。

「ここまで話したのだから、私も無関係ではないのでしょう?人間だったか、化け物だったか、」

「…貴方は―――人間でしたよ」

そうですか。と頷いた宮田は、歌うような先ほどの問いかけとは対照的に、無機質な返答を返して黙る。 表情はもう平然に戻っていた。昼子は不意に走った動揺を抑え込むために、 右手で反対側の自らの腕を掴んで、一回、目を伏せ、再び、宮田を見た。

「私の目的は、村にかかった呪いを解き、しなくてもいい役割をなくすこと。

 美耶子では儀式は失敗してしまう。だったら、残りの肉片を持っている不老不死の彼女に生贄になってもらう。
 そもそも、本来ならそうするのが道理だったはずです。
 けれど、千年も生きることに執着してきた人間がそう易々と自らを犠牲にしてくれるはずがない。
 だから、儀式の失敗した異界で、彼女を追い詰める。
 その過程に人手が必要だから、彷徨っている人間を集合させる。
 彼女が神のもとへと行けば堕辰子は完全に復活した姿で現れる。

 そうしたら今度は堕辰子を滅ぼします」

「神は不死だったのでは?」

「弱らせ、滅ぼす方法はあります。
 
 堕辰子が飢餓が起きた村に現れた時、人間に食われてしまえるほど弱っていた理由は、
 堕辰子が陽光に弱いからです。
 復活し、現れた堕辰子を陽の光に晒してしまえば死にはしませんが弱ります。
 そして、弱ったところで、異界に存在する一対の像、それを使えば、もう堕辰子はどうすることもできなくなる」

「一対の像…」

それを言うと、宮田が再び何かを思い起こすように視線を巡らせた。 逃げ出した先代美耶子が椅子に縛り付けられ、不完全な不死故に今も異界で叫ぶ声、 それが赤ん坊の頃、一度、異界へと飲まれている宮田の耳に届いているという。それが一対の像のことも教えている。 “屍人”と同じ、昼子の話す異界の話と、宮田の直面している現実の、二つ目の符号になる。

「古い時代に作られた土偶のような見た目の、小さめな似通った二つの像です。
 それには持ち主の命と引き換えに、不死を殺せる力が宿っている。
 不完全とはいえ、神代の人間は不死ですから、手に入りさえすれば、
 私か、美耶子なら何回でも使えるはずです」

「神を殺せば、異界から出られると?」

「その可能性は高いはずです。異界を支えているのは堕辰子の力ですから」

「そのまま世界ごと人間も消し飛んでしまうのでは?」

「それは…」

その可能性を完全に否定できるだけの確信はまだ無い。

あるといえば、本来の未来、二つの像―――宇理炎を使い、焔薙で神の首を落とした後、 赤い水の影響を受けずにいた少女が、現実へと戻ったという既知のこと。

切り落とされた神の首は、時間を渡り、ループを起こす原因にもなる彼女の手に渡る前に完全に破壊し、 本来の未来とは違い、ループすることを止め、世界を維持していたものの存在を全時間から完全に無くすとして、 維持されない世界が消滅する瞬間、その中の人間はどうなるのか。

神の血肉を受け継いでいる美耶子や自分は異界から出ることができるのか、 異界で目を覚ました時点で、幻視ができるまで赤い水を吸収してしまっている人間はどうなるのか、 それをすべて知るためには、計画のすべてが上手くいった次の瞬間を迎えなければわからない。

口ごもった昼子に対して、宮田は深く追及することはせず、質問を変え、続けてくる。

「その人手のいる作業の最中に、協力していた村人が屍人になってしまう可能性は?」

「…あります。けれど、神代の血を輸血し、進行を食い止めることはできます。
 神代の血を体内に入れることで、屍人になることは免れる」

「しかし、屍人にならない代わりに、不完全な不死になる―――という事でしたね」

宮田が忽然と続けて昼子へと言った。 その通りだった。加えて、血を分ける作業には時間がかかり、 分ける血が少なければ赤い水との均衡がとれず、その人間は不安定になる。 屍人の攻撃で死んでしまえば血流も止まり、血を分け、屍人化を防ぐことはできない。 宮田の指摘に、二の句を継ぐことが出来ない昼子は手に力を込めた。

いつの間にか、宮田の警戒はなりを潜め、対面していた昼子のほうが警戒を強めていた。 どこか意図していない流れへと運ばれている焦燥が積もった。 その先がどこなのか、昼子は考え続けるも、宮田は関知せず、 静かな口調で、ゆっくりと、思いついたことをただ言うように続ける。

「自覚無く、化け物のいる世界を三日間、永遠に彷徨い歩くのと、
 異界から逃れられたとして、不完全な不死になり、体が死んで、精神が消耗するのを待つの、
 どちらがより苦しむことになるのか」

そんな選択で、どちらかを選べるわけがない。
苦し紛れに、焦燥を抑え込んで昼子は言う。

「ですから、異界にある像をつかえば、不死は、」

「本来の寿命に近づいたらそれを使い、不完全な不死同士で殺し合いをして、死ね、と?」

そんな死は不自然で、酷い話だろう。

「けれど…」

体が朽ちても、永遠に死ねないのだって酷い話だ。昼子は思う。 だが、それと、他人に生を奪われること、どちらがより酷いことなのか?

化け物に恐怖する三日間が忘却と再生を繰り返し、永遠に続くのと、 体が朽ちて精神が残り、長い時間をかけて消耗し、狂うのと、 現世で暮らし、まだ生ある命を奪い、奪われるのと。

優劣をつけたって、どれもこれも好んで望む人間はいないだろう。 でも、一番マシなのは、やはり、ちゃんとした終止符を打つことじゃないだろうか。 人間の作りは永遠に生きれるようにはなっていない。 けれども、やはり、昼子の提示する選択すら、酷いことには変わりはない、と宮田は言うし、それを否定できなかった。 けれど、他にどうすれば?

黙り込んでしまった昼子に対して、宮田は憐れむように、もう一つ問う。


「そうして、殺し合い、最後の一人になった不死の人物はどうすれば死ねますか?」

ほかの不死の人間を自分の終わらない命を代価にした炎で燃やし、 最後の一人になった不死の人間は、生を失わずに炎を灯せる人間を失ってどうやって。



「……世の中には、苦痛のない死に憧れる人間もいるのです」



奥歯に力が籠り、噛みしめた歯の隙間から絞りだすような声が出た。

ふっと、目の前が暗くなる。



「―――ああ、なるほど」



きしきしと、耳に響く、縄の音。








「そうして、貴女は救世主になると」










【パンドラの箱】

ギリシア神話。プロメテウスが天界から火を盗んで人類に与えたことに怒ったゼウスが、
人類に災いをもたらすために「女性」というものを作るように神々に命令した。
様々な神からの贈り物によって“パンドラ”という女性が作られ、
彼女に“開けてはならない箱”を持たせ、プロメテウスの弟のエピメテウスの元へと神々は彼女を送り込む。
ある日、パンドラは好奇心に負けて、その“開けてはならない箱”を開いてしまう。
すると、様々な災いの子供達が箱から飛び出て、世界へと広がってしまった。









小説TOP/




あとがき




ここから宮田のターン。
やっぱり、この人は一筋縄ではいかんのです。