だが、大人の躾を掻い潜ることのできる本当に良い子など、初めから存在するはずがなかったのだ。






▲箱の底





「何をしようとしているのですか」



小さい肩が揺れ伸びていた掌は何を掴むこともなくもとに戻される。 室内へと響いたのは意外なほどとても平坦な声だった。

腕をもとに戻しゆっくりと振り返る。
表情は黒衣によって見えはしない。

一体何をしようとしているのか。 子供は、怯えているのか、驚愕しているのか、それとも不屈にこちらを睨んでいるのか、 部屋の敷居を跨がずにその光景を見て宮田は考える。 自宅の廊下からこちらを向いた昼子のしている表情についていくつか候補を脳内にあげてみるも、 こちらを向いた体躯からはそれのどれも窺うこともできない。

黒衣のお陰としてしまうには過分過ぎているようには思う。 この場面に置いて、表情が見えない分を差し引いても恐れおののく素振りもみせない。 こうして静かに見つめて相手の挙動を観察している自分に似た物の心のような冷静が、 目の前の自分の年齢の半分以下である子どもにも備わっているのだろうと確信がいってしまう。 しかし、だからこそわからない道理というものがある。

その度量を持ってして、まるでただの悪童の如し手癖の悪さはなんだ。


黒の布の内から部屋の入り口までその間にはピンとした緊張を孕んだ静寂が横たわり、 衣擦れひとつはばかられるような空間にそれぞれ口を塞ぎ合っていた。 きっと心中は似通っているんだろう。どうにもなりはしない。後はどちらかが声を上げるのを待っている。 そんな気が宮田にはした。しかし、そこから生まれる沈黙がどうにもなりはしないというのに 正体不明の感情をだんだんと蓄積させては目の前の子供が酷いもののような気がしてきた。

それは、じりじりと、しけった木材を舐める炎のようにやってきて自分の足場を作るみたいに触れては離す。 目を細め、見えない顔を透視するかのように従順さを失った部屋の中の子供へを見つめ続ける宮田の中は、 合わさっていたモノが勝手にずらされたようなそんなわけのわからない理不尽に満たされていた。


これは一体何か。

目の前の子どもが、もともとは死んで冷たくなった雛のような子供で泣き声もあげず、我儘も言わなかったのが、 今になって、急に駄々を捏ねて億劫に思ったからだろうか。 しかし、他人から与えられる理不尽の飲み込み方は幼い頃から身につけているはずだ。 それに、子供などやっかいなものだ。と事前に覚悟を決めておいてあったはず。 では、今何がちりちりとこちらに向けて手を伸ばしているのだろう。 そして、そもそも村を前から出歩いていたというこの子供の駄々は一体いつから始まっていたのか。 それに気付かなかった自分に腹を立てているような気もするが。

―――少し顔を俯かせたらしい黒衣の衣擦れに眉が寄る。

しかし、やはり、感情の矛先は間違いなく目の前の子供のほかにないらしい。


数十分前、午前の診察を終えた病院の診察室で出歩いている昼子の姿を見つけた宮田はその後、 恩田美奈から何年も前から行われていたらしい否子の散歩について聞き、 そして、“宮田”として、否子の不審な挙動の理由を突き止めに、直後の昼休みを利用して、 白い着物を着た子供を探し始めていた。

病院を出て、まず先ほど姿を見た小道に行き足取りを追いながら、 その途中、不要の子供、神代昼子という子供は、本当はどういう子供だったのかを考えてみると、 抱いていた印象に間違いはないように思えた。従順で、諦観するように無知につくられた者。

しかし、確かに否子は村を歩きまわっていたという。 それと印象は符号しない。それが神代昼子という子供の正体を一気に掴ませなくした。 本来ならばじっと用意された室内で、存在を殺していたはずであり、 赤ん坊の頃から神代の家のなかで、神代として育ち、双子の妹のように幻視の力もなく、 昼子として名づけられてからは幽閉され、外を知る術もなかっただろう。

それがどうして、村に自発的に出たのか。

子供は好奇心が強いからか? それとも、成長するごとに知った、自らに巻きつくしがらみから解放されようとしたからか?

けれど、たったこれだけで全てが説明できる気が宮田にはできない。 あの座敷で、当主の隣に座して、自らの生と死に声も漏らさず、耳が聞こえないのではと勘繰ってしまうほどに微動だにしなかった子供が、 好奇心、もしくは、救いを求めて外に出た?その二つのどちらも理由には寸足らずだった。

だからか、あの白い着物の姿を遠目とはいえ実際に目にしているのに、姿の見えない病院の付近を探している最中、 その現実感が失われるのが早かった。あれは幻だったんじゃないか? 美奈の話も何かの見間違えが噂として流れた分類だったのでは? ただでさえ、役割として本当を嘘にしてしまうことは宮田にはとても得意な分類だ。その逆でさえも。 宮田にとって、否子の散歩の話よりも死んだ雛の子供の存在の方が現実染みているようにその時は思えた。

しかし、姿の見当たらない道沿いではなく、病院の近くであり、昼子が入ることができる唯一の場所を思い出し、 足は自宅へと向かい、そして、その本当が嘘になることはなくなったのだ。


こうして、昼子はいるべき二階の与えられた部屋ではなく、一階に下り、 従順な否子として相応しくない何かしらのことをしている場面に立ち会うことになった。 もう、宮田は自分の持っていた昼子への印象を捨てるほかない。

自宅に着いた時、宮田は扉を静かに開け昼間と言えど暗い室内で念のため息を殺し、 まず、否子に用意した部屋へと向かおうと階段に足をかけた。 しかし、その視界の端に、いつもは閉まっていたはずの一階の一番奥の部屋の襖が開いているのを捉え、かけた足を下ろし、 しばし考えたあと、足音を殺したまま進み、開いていた隙間から室内を覗くために、首を伸ばした。 宮田はいつも昼は病院でとっているため、この時間は家を空けている。 今日もそうだろうと油断している昼子が用意した部屋でなく、一体“ここ”で何をしているのか? その中を確かめると、意識が冷たく機械的になっていき、宮田が無意識に蓋をしていた事実を掬いあげていた。


子供が持つ好奇心?

それでは寸足らずだ、と、自分は称した。では、ここで何をしているというのか。 打ち捨てられたはずのもう一つが急遽、浮上する。


―――しがらみからの解放。


むしろ、何故今までその服従に疑いを持たなかったのか、その表徴はあったはずだった。

だってなぜなら、と、自らに問いかける。


同じ顔をした妹は役目に対して抵抗を示していたじゃないか。


名前や育ち方の違いが目について見逃してしまっていたが、彼女らは他人の目を介して互いを呼び合うくらい仲が良い。 双子の妹の神の花嫁である美耶子と同じように、その姉である否子の昼子が逃げられない頸木を恨み、 抵抗していてもなんら不思議ではないだろう。ただ、妹は人目を憚らず、姉は静かだったという話。 いや、もしかしたら、妹の派手な抵抗を見ていたからこそ、その姉は仮面を被り上手くやっていただけかもしれない。 反面教師に、相反して育つ。そういうものだと聞く、―――キョウダイは。


そして、この考えが正しかったなら、神代昼子は別に死と役目を享受して無感情なわけでも、 自分の人生を他人事のように眺めているような人形でもなかったのだろう。 あの子供は、妹を思い、感情を持ち、それらを欺き、自分の生に執着するただの人間であるあの子供は、 自らを取り巻く“呪い”に対して、今更過分にも抵抗しようともがいているということなのだろうか。


それは、なんて、


苛立たしい。

そこでようやく、宮田は抱いた感情の正体を理解した。苛立ちだ。


勝手に“この部屋”に侵入したことや、何かに向けて手を伸ばしていたことよりも、 子供が“愚か”であったことが許せないほど腹立たしいのだ。

薄暗い部屋の中、普段、閉じたままだったはずの前戸が開け放たれ鈍い金の装飾を露わにする“仏壇”が覗き、 無音の仏間に、何をするでもなく黒衣を被った子供が立ち尽くす。 まるで、人ならざるものが立ちすくんで、この世を去ることが出来ずに迷っている。そんな印象を抱かせる風景。






どうせ“ソレ”からは逃げられないのだから、早々に諦めてしまえばいいものを。



「何をしようとしているのですか」



それは、まるで悪い事をすると落ちてくる“神様のバチ”。


声が響いた瞬間、黒衣のなかで、唇が戦慄いた。 しかし、それが曝されることはない。 今、音もなく出た吐息を悔むように、強く唇が噛みしめられたことも、幕の外にいる者には見えはしない。






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あとがき




何だか書くのも読むのも精神的にキツイ展開が続いてぐあああと来ます。
どうしたプロットを作った過去の自分。なんぞあったんか。
高望みとは思いつつ、もっとこう…ううん…

最近、注意に嫌われ要素も追加したほうがいいかもなぁ、と、思ってるんですが、
本人を嫌ってるというか、そういう役割というか、変な設定(+今後の展開含めて)なので悩むところ…