▼盲目と聾唖








儀式まであと一年となり、宮田家に預けられることになった昼子にとって、 その機会は、好機とも、危機とも言えた。

2002年の春、医師として村に帰ってきた宮田の存在を知った昼子は、 異界に取り込まれる予定のほかの人物達と同じように、宮田との会話を考えていたが、 外を歩きまわることを黙認されてしまっている今では、“宮田”に連絡はいかず、 先代の時のように否子を神代家へと連れて行くために宮田司朗が昼子の前に現れるということはなかった。

よって、村唯一であり多忙であろう病院に勤務している宮田に会う機会は、昼間行動している昼子には恵まれていなかった。 いつかは対策を考えなければならない、そう思っていた。しかし、残り約一年弱という今になって、 神代家の意向から、宮田の家にその身を寄せることとなり、対話をできる最高の環境に予期せずなった。

だが、昼子にとって、よほどほかの人物よりも、この“宮田司郎”という人物と会話するというのは難しく、 他の人物達と比べて距離がとても近くなってしまった分、接触のやり方を考えなければならなかった。




“宮田 司郎”

村にあった普通の家庭で生まれたはずが、天災に巻き込まれ、両親が亡くなり、 神代に最も支配されているといってもいい影の家に引き取られた赤ん坊。

自分と同じ顔をした双子の兄は、神代に最も関与している家に引き取られ、 何時であろうと目の当たりにできるその理不尽をひたすら内包し続け、 膨らみすぎた風船のような、いつ破裂するかわからない生い立ちと相反して、静かで理性的な、 神代が求める“宮田”の姿も、患者が求める“医者”の姿もしてみせる人間。

医師として人の命を助け、宮田として人の命を奪い、 その二つの行為の間に横たわる矛盾と、そこから生まれる激情を封じ込めているのは一体なにかと考えた時、 それが村の信仰であるなら、その姿はとても信仰心のある質かと思われるが、 昼子の持つ記憶からして、どうやらそうではないらしい。 宮田司郎は、盲目に、宗教に対して忠誠を誓って矛盾を肯定できるほど、無知ではありえない。


医者という役割のほかに、村の信仰を円滑にする、異分子を取り除く役もしている“宮田”は、絶対的な信仰のカラクリを知っている。 また、村に時折現れる“化け物”も最終的に行きつくのは病院であり、信仰を道具と考える現実主義というわけにもいかない。 加えて、今から26年前の前回の儀式の失敗によって、一度は異界へと飲み込まれた二人の赤ん坊には、 現世に戻り、成長した今でも、異界から、神を否定する“囁く声”がその耳に届いているという。 だが、これらの様々要因を持ってしても、宮田司郎は、村を支配しているものに対して客観的になれる立場でありながら、 外から村へと自主的に帰り、自分の手を汚し、神代に従っている。

信仰心も無く、利益もなく、その立場を望んだわけでもないだろう。では、何故、この役割に準じているのだろうか? その理由こそ、昼子が触れようか振れまいか、惑うことになる彼の要因だった。




彼は、恐らく、

神代に従わない自分というのがわからないのだ。


神代に従う自分というもの以外を削り取られ、それ以外を持ってはいけないと、強固な殻が厚く厚く、形成されてしまっている。 従事する自らを、どんなに疑問を思おうと、どう突き詰めようと、“自分”という者の前提が“神代の命令に是を唱える”存在なのだから、 従わないわけにはいかない。しかし、前提の殻に包まりそれに従っていることが楽かというと、そんなわけがない。

人の、自らは包む殻は、成長するに従って増え、上から降ってくる責任という名の“石”から自分を守るためのものとなり、 乗った石が増えるごとに、段々と厚くなって中身を押し潰し始めて、自らを殺すのだ。 次第に息が詰まって、居場所も狭くなる。外の光も、音も届かない、酷い場所へと変わっていく。 だが、もし、ここで殻の存在に否を唱えてしまったら、殻が粉々に砕け、 柔らかかった中身は、降り積もった石によってぐちゃぐちゃにされ、正体を失う。自分がなくなる。

“死”だ。

思い込みではなく、“唯一の理由”で生きている人間は、
負担だろうと不利益だっただろうと、その理由を不意に壊されたとき、本当に、死ぬ。 生きる道筋から足を踏み外し、溺れるように、届かない手を天に伸ばして、肺を叫びと悲しみでいっぱいにして―――――それを、昼子は知っている。


生まれたのは殻が先か、それとも殻の上の石が先か。

殻を作らなければ、石に身が潰れ、 殻の厚みを増やさなければ、積み重ね続けられる石に耐えられない。 だが、厚ければ厚いほど殻の内側は狭まり、息が詰まり始め、暗闇に閉ざされ、音も遮断され、関節は砕かれる。 しかし、もし、それに耐えかね、逃げ出そうと無理やり殻破れば石が落ちてきて中身が潰れる。

逃げ場なんてないのだ。誰だって、人が生きている限り。


だから、無責任に、役目である「その殻を破ってしまえ」とは言えない。言いたくない。 その言葉を言うには、まず、石をどうにかすべきなのだ。 しかし、そうするために、口を開こうとも、宮田にとって、昼子の立場というのはよろしくない。 神の花嫁の“双子”の“否子”。昼子の立場はあまりに宮田の理不尽を彷彿とさせ、穏やかではないのだ。 だから、よほどほかの人物よりも、この“宮田司郎”という人物との会話は難しく、昼子にとっては特別だった。


だが、ひとつ、昼子にとって幸いだと思えたのは、前にも述べたように、 いくら宮田が神代に従おうと、信仰に対しては、信用をもっていない、ということだ。 彼にとって石を支えている殻は“神代の命令に従う人間”というものであり、 “眞魚教を信仰する人間”というものではない。 ここが地図を渡さないとした神代淳と、地図を渡す予定の宮田司郎との決定的な違いでもある。


“従順”と、“信仰”

その相違に気をつけることができれば、会話をし、協力を仰ぐことが可能かもしれない、と昼子には思えたのだ。



そして、ここまでは宮田の家に身を寄せる前までに、考えていたことだった。


だが、宮田の家にきて、同じ家で生活するのだから、計画がバレる可能性も高まるものの、 宮田自身と向かいあうことが多くなった今でも、昼子は迂闊な言葉を飲み込むばかりで会話ができていない。 それどころか、今、村にいない協力を仰ぐ予定の人物たちと、どうにか連絡を取るという問題も、 用意する荷物を手に入れる方法も、村に居て、会話できる位置にいる人々と会話することすら拙い。

村人の態度は昼子が思っていたよりもずっと頑なであり、 他愛無く掛けたと思った言葉から向けられる、熱のない一瞥から続く、億劫そうな無視や、怯え、 とうに慣れたと思っていたそれらが、今になって、焦燥と熱い残酷な刃となって昼子の足を竦ませた。 意味もなく落とされる言葉は、形を持たず、空気になって消えていく。それが、

悔しい。

昼子の味方であり共犯であり、目的であった美耶子と離れてしまったことも不安を呼び起こしていた。 美耶子の影を持たない羽生蛇村は、平穏そのものに見えた。 妹の傍に居たときは、美耶子が絶望の象徴となり、躍起になれていたのかもしれない。 けれど、こんな穏やかな生活を垣間見ていると、こんな静かな村で、何故、自分は一人で平和を叫んでいるのか、 わからなくなる瞬間が訪れる。

例えば、名前も知らない小学生達が田んぼで遊んでいる風景や、 赤ん坊を背負って散歩をする母親、干し柿を吊るした縁側に座り込んだ老人が猫を撫でているところ、 世間話をする村人に、夕暮れ時の夕飯の匂いで包まれる商店街。

まるで、人が理想とするような人間の営みが垣間見えるそのときに、唐突に 「自分は狂っているんじゃないか?」 そう思ってしまう。

記憶は嘘だったのか?そうではないだろう。しかし、そうだとしたら、来たる8月の日に、彼らがどうなるのか? それを見捨てると決めたのは自分だ。しかし、その事に対して、当たり前のように嫌悪を抱くのも自分だった。 昼子は考える。

その嫌悪を解消するために、今からでも神の首を破壊するか?
――まだ首の破壊されていない時間へと戻った黒幕が首を取りにいくだけだ。


黒幕に儀式の無駄を解きに話しにいくか?
――そんなのなんなる。美耶子はまだ神の花嫁としての役割を失ってはいない。


それでも、なけなしの自尊心の為に、動いてみるか?
―――そんなのは諦めで、体の良い自殺に違いない。


堂々巡り。

全てにおいて、見通しの甘さを痛感することもある。足を引っ張っている、“掟”を恨んだこともある。
戸惑いながらも無視を続ける人間に、掌に爪を食い込ませたこともある。

そして、時折、息が尽きるまで、叫びを上げたくなる瞬間が、昼子には訪れる。

まるで、自分の命を食むモノに悲鳴を上げるような、
どうしようもなく、誰に聞かせるわけでもない、孤独な声をあげたくてたまらなくなる。
けれど、その声を上げてしまったら、もう、駄目だ。そう思えた。


だから、昼子は、震える喉を自らの手で緩く締めて、
声を塞ごうとしてみては、ざらざらと喉の面膜を掠めていく吐息を確かめる。






【インプリンティング】

刷り込み、刻印付け、とも言われる。鳥類および哺乳類の一部にみられる、
生涯の特定時期に短時間で行われ、その後長い間継続するといった特殊な形の学習のこと。
鳥が卵から孵った時目にした動き声を出すものを親だと認識し、それを雛は追いかけるといった習性など。







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あとがき




一人でやってきたツケが巡って来たようです。嫌ぁな雲行き。
宮田先生の信仰心は薄いか?ですが、まぁ…見つけた石碑を足で蹴り倒していたので、厚くはないような気はします。