▲罪




父が死に、救導師を継いだ牧野にとって、残りの学生生活というのはとても貴重なものだった。 日曜に行われる礼拝のために救導師の装束を着て、月曜からは学校に行くためにワイシャツに腕を通す、 すると肩が少し軽くなるということに、とうに気がついていた。

村の人々に救いを提供しなければならない自分が、まだ周りから学生として見なされるということが唯一の逃避になっている。 だが、それも有限だろう。自分を責任から解放してくれる制服は、あと一年と少しで二度と着れなくなる。 父が生きていたなら、もしかしたら、牧野は高校へと行けたかもしれないが、父がいなくなり、 国から下された教育の義務の範囲から脱すれば、八尾から与えられた義務から逃れる免罪符はもうありはしないのだ。


中学の教育を修めたら、“子供”は死ななくてはならない。


その象徴ともいえる制服を着て、残り少ない子供として許された期間を大事に過ごす。 しかし、そんな潔さも、車輪の取れかかった車の玩具のように、不器用に軋んでその場でのたうつだけだった。 日々を特別に愛おしもうとしても、無味無臭で何でもない日々は指の間からうっかりと通り過ぎる。 その姿を傍観しながら、ただ焦りだけが積もって、これから取り返しのつかない場所へと進むというのに、 “何”も起こらないことに、苛立ちのような不安が湧き上がってきた。

“間違っている”

だが、“何”が間違っているのかと問われても、答えるだけ具体的なものなど持ち合わせていない。 “世界が間違っている”なんて、個人の価値観で変わってしまうことで、決めつけてしまうことは、ついにできなかった。


そうして、日々は過ぎていく。自分なりの抵抗を牧野は示してみようとしたこともあった。 内容は矮小で幼い抵抗だ。親と喧嘩をしたという友人と一緒に、森に外泊をし、一晩、家出をしてみることにした。 それでも、実行していたときは、とても大それたことをしている気分だったし、心が踊っていた。しかし、結局のところ、 暗い森の途中ですっかり不安になって、いつもより遅い時間だがそれぞれ家へと帰ることになった。 もちろん、そんな反抗期にもなれないような抵抗は軽くいなされる。

翌日には、森の中を彷徨い汚れた衣服が、すっかり綺麗になって風に揺れ、それを干しながら八尾は牧野に微笑んだ。


「あんまり危ないことはしてはいけないわ。慶は救導師になるだから。ね?」


逃げられない。そう思った。

そして、その微笑みを見て、わからなくなった。 あれはもしかしたら抵抗なんかではなく、ただ、友人が、よく母に怒られ、それにうんざりしていると聞いたものだから、 “母”というものはそういうものなのかと思い、同時に浮かんだ不安を解消しようとしただけだったのかもしれない。

母は、子が、夜遅くまで起きているだとか、片づけをしないだとか、そういうことに関して、子を思って叱って躾をする。 けれど、牧野は、親が子を叱る怒鳴り声と、嫌悪して否定する怒鳴り声との見分けがつきそうになく、 “悪い子”のようなことをして、そんな子は要らないと捨てられないように、ずっと八尾が望む“良い子”でいた。 だから、牧野の記憶のなかの八尾は、いつだって、微笑んでいるだけなのだ。

だが、もしも、自分が悪いことをしたら?

“母”というものと、自分を育ててくれた女性とを重ね合わせようとして、 それぞれの輪郭からこぼれ落ちてしまった齟齬に理由を求め、それが得られずに、足元を崩していく。 母親であって欲しい、そう思って無断で外泊をしてみようと思った、けれど、微笑んだ優しい顔から分かったことは、 彼女は、母でも、何者でもなく、

“牧野に救導師を与える人”ということだった。

けれども、同時に、その顔が怒りに歪まないことに安心を覚えもした。確かにした。 八尾は優しい。寂しくて泣けば八尾がいたし、“恐ろしいこと”に不安に思えば傍に居てくれる。 逃げられない。悪いこともしてはいけない。それを失うということは絶対にしたくない。 なぜなら、八尾を失ってしまったら自分を守る庇護はなにも無くなってしまうから。



―――“父”に関する齟齬を見つけたのも、丁度、この頃だ。 きっかけは、偶然にも聞いてしまったものであり、その内容は “前救導師は、儀式に失敗していた”というもの。 そのことを知って、牧野に救導師を継がせることを、謝り続けた父の姿を思い返した。

話によると、父の儀式の失敗は、土砂崩れという形を持った災いになって村を襲ったのだという。 それは、牧野の本当の“父”と“母”が亡くなった原因でもある。

その時、唐突に疑問が浮かんだ。―――何故だろう? なぜ、災いで家族を亡くした子供を、儀式の失敗で災いを起こしたとされている救導師にしようとしたのか? なぜ自らの庇護に引き取ったのか?幼くして両親を亡くした子を哀れんで自分を育ててくれたのだろうか? それとも罪滅ぼしの為に、拾い上げてくれたのだろうか?

…もしかしたら、次の救導師の為に、丁度そこにいた赤子をただ席に据えて、 自分の役目を果たし、跡を継がせるため、だろうか。 あの人は“救導師”を“誰か”に押し付けたかっただけだったのか。

そうかもしれない。

そう思う確信があった。

なぜなら、あの人は兄弟のうち、たった“一人”にしか“牧野”の名前を与えなかった。 あの場にいただろう双子の兄弟の片割れは、 息子を亡くしていた自分の妹の嫁ぎ先である”宮田”に与えてしまったじゃないか。

そう確信したとき、必死に取り繕い、捉えていた父親という輪郭が崩れ、 そこには、何もかもを無くして自嘲を浮かべ、黒い衣服を纏った自分の肩を背後で抱く、一人の男が居た気が牧野にはした。 救導師は、大衆を救い、導く者だ。

だが、数多の人間に対応できる便利な救いは、たった一人の救いにはなりえない。




自分に向けられていたものの全ては、自分が求めた関係に基づくものではない。 二人とも、何かしらの目的があり、利用するのに都合がよかったのが牧野だったというだけ。 けれど、それは牧野も例外ではないのかもしれない。 生き物の本能として、生存するために庇護を求めるのは最も原始的な本能だ。 そして、とても居心地のいい庇護である両親が居なくなってしまった子供は、 自分を守ってくれる場所に執着しなければ生きることができない。 守ってくれるよう、代価を払いながら。

利用し、利用され、そういう関係にいるのだと自覚があるからこそ、 庇護をくれる者に不利益を与えるわけにはいかないのだから。




そして、“父”と“母”を失った“子供”の牧野にとって、 “家族”という関係性のうち、今、残されている役柄は、唯一の血の繋がりであり、 今まで顧みることのなかった弟と関係する“兄”という立場だけだった。


支払った代償分の溺れるような優しさで誤魔化しながら、救導師としての自己を保ち、 ほとんどないだろうその絆が途切れないことを密かに願う。


苦かろうと、苦しかろうと、
“利用”という関係以外の繋がりは、牧野に“罪”を与える、弟だけだった。
















▼罰



いつ人が来てもいいように開け放たれた教会の入り口から、暗い室内を見る。 黒衣を挟んで暗いのだから、本来なら薄暗い程度だろうが、床に溶け込むようにして跪き、 神に祈っている黒い服の後姿を見て、昼子は息を吐いた。

いつもこうだった。

八尾が神代へと行き、教会を出て、その隙を狙って昼子は牧野のもとへとやってきていたが、訪れるといつもこの場面に出くわす。 膝をつき、一心に祈るその姿は、信心深い教祖の姿というよりも、 罪人が必死に許しを乞うているように見えるのは、昼子が持つ記憶のせいだろう。


牧野が救導師という立場に対して不安を持っていることは知っていた。 双子でありながら赤ん坊の頃、たった一声鳴き声を上げたかどうかで理不尽にも立場を分け、 家が違ってしまった兄弟のうち、村を救う役をさせられている兄。

弟のほうはどうしたかといえば、村の裏方をする家に引き取られ、 村をまとめる信仰を滞りなくするために手を汚す役をしている。

その理不尽を、手を汚すでなし、傍目から見れば村の信頼を集めている牧野は、 村人の期待に押しつぶされそうになりながら、弟に向けて罪悪感を募らせている。


その不安を和らげるために彼が八尾に縋っていることも昼子は知っていた。

しかし、不安を和らげるのが八尾なら、牧野の不安の源である“救導師”を与えているのも八尾だ。 だから、本質的には、縋っても縋っても癒されることはない。だから、八尾が居なくなると、牧野は神に祈るしかなくなるのだ。




その姿に向けて、入口からわざと鈴のついた足で踏み出した。すると祈っている肩が揺れる。 過去のことを考察していても仕方がない。昼子には昼子の目的がある。 頭を切り替えて、提示する。―――今日はどうするのだろう。

教会に訪れた昼子に対して、牧野は祈ることで見ないふりをしていた。けれども、前回は無理やりに、こちらを向かせた。 昼子だって何度も同じ手でやり過ごされてはたまらない。しかし、随分強引な話題を前回持ちかけていたから、少し不安だった。

場合によっては、敵意を持たれたかもしれない。


「こんにちわ」


幻視の利かなくなる範囲に近づき、いつもと同じように声をかけた。祈っている背中が少し丸くなり、頭が下がる。 だから、同じように祈りながら耐えるつもりかと思ったが、そうではないようだった。 合わせて組んでいた手が解かれ、意を決したかのように息をしたらしく、両肩が上がり、そして、ゆっくりと立ち上がる。 最初は伏し目がちに振り返り、正面に向き合うようになると、目が合った。


「こん、にちわ」

望まれる教会の長として笑みを浮かべようとしてみたらしく、ピクリと口端が痙攣したが、 すぐに閉じられた。返事を返してしまったあとなのに、そんな自分に戸惑っているらしく、合っていた目が泳いでいた。 昼子はというと、無視をしない牧野に対して驚き、しばし呆然としていた。


「…今日は、無視されないんですね」


そして、思わず飛び出た言葉は、本音とはいえ、随分皮肉じみていた。 無視されていたのは昼子だというのに、その言葉で悲しそうに眉を下げてしまった牧野に対して、 続けて、場を取り持つように「どうかされたんですか」と昼子は問いかける。 散々話しかけておいて、無視が解けるとその理由が知りたかった。


「この前の、その、救済の義務の話、なんですが」

「はい」

「……、少し、話をしても、いいでしょうか」

おずおずと切り出した牧野に、黒衣が縦に振られた。




***




「まず、何を話しましょうか」


やっと話をする機会にありつけた。内心得られた機会を喜んでいた昼子だったが、ゆっくりとしている時間はない。 八尾が神代から帰るまでには、それなりには話しておきたかった。 教会内のベンチに並んで座り、昼子はさっそく切り出した。

「その、昼子様は、御主様の救済を信じてはおられないのですか?」

「自分の命を奪う信仰の神様を信じるというのも変な話でしょう?」

「それは…」

牧野は口ごもる。否子の処遇について、納めるだとか、御主にお返しするだとか、 そういう風に教えられてきたが、言い方が違うだけで、実際、昼子のいう通りだった。


「否子は“この世に要らない子供”。
 一般家庭において様々な理由で否子となってしまった子供は、私のような格好で
 決められた生活を過ごしますが、神代に生まれた否子は少し意味が違い
 “この世に存在してはいけない子供”です。
 本当なら、産まれてすぐに天戸へと納めなければならない。

 けれど、私の場合、生贄の娘の双子として産まれてしまったがために、どちらが本物かわからなかった。
 そして、見分けがついた今、生贄の保険として生かされている。
 しかし、儀式が無事に終われば、本来そうであったように、私は天戸へと納められるでしょう。

 救いどころか、私の首を絞めるのはいつだって信仰です」

「……」

「けれど、それを変だとは思っていません」

「なぜ、ですか?」

「救う義務というものは、何者にも無いからです」

「義務…」

「救いたいなんていうのはあくまで個人の感情です。義務なんてどこにも無いし、責任だってない」

「…そうでしょうか?救いを差し伸べてそれができなかったとき、責任というのはやはり生じるものなのではないでしょうか」

「それこそ理不尽じゃないですか。途中で手を引っ込めてしまったならともかく、
 自分から手を差し伸べて、様々な手を尽くして、どうやっても救えなかった時、何もしなかった他人に責任を問われるなんて」

「…しかし、救うと言ってしまった。その言葉を信じてきた人はどうなるんです」

「信頼に支払える代価は信頼しかありませんよ。それ以上を求めるのは思い上がりです。

 けれど、例えば、自分は貴方を救うことができると看板を掲げ、やってきた人が信頼ではなく報酬を支払ったとしましょう。  しかし、報酬をもらった時点で、それは業務にすり替わります。受け取った対価に似合う物を渡さなければならない。  それは当り前のことです。しかし、報酬と労働で成り立つそれを救済と呼んだら、宗教も信仰も、神も、商売ということになります」

「それは…乱暴ではないでしょうか」

「何かをするにはお金が必要です。運営費や維持費、生活費、受け取らなければ生きていけませんから。
 しかし、その場合、“話を聴く”だとか“貴方は悪くない”と言ってあげるという行為は、
 受け取った報酬に似合ったものでいいんです。商売なら基本は価値の等価交換ですから。

 そして、そこに、自分自らが「この人を救ってあげたい」と望んだ分を上乗せする。それは構わないと思います。

 これが個人の感情の「救いたい」。対価を伴わない、もっとも純粋なものです」

「……」

「けれど、報酬とその気持ちの分、試行錯誤して、結果、
 その人が救えなくて、周りから責められるのは可笑しい。
 報酬に見合う分のものは行っています。個人の感情も含めて、試行錯誤をした、
 それでも救えなかった。どこに落ち度があるんです?

 逆に、例えば“確実に訪れる死から生存する”という救いを求めた場合、相手に義務を課すには、
 …一体どれだけの何の対価を支払って、それをどうやって受け取ればいいんでしょうね?」
 
「私は…」

「救いを全うできなかった責任なんて、神にも、肉親にも、恋人にも、友人にも、…もちろん、貴方にだってない。
 よって、神であろうと、個人だろうと、罰を下すのは可笑しくはないですか?」

「しかし…ッ」

「そもそも、他人を救えないことで貴方に罰を下す神なら、
 貴方を救えない神だって罰せられるべき、ということに」



そういうことじゃないんです!!



叫びが教会のなかで響く。 五本の直線が重なり、生の上下を反対にさせた眞魚十字をジッと見つめていた昼子が、急いで牧野に目をやると、 牧野は、自分の声に驚いたような顔をしたあと、小さく、「…すみません」と思わず浮いてしまった腰をベンチへと戻した。

昼子は教会の入り口へと目をやる。ケルブはまだ来ていない。


「…私こそ。すいません。…あまり、時間がないんです」

「時間?」

「いいえ。…そうですね、私は、
 救済できなかったことで他人に責任を問われるのはお門違い、だと思っています。
 その追求は、責任を問うその人にも降りかかってきますから。「お前はどうなんだ?」って。

 …けれど、救済できなかったことで生じる責任が、もし、あるとしたら…」

「…それは?」



「自責です」



「自責?」

「“自分を裁くのは神ではない。神は、自分で自分の行いを反省するために使用される概念である。”

 例えば“悪いことをするとバチが当たる”という言葉で語られる報復は、考えればなんの脈略もありません。
 棒を押した、棒が倒れた、そういう因果関係がないんです。
 けれど言葉の真意を考えれば何が言いたいのかはわかります。
 この言葉の真意は、“悪いことはしてはいけない”です。

 なぜ、悪いことをしてはならないか。そんなこと、一々説明する必要なんてありませんよね。
 本当に難しいのは“なにが悪いことなのか”です」


滔々と語ると、昼子は一度、牧野を確認した。戸惑いながらも牧野は頷く。


「それを自らに問いかける存在。善い人間であろう。バチが当たらぬように。死んだら天国に行けるように。
 そういうものの指針として奉られたのが“神様”というものです

 けれど、神様自体は、何も言わないし、罰も下さない。
 それが分かっているからこそ、人間は、法律とルール、“掟”を作った。
 なら、何が、人を善い存在であろうと駆り立てるのか。

 ―――それは自責です。

 自らの罪を認め、自らを責め、その罪を償う。
 善い人間というものを模索して、正しい方向に進化できるように。
 だから、神様は答えなんて用意してくれない。
 神様のバチというものは、人間の自責の権化である、という説です」

「…自責…」

「この世界に神の姿を見た者はいないのに世界中に散らばる神と言われる存在は人間の悪しき行いに罰を下す。  無意識に自分を否定し、怯えることで、命というのは永らえてきたんです。
 だから、あながち信仰するというのも間違ってはいなくはないですか?」

「…そんな」

牧野の首が横に弱弱しく振られていた。
流し込まれる言葉を塞き止めようと、掠れた声で願う。
だが、昼子は言葉を止めない。


――― 一体、この世界の誰が、神の姿を見た。




「自責を奉り、苦しみを捧げ、救済を望んでも、
 自分を責めるのは自分なのだから、救いなんて降りて来るはずがない。」




「嘘です」

呆然として牧野は否定した。もし、そうなのだとしたら、救いなんて降りてこない。 全てが無駄だ。そして、“救導師”と名乗っている人間は意味を無くす。すると、残るのは一体、誰だろう?

「もう、やめてください。お願いします。私にはこれしかないんです。私には…」

「…人を救うのは本当に難しいんですよ。近しい人であれ、遠い人であれ、誰だって」

一度、言葉を切り、昼子は、一度、頭を抱える牧野を見て、視線を外した。


「何が救いか、なんて誰にもわからない。

 自分自身のことでさえ、どうしたら救われるのかをしっかりと自覚してる人は少ないと思います。
 例え、こうしたら救われるに違いないと思っても、結果はわからない。
 だから、他人がどうこうして手を尽くしても、極論的に言えば、本人が不幸だと思えばその人は不幸です。

 それをどうやって救いましょう?

 無理です。

 揺るがず自分が不幸だと思っている人を救うことなんて、」



だから、



言葉を強めた昼子は怒っているかのように言う。その声を聞いた牧野は恐る恐る顔を上げた。
黒衣を被った頭はまっすぐと再び眞魚十字を見ている。
はっきりと告げる言葉は、まるで宣戦布告のようだった。


「だから、救われるには、自分で自分自身を救うしかないんです。全ての救済は自分次第、


 人は自分で勝手に救われる。」


そして、昼子はベンチから降り、茫然としていた牧野に振り返った。


「貴方が他人を救う存在に固執するのは別に構わない。
 けれど、その存在を継続させることに重責を感じる必要はないと思います。その責任は、貴方のものではないですから」


「……どうして」

牧野は不思議だった。その瞬間、昼子という人間そのものが不思議だった。
昼子はまだ10かそこらの子供だったはずだ。しかも否子として人と関わらずに生きてきた、 それなのに、その考えは一体どこから生まれたのか?


「すいません、そろそろ、行きます」

「え」

教会の入り口にはちらちらとこちらを窺う白い犬が、焦るようにこちらに頭を見せたり、 道の向こうを気にして尻尾を見せたりしていた。 それに気づいた牧野は、その犬に見覚えがあった。あれは美耶子の白い犬だ。

「待ってください!」

八尾のいないときに現れるのは偶然ではなかったようだった。あの双子は離れ離れになったというのに仲が良い。 それにも疑問が湧いた。けれど、まず何よりも疑問だったのは、なぜ、昼子はここに訪れ、 無視する牧野に屈することなく何回も足を運んだのか、ということだった。 謝ったのを皮切りに、焦ったように教会の入り口へと向かう昼子に、牧野はその疑問を投げかけた。


ここに貴女の神は居ない。
貴女の首を絞める信仰しかない。
貴女の救いはありはしない。
じゃあ、ただ椅子ばかりが用意されたこの建物に一体何の用があったのか。



「どうして、ここを訪れたのですか?」



振り向いた昼子が当然のように牧野に言った。




「貴方と話したかったからです」






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あとがき




原作の牧野さんはもっと八尾さんに盲目的だと思います。 この話の中の牧野さんは、理不尽に区別されてる双子がもう一組ある状態+神の花嫁に異例がひっついている状況、で、 余計にストレスがかかってるので、それなりに目隠しがとれて…ればいいなぁ、という希望的な観測をしています。 それから、まるでこれが正しいかのように主人公に喋らせてますが、この子もだいぶ偏ってるので、 喋っていることが、一慨に正しいとは言えないと思います。全ては人によっていろいろです。

そうそう、この前、書こうとして忘れちゃったんですが、八尾さんが前救導師だった怜治さんの死について冷たかったのは、 八尾さんにとって“自殺”はきっと許せないだろうなぁ、と思ったからです。 プロットにあったセリフのメモから引用すると「自分で死ねるなんて贅沢ね」

次はようやく、宮田家に預けられた2002年が舞台です。しかし、どうあがいても捏造