夢はその者の無意識の集合体であるか?
治療のあとの数日間、彼女の言う通り、意識が朦朧となるほどの熱が繰り返され、スクアーロの意識は途切れ途切れになった。
雨にうたれた傷口が膿む寸前にまでなり、彼女が舌打ちをしながら処置を繰り返し、「死ぬな!」と彼を叱咤する。
その声を聞きながら、熱のうなされる彼は現実と過去のフラッシュバックの入り混じる意識の中で、
「そんなに死体を処理すんのが嫌かぁ?」と、嗤いながらうわ言を言ったような気がした。
彼の脳裏では、8年前のクーデターのことや、苦渋を舐めた8年間の空白、
そしてこの前のリング戦での敗北が繰り返し、繰り返し、
焼ききれる映画のフィルムのように、瞬きながら流れていた。
あの時も、あの時も、なんども彼は死を覚悟してきた。
―――けれど、
今まで死んだことはなかった。
妙な悔しさを覚えながら思うのだ。
一度目のクーデターの失敗の後も、彼を捕らえたボンゴレは子供故の過ちだと、彼を殺しはしなかった。
リングを巡って争って負けたときも。潮の満ちるステージに倒れた彼をあろうことか、対戦相手自身が助けて生かそうとまでされ、
さすがに、その手は振り払ったけれど、結局は、敵に手当てをされて助かった。
そして、二度目のクーデターの失敗の後の今もそうだ。
生きている。
信じられないほどの甘さをもった相手のせいで。
彼は苛立ちながら拳を握り締める。
―ふざけるな。
何時だって、自分の行動への覚悟は決まっていた。そして、失敗したあとの身の振り方も。例え、その後の死だって。
歳が若かろうと、深い水のなかに気を失ったまま放り込まれても、そのなかにいる鮫に食い殺されようとも、
この覚悟は絶対で、スクアーロの誇りだ。
それほどの覚悟をもって、相手の喉笛を噛み切るために行動を起した。
けれど、喉笛を噛み切るはずの相手に、頭を抑えられ、丸め込まれ、そして、覚悟をも、白紙にさせられた。
―なぜ殺さない?
―なぜ、あと少しで命を噛み切られそうになった相手を生かしてられる?
悪夢は彼を苛める。
フラッシュバックは一度目のクーデターの失敗の後、拘束され、白い地下室に入れられ、
自分達の行く末の宣告を告げに来た男を嘲笑い、ここまでしたやったんだから、行く先なんて“死”に決まってんだろ?と
言い放った瞬間を映し出した。どこか高揚して猛っていた心は、まだ子供だからという、そのあとの否定によって、
身の真ん中が抜け落ちて、言い知れない苛立ちに満ちる。
そして死んだように生きた灰色のような8年間。
その後、映像は極彩色の赤に焼かれ、自分が心酔した男が帰ってきたことを知る。
自分は、今度こそと再び剣をとり、前を見据えるも、勝負に負け、暗色の鮫に食われた。
そして戻ってきた二度目の白い部屋。
それはぐるぐると、繰り返される。
なんどもなんども下される、覚悟と誇りをそぎ落とすような宣言。
子供だからなんなんだ、あの覚悟は8年たった今だって1つも変わっちゃいない。
なんで殺さない、二度も殺そうとしてやったのに。
人を何度も殺めたことのあるだろう、人殺しのくせに今更、何を聖人ぶっているのか。
ああ、だけど、この苛立ちが罰だというなら、そうとう悪趣味な奴らだなぁ。
―ふざけるな!
今までの鬱屈の箍が弾けとんだようだった。
彼は熱に魘されるまま、何度も何度も、死を覚悟した瞬間を見せられる。そして生かされる。生きる。死を見る。何かを望む。
その悪夢の合間に現実の彼女の「死ぬな!」という声を聞いた。
彼には、まるで彼女に生かされているような錯覚がして、彼は彼女の顔を見ずに、苛立ちのまま冒頭の台詞を吐いた。
―誇りに殉じた死体は、そんなに見苦しいものなのか?
そこには、黒い渦があった。
黒い醜い渦のなか、自分は中心で渦を睨みつけているようだ。ザーザーと渦巻く黒い渦のなかにはボンゴレの9代目を初め、
門外顧問の沢田家光、リングを奪いあったあの日本刀の少年、そして、ボンゴレの血を受け継ぐ小さな少年の姿が見えた。
その者たちは、皆、哀れみと諦めの表情でこちらを見下してくる。
―ああ、切り裂いてやりたい。
そうすればわかるだろう。お前達が殺さなかった男が、いかに危険でお前達を殺す覚悟を持ち合わせていたかを。
渦は大きくなり、彼の身長を飛び越えて彼を包み、その闇は漆黒のように深くなり、彼を孤独にする。
やがて、渦は壁になり、空間になり、その黒い空間に、眉をハの字にして必死に叫ぶ女の姿が浮かんだ。
見慣れていた無表情と違っていたため、一瞬誰か分からなかったが、確かにあの妙に丸っこい白い部屋の女だ。
次に、頬にポタリとなにかの雫が落ちる感触がして、彼は“ああ、現実はこっちか”とぼんやりと思って目を閉じた。
その後を追うように反響する「生きろ!」という女の声がした。
―別に、
―殺されたかったわけじゃない。
繰り返される映像が止まった。ざりざりと吹き荒れる砂嵐に向かって、大きな水の玉が落ちたように、
風は止み、砂は水中でゆるやかに舞っている。彼はそれが心地よくて、夢のなかで再び眠った。
それは、夢を見ない、深い深い海の底に似た眠りだった。