暗闇に詰め込まれた、肉食動物と草食動物は弱肉強食に則るか?
だんだんと、痛みも焦りも、遠くなっていく。まるで暖炉の前で雨がやんでいることに気がついたときのようだった。
きっと睡眠薬が効き始めているのだろう。彼は、彼女が読んでいる本のページをめくる音を聞きながら、
多くなった遅い瞬きを自覚して、繰り返した。
「ずっとここにいるつもりかぁ?」
「なにかあったら対処する。死なれては困る」
「ほっとけぇ」
「無理だ。今夜あたりから高い熱が続くことになる」
「……」
「…あまり薬を投与しないようにはするが、飲め、といったら飲め。生きるために必要なことなんだ。死ぬな」
「……」
スクアーロは、重い瞼に逆らいながら、彼女の口数が増えていることに気がついた。
そういえば彼女も、睡眠薬を毒ではないという証明のために、一口飲んでいるのだ。
彼は少し考えて、質問を口にした。
「何で、名乗ったらいけないんだぁ?」
「……」
彼女は読んでいた本から顔を上げ、暫く、彼を見つめた。
無言ながらも、先ほど黙秘だと答えただろう、という意思が伝わってくる。
けれど、納得してはやらなかった。
「ソレぐらいは教えろぉ、こっちは何がなんだかさっぱりなんだからな」
本心からの声だった。
自分に有利なことを相手に強要するならまだ、理解できるし、考えることもできるが、名乗るなというのはいったいどういうことだ。
彼は、それに引っかかりを覚えてしょうがないのだ。
彼女は、暫く考えて、こう答えた。
「…名乗らなければ、敵も味方もないだろう」
彼女は本を閉じ、手を伸ばして、横になっている彼の目を塞いだ。
その手を素直に受け入れたのは薬によって精神が窘められているからか。
覆われた温い闇のなか、彼に聞えてきたのは、小さい子供が読む御伽噺の話だった。
「夜の嵐のなか、真っ暗な部屋の中でお互いの姿も分からないまま、
雨宿りに訪れていた山羊と狼は、暗闇に耐えかねて、ぽつりぽつりと世間話を始める。
山羊は狼のことを自分と同じ山羊と思い込み、狼も相手は狼だと思い込んで。
当たり障りはないが少しずつ、自分を教えていくような会話をして、偶然か本質か、
意気投合してしまった山羊と狼は、明日の昼に一緒に食事をする約束をして、昼間ここに戻ってくることとなった。
やがて嵐は止み、真っ暗ななか、二匹はお互いにお互いを知ることなく、別れを告げる。
再びあったときの合言葉を決めて。」
彼は大人しく目を塞がれたまま、馬鹿な山羊を思って笑った。
「まあ、食事はできるだろうなぁ」
「…どうだかな。続きは読んでない。」
だが、私達は雑食の人間だ。
「食事の約束も、合言葉も決めない。……真っ暗のなか別れ、そしてそのまま自分の領分で生きればいい。」
「それが、理由か?」
彼女は、少し黙って、「ああ。」と答えた。
そのときの表情は、彼女の手によって視界がふさがれている彼には見れるはずもなかった。
彼女はそのまま、彼に「寝ろ」と言い、手を離した。
再び本を開いて、文字を追い出した彼女を一回見て彼は、意味のない不毛な質問を飲み込み、今度こそ意識を沈める努力をした。
山羊は女か、それとも死に掛かりの自分なのか。
いつもなら迷わず、自分は食うほうだ、と断言してやるのだが、彼は今、それが分からなくなっていた。
その後、薬の効果は絶大で、すぐに彼の意識は霧散した。