白い箱の中身は一体なにか?(前半)
出てきた男の肩には狙撃銃が吊るされ、前にピンと伸ばされた手には標準的な拳銃が握られていた。
男は単身、死の恐怖によって歪んだ表情のまま意を決して銃を振りかざしてこちらに疾走してくる。
一発の銃弾が二人が身を隠している木へと着弾し、あたりに弾け飛んだ木の皮が散乱する。
スクアーロが剣を翻して、迎え撃ちに行った。
向けられている銃口にも怯まずに飛び出していった彼を一瞬傍の木の破裂音に気を取られ、止めることも叶わなかった彼女はただ目で追った。
悲鳴が聞こえた。狙撃手の方の悲鳴だ。木の傍に立ち、その攻防を茫然と見つめた。
彼女は銃を手放さない。
***
脅しても正体を吐かないだろう彼女に対して、スクアーロは自ら自分の正体を明かすことにした。
もし、自分が彼女にとっての“狼”ならば、彼女はその拳銃で殺しにかかってくるだろう。
もし、“山羊”ならば、どういう反応をするかはわからないが、とりあえず、
彼女の正体を知るうえでとても有効な選択を言葉を頼らずに判断することができる。
自分の正体を示し彼女の判断を待つ。飛び出していく瞬間の反応ではまだどちらかわからない。
だが、とりあえず、まずはこちらをなんとかしなければならないだろう。スクアーロは恐怖で叫ぶ男を見た。
自棄になったかのように突っ込んでくるだけのトリガーハッピーを哀れに思いながら剣を構え、
八方、見当違いな場所へと次々に穿たれる銃弾に見向きもしないで、立ちはばかる。
辺りに立ち込める火薬の臭い。そして、死を恐れる男の咆哮。この場に立たされて思った。
ああ、死ななくてよかった!
自分の終わりをこんな人間から与えられるくらいなら、ボンゴレの雨の守護者のほうがずっとマシ、―――いや、
誰にだって相応しいはずがない。
前のめりに突っ込んでくる男に合わせてスクアーロはタイミングを合わせて足を一歩、半歩、剣を振るった。
鉄の塊が放たれる銃口から体をずらし、まずは肩に吊るされた紐を切り落とす。
極浅い皮膚と共に落ちた潜血に染まる銃身を引き返し際、足で蹴っ飛ばし、
ぐるっと肩の重みの無くなった男が混乱しながら急いでその姿を追ったのとかち合う処へと回り込む。
狙撃手は息を飲んだ。首の下の瘤が上下するのもようく分かるその瞬間、
蹴っ飛ばした足の先から腹にかけてのよじりをスクアーロは考え、本能で振り払った。多分、千切れはしないだろ。
軸足で思いっきりぐるりと腹と体を捻り、真正面、真っ暗な円に臆することなく、その懐に飛び込んだ。
さっきよりも速く。反応する暇も与えずに、スクアーロは剣を寝かせて、拳銃を握った男の手首をぶっ叩く。
ビィイインと肉すら通り抜けて骨が声を上げて震え、伝わる強い振動は神経を麻痺させ筋肉の動きを止めた。
握力の無くなった手のひらから、ぼと、と拳銃が落ちる。
茫然と固まって掌を見つめた男が、一瞬、ぶるぶると震え手首を掴んで崩れながら悲鳴を上げた。
「う、ぁああああ!」
スクアーロはその悲鳴を聞きながら、蹲る男の傍から落ちている拳銃を先程と同じように再び遠くに蹴り飛ばし、
首元へと刃を突き付け、終えた。
息を吐いておくべきかとしたが、喉の奥が震えて駄目だ。笑えて息を吐く暇なんてありはしなかった。
結局ここがホームグラウンドであって、故郷だった。
自分の死は自分のもの。
自分に死を与えるのは誇りだけ。
なら、自分は誇りに殉じよう。
結局のところ、うだうだと慣れない風で悩んで見たところで彼が答えを見つけるのはいつでもこの中だった。
体の中で酸素が消化され、頭のなかは久しぶりに明瞭で爽快だった。ようやく、はぁああ゛と息を吐く。
白い家の中で過ごした分体が鈍っている。千切れはしなかったものの、傷のある腹も痛い。
帰ったら、修行をやり直さなければならないだろう。だが、それも悪い気分ではなかった。
動いていたほうがマシだ。
そして、傲慢にも自分に遠くから死を与えようとした男に対して、スクアーロは再び、刃を上げて、首へと振り下げようとした。
だがそこで、油を差されたように回転する脳はあることを思い出し、
彼は、もう一度、刃先を元の場所へと切っ先を戻して止まっている彼女のほうへと視線を向けた。
「なぁ」
彼女は少し離れた場所で、珍しく戸惑った顔をしながら立っていた。
その腕は下りてはいるが、まだ、手には拳銃が握られている。
「ここら辺に死体があったはずだが、それはどうしたんだぁ?」
当初のスクアーロのターゲットだった二つに分割したはずの男。
「……知らないな」
「そぉか」
返事をしながら、足元の蹲る男を見た。
こいつが持って帰ったか、目につかないだけなのか、それとも獣に食われたか。
「死体の処理は厄介だ」と零した彼女が本当に知らず、片づけたわけでないのならそうなのだろう。
命を失った死体の末路なんて戦いが故郷のスクアーロには興味がなかった。
今まで、仕事が終わった後のソレがどうなるかなんて考えたことがない。
仕事の範囲に片付けが含まれていればまた違うが、やるだけならやれば暗殺者の仕事は終いだからだ。
そして、今。
やっぱり、片づけは含まれていないだろう。
ここでコイツをやれば、同僚の一人のような趣味も無い彼はソレを放置する。
しかし、一瞬、考えてしまったのだった。
例えば、未だにその手に持つ銃で自分を撃ってこない彼女が“敵”ではなかったとして、
白い箱のような住処に戻った時、ここの片付けをするのはきっと不承不承な彼女だろうな、とか。
―――さて、どうするか。
しかし、結局のところ、行きつく場所は同じだった。
行きつくその場所に気づいている男が呻く。
「い、いやだ…俺は死にたくない」
「さっきまで、殺そうとしてた奴の言葉とは思えねぇなぁ?」
蹲る狙撃手は繰り返す。苛立ちが積もった。
それが命乞いなら彼には逆効果だ。だって、なぜなら、
誇りが無い。
「う゛お゛ぉい!!男がめそめそと!情けねぇな!」
彼はうじうじとしている男の首根っこをつかみ、持ち上げ、一喝すると、短い悲鳴が上がった。
がたがたと矜持無く震える狙撃手の男は人一倍、死が怖かったのだ。
彼が戦いのなかで取り戻したそれとは人によって違うものだ。
男にとって死は、スコープの向こう側、自分とは関係のない場所の話だった。
死とはそういうもので、ガラス越しの遠いソレがこちらに向けて手を伸ばすことは信じられないことだった。
とても、恐ろしい。死にたくない。死にたくない。
何もわからずに頭を吹っ飛ばして力を無くして崩れ落ちる“アレ”にはなりたくない。
震えて縮んだ四肢の掌のなかで、赤色の炎が人知れず灯る。