まずルールを提示したいと思う。
1つ、貴方は名乗ってはいけない。
2つ、私のことを尋ねてはいけない。
3つ、怪我が治ったら速やかに出て行き、
そして、この場所を忘れること。
貴方はこれに従えるか?
白い箱のような部屋だ。
スクアーロが目を覚まして思ったのは、そんなようなことだった。
滑らかな粘土で作られたようにやわらかい曲線で支配された、まるっこい四角の白い部屋だ。
いったいここはどこなのか。物の少ない部屋を見渡し、状況を把握するのに努めたがまったくといってわからなかった。
それはそのはずだ。
スクアーロは自分の意思でここに訪れたのでは無かった。
部屋は柱や梁の見当たらない。すべて土壁でできているのか、のっぺりとした真っ白な壁に等間隔に凹みがあり、
そこにどこか古臭い小物が並んでいる。植物のつたで編んだ敷物に、木を掘って磨きなめらかに仕上げた小鳥の置物。
それを見て、この部屋の持ち主は恐らく女だろう、と思う。
しかし、スクアーロに、それ以上のこの部屋についての詮索はできなかった。
見渡そうと体を捩ると、ずぐり、と腹が痛んだ。
ああ、そうか。
スクアーロは思い出した。
確か、任務の最中にヘマをして撃たれたのだった。
***
地面に叩きつけられ上がる飛沫がうっとおしく纏わりつく。
天気は、上からバケツで水をぶっ掛けられているような酷い雨だった。
駆り立てられるような死に直結している任務ばかりを無休、連続で受けた後、
丁度、雀の涙ほどの休みになるまえの最後の任務でのことだった。
詳細はなく、ただ斬れと言われてやってきたとあるターゲットの暗殺任務だ。
雨のなかある男を追い詰めた。その最後の最後で一瞬、気を抜いたのがいけなかった。
林の奥深く、自分の背後に隠れていた狙撃手にわき腹を打ち抜かれる。
ポツ、通りがかりに穴をあけていって外気を取り込んで、どこに隠れていたのか熱い液体が飛び出てくる。
自分の血潮が飛び散るなか、スローモーションでずれる視界にターゲットの安堵の表情を捉えた。
衝撃で緩んだ頭のネジが弾けた。
あっけないもんだ。
スクアーロはそれを聞きながら思ったのだ。そう、それはあっけないものだった。
滑る足を踏ん張って、腐りかけの落ち葉を踏み潰す。
まさかそのままずるずる地に伏せてくれるとでも思っていたのか安堵の表情でにやけるその顔の下、
すっかり血の引いて真っ白く闇に浮かび上がる、その首に狙いを定めた。一歩、進める。
あとは、流れに任せて腕を振り下ろすだけだった。
あっけない。
にやけた顔が、そのまま、ごろんと転がるのも見ずに、畳み掛けるように腕を振り、
仕込み火薬を狙撃手の居ただろう方向に爆発させた。
果たして狙撃手の息の根を止めることはできたのか。それはわからなかった。
スクアーロは移動し始める。とりあえずは任務は済んだ。ダラダラと血の湧き出る腹を押さえながら、
爆風に身を隠してその場を去った。
道なき道を進む森の中、ざあざあと飛沫をあげながら振る雨はスクアーロの身を隠したが、同時に彼の首を絞めていった。
身を隠し、現場から十分に離れたところで、血をかなり流して雨に体力を削られた彼は、力尽きて地面へと倒れこむ。
記憶は酷くお粗末なもので、氷のように冷たい地面に伏せながら、口に入ってきた苦い雨水に顔を顰めたこと、
シンシンと冷たくなる手足と反比例して馬鹿みたいに熱くなる腹が可笑しかったこと、
そして、こんなところで終わるのか。と自問して、意外とはやかったな。と彼は自答をした。
最後まで燃え尽きた蝋燭の炎のようだった。
ふいに入り込んだ湿気に心が萎えるように。終わりなんて案外こんなもんなのかもしれない、と。
そう、ざあざあという雨を音を聞きながら、自分の心臓が止まるを待った。
すとん、と意識は遠くなり、
これが死っていう奴か。
と、素直に諒解したような気がする。
***
しかし、死ななかった。
スクアーロは、肩透かしを食らったような気がした。死んでよかった、とは思っていない。
まだやることは山ほどある。けれど、きっと死ぬだろうと思っていたし、納得していた。
そして、そう、あるべきだと――――いや違う。そうじゃない。
死を諒解したと思ったのは、まともに休みをとっていなかったせいだ。そうじゃない。
無理やり自分を納得させ、その先にちらついた思考に覆いを被せた。きっとそうだ。決まってる。
頬に張り付く自分の髪をゆっくりとした手つきで、剥がす。その時丁度、自分がまだびしょぬれで泥だらけだということに気がついた。
自分が倒れたのは、屋外だった。だとすると、ここに運んだ者がいるはずだった。
敵は切伏せたし、生死は分からないが狙撃手は巻いたはず、おそらくあの時の敵ということはないだろう、と思う。
そして、その人物とは、おおかたこの部屋の主。
―――女、なんだろうなぁ。
スクアーロは再び壁のくぼみに置かれた鳥の置物を再び見やって思った。
木のつたで編みこまれたあの敷物はきっと鳥の巣を模してだろうし、仲良くよりそうように置かれた色違いの鳥の置物は、つがい、だろう。
こんな置き方をするのは、決まって女。何人この家に住んでいるのかは分からないが、一人は必ずいる。
女だとして、だったらなんて大雑把な女だろうか。
痛みに顔を顰めながら、ごろん、とただ転がしておいたような床から身を起した。
ブーツの隙間から染みこんでいた生ぬるい雨水がぐじゅり、とあふれ出て来て、不快だ。
一応、凍死しないようにか、暖炉は煌々と燃えていた。しかし、いったいどういうつもりなのか、
傷口に布を当てるだけでもしようものが、なんの処置もない。
木目の床の上には自分の血液や雨水が水たまりになっている。それを見て、自分のものながら顔を顰めた。
鉄の匂いが鼻につく。そこから、スクアーロは立ち上がろうとしたが、ダメだった。足に力が入らない。
ずるっと赤褐色の汚れを蹴ってひっかくみたいに膝が伸び縮みするだけ、どうすることもできなかった。
ただ、手で傷口を押さえつつ、暖炉をボーと見ながら考える。
助けるつもりなのか、それとも、殺すつもりなのか。
殺すのなら、気を失っているときにいくらでも殺せた。
助けるつもりなら、血を止めようとするぐらいする。
一体なんのつもりだ、と考えて、自分からなんらかの情報を引き出すためか?と考え付いた。
しかし、それはこの後、この白い部屋の主の言葉でまっこうから否定されることになる。