呪われた人がいるのならそれはきっとこの人のことだ。

やっかいなことになってしまった。
彼女はそう思って先を急いでいた。世の中の人々に言わせれば短い時間だと言われてしまうような今までの人生だったけれど、 世界中、母の恋の都合でいろんな人に出会ってきた少女に言わせても、これはやっかいなひとつの事件だった。

腕と手を掴んで離さず、時々不安が極まるらしく男は全身でぶつかるように抱きついてくる。
男は痩身だったけれど身長はとても恵まれていて腕も長く、 抱きつかれる一般的な体躯の少女はそのまま崩れ落ちそうになり、石畳の道に頭突きを食らわせそうになった。
見えない壁はそこでもを守ってくれるけれど、自宅へと進むのは容易でない。
それでも自分に被さって息を荒げている知らない男に対して壁を発生させてさっさと振り払わないのは、
彼が本当に邪心なく、心の底から状況に怯えきっていたからだ。

冷たい地面に両手をついて起き上がり、男の母国語らしいイタリア語で励ましながら、 譲渡した左手に掴まらせて右手で建物を支えにして歩いていく。 バラバラと町を包む騒音は一層激しく、それなりに往来していたはずの人影は、皆避難したのか少女と男以外見当たらない。 街路樹の葉や枝を食いちぎり、弾けた白い破片は空中にけぶって上空の積乱雲が招く暴風に舞う。

小春日和だったその日、にわかに空は曇りだし、夜の訪れのように陽光は微かとなった。
そして、降り始めたのが雹の粒だった。
今や骨をも砕く拳骨大の氷の礫が男の命を狙い、何の冗談か空から落ち注がれていた。



**



―――ホープダイヤという深い青色をしたとても大きな珍しいダイヤモンドの話がある。
これは、見た目は息を飲むほど美しいが、有名な呪われたダイヤであり、
持ち主を一人残らず次々に破滅に至らしめるという逸話のあるものだ。

だが、それは嘘である。

逸話の大半は脚色が殆どであり、根拠もない。今現在所有しているアメリカの博物館も40年あまり盛況であり続けている。 少なくとも持ち主の不幸とダイヤモンドの因果関係は認められそうもないらしい。
しかし、それならどうしてこの噂は産まれ、未だに人々の間にあり続け、好まれるように語られているのだろう?

それは“信頼”に足りたからだと思う。

このダイヤの希少性と金銭的、歴史的な価値と魔性的な魅力は、 “持ち主に不幸をもたらす”という能力を人々に納得させるのに十分であり、 未だに自然界であんなにも青く染まった理由を見つけられずにいる奇跡の存在は、 こんなにも美しく不思議な物なのだから、“なにか特別なものであるに違いない”と思わせるにも十分だったとも言えるだろう。 逸話が価値を作ったのではなく、価値が逸話を作り出し、そうでなければ可笑しいとまでに人々に“信頼”させている。

「だから、君はまるでホープダイヤのようだ」

手に入れるのに破滅でさえ受け入れる覚悟をしてしまう。
この話を教えてくれたとある日の王様候補は、そう流暢に締めくくっていた。 それを聞きながら、彼に口説かれている母親の隣でかつてのはその時、ぼんやりとある二つの事を思ったことがあった。

ひとつ、
本当にそういうものがあっても可笑しくはない。

ホープダイヤの逸話が嘘だったとしても、世の中に“呪われたもの”“破滅に導くもの”が存在しても可笑しくはない。 なにしろ、自分の横に佇む他人には見えない希薄げな存在が、自分への“害”を弾いている。 宝石にそういう存在が宿るかどうかはわからないが、能力で言えば逆に“害”を引き寄せているとなる。 その存在は自分の常識的になんら可笑しくはなかった。

ふたつ、
その“害”を引き寄せるものを“自分”が所有したらどうなるのか?

これを食べるようにと与えられていたやわらかい肉を切り分けながら考えた。 触れる前に弾かれるのか、それとも壁ごと不幸に見舞われるのか。 この壁についてとても頼もしく思っていたけれど、血筋を跨いで不幸を与えるだとか、 何百年もの歳月あり続けるというスケールについていけるのかは疑問があった。 意思もなく淡々と破滅の為に強烈な不幸を呼ぶのだったならば後者であるのかもしれない。 例えば大きい隕石なんかを呼び寄せたりしたその時は、きっと壁があっても地球ともども破滅の運命を辿るのだろう。

しかし、そんな考えは直ぐに留まることなく霧散していた。
呪われたモノへの一過性の興味は、帰り道に同じ石を蹴り続けても途中でどこかにやってしまうように、 やわらかい肉から魚のムニエルになってその横で繰り広げられる別の人の別のお話に埋没し、 わざわざそんな逸話のあるものに手を出して試してみようとするには移動しつづける生活はせわしなかった。
過ぎ去った1999年にも世界の終末は訪れず、炭素の塊である輝かしい青い宝石は地球と共に燃え落ちることはなかった。 だから、今になって、想像とは違えども氷の塊が降る、まるでこの世の終わりのような天気に変わる前に ふたつ目に思った疑問への答えを、路地裏で出会った“人間”で、得ることになるとは思わなかった。


結果から言うと、男は、呪われていた。

男と一緒に行動することで、車に轢かれそうになること三回、恐らくどこかの銃の暴発で三発の銃弾がとんでもない軌道でやってきたこと一回、少女に抱きつく姿から警官に職務質問され、途中で二人に良く姿が似た前科ありの凶悪犯と要人のお嬢様の誘拐事件が発生し、 疑われ、出てきたのがまた拳銃。逃げまどう道のマンホールの蓋は開けっ放しで放置され、 逃げ出したペットの毒蛇の尾を踏み、男自身の長い髪が吹き始めた強い風で木と首に絡みつき絞め、 頭上から複数のレンガ、続いて地面で砕けたレンガの兆弾で隣の反射ガラスが弾け飛び頸動脈を狙い、 またどこからかやってきた毒クモが男を追い詰め、これに反応した男がを引きずりながら、いつの間にか降り出した雨で滑り、 橋桁から転落しそうになった。壁に包まれるように留まり、何かと思って覗き込むと、 直下に錆びて傾いた鉄柵が獲物を待つように頭上に鋭い切っ先を向けていた。

そして、呪いは壁をすっぽりと包んでしまっていた。

呪いから命は守られても、逃走し続け怯える心身は殺し屋に狙われ続けているかのように消耗した。 もう沢山、もう十分。不幸に苛まれる度に思った。けれど、正義感に燃える警官を振り切って疲れきったあたりから気付いた。 これがたとえば宝石が原因なら、所有権を破棄し投げ捨てるか蹴り落として、さあお終いとすればいいのだろうが、 不幸を呼びながらその不幸をしっかり受け、壁でなんとか凌いでいる男からが手を離すことは、殆ど彼の再びの死を意味していた。



**



当初、路地裏で強く掴まれ、男が支離滅裂なうわ言を繰り返し始めたその時、当たり前にそこから離れようとした。 しかし、男は言葉を選ぶ暇もなかったように「助けてくれ!」「助けて!」「離れるな!」「いうことをきいて」と何度も奇妙に言葉の調子を変えながら必死に叫び、叫び通した。そうして、が腕の中で大人しくなると、 またブツブツ自問自答のようで過去と今が混雑したと思われる接合性のない台詞をぞろぞろと隙間なく吐き出し続けた。 まるで今まで言葉が渋滞していたみたいだ、と、逃げるタイミングを失ってしまい、はとりあえず男の腕のなかで一旦はそこに留まることにした。 この時はまだ、頭上から鉢が落っこちてきた後という不幸の小休止だった為か、 男が置かれている厳しい状況を理解していなかったので、最終的には自分には“壁”があると高を括ったわけだ。

動くと叱られるので男の足の間で向かい合い、ペタンと座り込んで男の胸に凭れかかった状態で、 ぶつぶつと呟いて降ってくる言葉を吟味しつつ、やっぱり、イタリア語だ、と確認をした。 感情の吐露も儘ならずに散々後回しにしていた処理を済ませるように繰り返し「死」について言っていた。

「死」「スタンド」「死」「終わらない」「また」「死」
「何回も」「死」「死」「何回」「いやだ」「いい加減にしろ」「死ぬ」
「何度も死ぬ」「逃げ」「くるな」「ここはどこだ」「死ねない」「また」「どうして」
「違う」「止まれ」「死」「止まれ」「もう死にたくない」「終われ」「ちがう」

繰り返し、


「帝王」


男が自分が何度も死んでいると思い込んでいるらしいということが、こんな短い散文でも大体掴みかかった頃、 最後に異質な単語でもって男の呟きは終わり、張りつめていた気配がほんの少し緩み、がくりと首が傾いて長い髪が首筋に落ちてくる。 そして、青い顔をした疲れ果てた表情で改めて顔を上げた男の眼がこちらを捉えた。 押しとどめるように薄く細かく震える瞼を開き、汗を流していたが、先ほどまでの箍の外れた様子はもうなく、 掴んでいた腕からなぞるように移動しての肩を掴み「……スタンド使い、だな?」と訊く。 男が初めて話が通じる状態になったらしい。そして、これが二人の初めてまともな意思の疎通だった。

は男を見上げ、まじまじと見てから「スタンド?」と尋ねた。 自分の持つ“壁”の能力がスタンドである、と続けて会話し、男が見えないはずのそれに気づいていたのだと驚いた。 そういうものの存在を自分と同じく見て、当たり前に信じる他人を初めて知って、 少し男に対して親しみを感じるような気がして聞いてみる気にもなった。 しかし、男が死に続け、死に続けているのに生き続けているという話はこの時はまだ半信半疑のままだった。 その原因がまたスタンドという能力なのだと男が言うのだから、そういう事もあるかもしれない、と思えても、 目の前で生きている口から言われると、また意識朦朧とした勘違いなのではという疑問がもたげる。 病気か怪我をして酷く痛い目にあって、死に“かけ”続けているというほうが相手の様子にぴったりなような気がした。

ともかく、細い糸の上で体制を保つような男の正気を危惧して、病院にでも身柄を保護してもらったほうが安全かもしれないと、 再び落ち着かない様子になってきた男を立たせて何とか先導しながら路地裏を出た、出ようとした。

そう、だから、この時点で、繰り返し死に続けると思い込んでいる男が“害”から阻む“壁”の力の伝播を知って、既に何においてもその手や肩を離さないようにしていた事は、 男の保護が完了すればそこで終わるものだと思っていたにとってそこまで深刻なものではなかった。 けれども、言い知れない嫌な予感を感じ、気がつくと海の沖の彼方まで自分が流されていると気がついた時のような、 取り返しのつかない不穏に駆られたのは、この直後だ。

出てきた路地裏の建物と建物の狭い間目がけて車がつっこんできた。
まっ昼間にヘッドライトを煌々と付けて薄暗い路地裏を狂ったように照らして、 鉄の体をねじ込ませようともがき、アクセルの音が壁に守られたの鼻先でうなり続けた。 ペダルに靴を挟めてしまったと言う運転手は何とか靴を取り除き、取り除いた時には地面に黒々としたゴムの跡が残り、 周囲には嫌な臭いまで漂っていた。バックをしてエンジンを止め、運転席から転がり出てきて、 運転手はへたり込んでいた二人に飛びついて心配をした。 しかし、二人、特に先頭を歩いていた少女、にも、車にも、傷がないことを確かめると心底安心して、首を傾げた。

ぎこちなく男を見たに対して、男はただ無言で肩を掴む手に力を込め、それに対してようやく遅ればせながら本格的に不味さを感じた。 次第に行き先は、病院から危機的状況を考えて警察、警察に誤解され追われるようになると、自宅へ、と変わった。

ホープダイヤがその美しく怪しい姿で人に破滅を信頼させたのなら、男は事実で破滅を少女に信頼させたことになる。 もうこれ以上ないと思っていた命の危機、不幸の連続に壁が抵抗し続けると、 神話の天罰のように雲がごうごうと流れついて、ついに光を覆い隠し、氷の礫を町に降らせ始めたのだ。


**


透明な壁とそこに積み上げられる氷を不安げに見詰めながら、遠い、帰宅への道を歩き続けた。

二人のほかの人は皆、厚いレンガの壁のなかに隠れ、窓をあり合わせのもので塞いでいたので、 少女と男の少し頭上に氷が溜まり、一緒に移動しているという奇妙な光景は誰も見る事はなかった。

この来たばかりの町でひと心地つけようと唯一思い浮かんだ自宅を目指してみたけれど、 自宅に入ったところでこの凄まじい不幸が止むとも思えない。 そして、手を離せば男は確実に死ぬ。 にとって、死ぬとわかっていて手を離すことは、“殺人”と同等に思えた。 さすがにそれは尋常でない。

しかし、彼女自身、この状況にどうすればいいのかはわからなかった。 どうすることもできないので、今被害にあっていて確実に上に堆積している氷の礫から逃れる為だけに、 自分が入れる屋根のある場所を目指している。

既に繋いでしまった掌と、雹の降り続ける轟音のなか何とか歩けるくらいの正気を保っている男をちらりと見て、 自宅に着いたら呪われた経緯と解決方法について話をしようと決めた。


これが、の母親が帰ってくるはずの三日前のことである。









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あとがき


攻撃される季節(呪い)。


・レクイエムボス
  いろいろあり過ぎて新たな人格が生まれたり消えたり混ざったりしてる状態。不安定。
  でも“ディアボロ”自体は根本的な改心とかはまだしてない。改心という結果にも辿りつけない。

やっぱりレクイエム経験後のボスは書くと精神的にぎりぎりそうなところが多くなっちゃいます。
数えきれないほど延々死に続けていたらなぁ……近づくなポーズして叫ぶ気力もなくなろう……。
そんな状態でも帝王たるゆえんで汗掻きながら立ち上がっちゃうボスは私の願望であり希望です。


・数々の不幸(ボス被害者の会風味。一番あらぶった天界のギアッチョ)


・レクイエムの内訳
死亡フラグが立つ→死亡→死亡という答えに辿りつかない→生きる→死亡フラグが立つ→のループが、
死亡フラグが立つ→【壁】→生きる→死亡フラグが立つ→【壁】に、なってる。