今日の献立は目玉焼きと蒸かしたサトイモと緑のバナナにしようと思った。


鬱蒼と枝を四方に伸ばし、縦横無尽に成長する植物たちを分け入って進んでいくと 彼が気まぐれに生み出した生き物が不格好に逃げて行くのが見える。

植物は奔放に成長しているが、動物達にとってみればこの弱い重力は不慣れである。 クルクルと空中を回転して飛べない鳥は地面を歩くようになり、 四肢で地面を蹴る獣は蹴る力の調節に慣れるまでバネでもついているかのように高く飛び跳ねて転んだりする。 しかし、慣れずとも彼らの故郷はここにほかない。 繁殖の周期や細胞を活性させる改造を予め施されているのか、 産まれた彼ら命達は爆発的にこのだいたい50メートル平方の空間に増え、暗い空を埋め尽くした。 生物達はもはや創造主たる彼とは別の存在として生態系を確立しつつあった。自然は一旦条件が揃えば羨ましいほど強い。

周辺の水路を跨ぐ。
あたかも自然にできたような姿をしているが、これには緻密な計算がなされて水が淀まぬように作られていた。 灰色の砂と白い岩肌が深く抉れ、設けられた下へと続く階段を降りる。平行して落ちる水路の先にある小さな2つの水たまりで手を洗う。 この溜った水も下に空いた小さな穴から順次排水されていて常に綺麗な水がたまるようになっていた。 右に洗浄用の水、左に仕上げの濯ぎ用の水。良くできている。
古代ローマ人が建造した水道橋というものがあったのを思い起す。 サイフォンの原理という水を下から上へ流れさせる方法を用いて生活用の水を安定して供給できるようにしたというものだったはず。 それを利用しているのかは原理がどういうものだったか思い出せないのでわからない。 ただ、これの起こりが紀元前だというのだからローマ人っていうのは本当に頭が良かったのだろう。

壁の凹みには切り出してきた氷のなかに食糧があり、中の温度に震えながらサトイモと卵を取り出して鉄のフライパンを持って、階段を上がる。 途中、バナナの収穫に行く。背の高いバナナの木からシャンデリアのようにつる下がっている一番下の実を二個もぎ、葉を三枚とり、 サトイモとまだ甘くない青いバナナを二枚のバナナの葉で包む。 そこから植物を掻き分けて直線に歩いていき、ボーダーラインに行き当たった。 手頃に太い枝を手に入れてからフライパンの上に卵を割り、取っ手を残して境界の外へと押し出す。
とたん、透明な白身が白く濁っていく。

ジ、ジジジ……

枝の先でバナナの葉で包んだサトイモを入れる蒸し穴をフライパンの横に掘りながら、 もし、卵が焼けていく音が聞こえたのならこんな感じだろうと想像をする。境界の外に音はない。
至ってシンプルな調理は、後は卵とサトイモに火が通る頃合いを待つのみとなって顔を上げていつものアレを眺める。 “前回”の経験からして、綺麗だなんて思ってはいけない。



遠い暗い空には青く光る地球がぽっかりとあった。


ここは月面である。






地球人によろしく






「120℃といったところだ」


月の夜が地球の時間で言う15日なら、昼間も15日ぶっ通しだった。月の満ち欠けを思えばその通りである。 けれど、地球人にとってそれは天変地異に他ならない。 大気のない月は太陽光の影響を多く受け、陽が当たれば表面が120℃になり、陽の当らないところは−160℃とピーキーである。

地球上から見上げるあの食べかけのプレーンクッキーのような姿でいて、その実、熱した油に氷を突っ込むようなことが満ち欠けをして延々続いている。 そんな場所で生き物が生まれるわけがなかった。
月の住人なんていない。ファンタジーならともかく、カニでもウサギでも氷漬けか良くてロースト、一時間後には消し炭だ。

そして何よりも、酸素がない。
乾いた砂漠よりももっと過酷なのが円周11000キロ(スペインから日本くらい)の月という衛星だった。

そこに人影が二つ。そして何よりも奇妙なのが陽が当たれば100℃を超える白い月面の一部に突如広がった小さな森。 その端で具体的な数値を知ってカエルが潰れたような声をあげ、森の外の地面に触れようとしていた手を急いで引っ込めた。 その様子に「出したところで問題なかろうが。お前が定めた範囲から動けば範囲自体も動く。反対側の草木が焦げる程度だ」ともう一人は言った。 私は何とも言えない気分になりながら美しい筋肉を惜しげもなく晒している黒い長髪の男を見る。 物言いが5ヶ月前に一緒に居た金髪の吸血鬼と似ていた。 状況もそう変わらず、初期に勢い手帳を使い切ってしまったことでより追いつめられた気分になっている。

時間が止まった世界と宇宙の月面。
吸血鬼ともと地底人(角あり)。

どちらもあり得ない。
SFなんておこがましいくらいに。



特に私に傾斜とパイプの圧力を計算する賢さはなく、同時に、硫化鉄の鎧を持つ貝の存在も知るよしもなく。 植物のススキの中にはガラスの元となる珪酸体が含まれていることも、(指が切れるのはこれが原因だ) 硫化鉄から鉄を取り出しフライパンにする方法も、ガラスを生成するすべも知らない。 地球上の生き物達はその体だけで自然界のあらゆる法則と形態を持ち、 黄金比やガウディの発見したカテナリー曲線の主であることも縁遠く、 これがロケットが地球を脱出する今に生きる私であって、それら全てを体現し教えたらしめたのが 最初で最後の一冊目の奇怪手帳の結末に突如発生した自体である。



**



手帳に目を通す。



〜(中略)


ここが本当に“あの場所”であるのか。私には信じることが出来ない。

5ヶ月前、最終的に名前を改名したスタンドは、些細な怪我に頓着しなくなった代わりに、 触れていなくとも最大50メートル平方もの範囲を重大な損傷から守るという進化を遂げていた。

エジプトであの奇怪な真っ暗な空間に生き物が塵のように浮かんでいるという光景を眺めた後、私は宇宙に投げ出された、ようだ。 そのまま、ぐんぐんと何故か勢いづいて遠ざかり、スタンドによって守られたまま強い赤外線や−270℃だと言われる宇宙空間のなかを進み出た。 そして、ある瞬間に一つの物質にぶつかった。私の記憶はそこで一旦途切れている。
息苦しさを覚えていた。恐らくは酸欠だろう。 壁に守られているからと言ってそのなかの酸素は周りが真空状態なのだから限りあるものであったらしい。寿命と餓死以外の死因もあったものだ。 その時、苦しさに混乱して激しく無意味な息を繰り返してしまい、余計に酸素を消費してしまった。 吸い込めば吸い込むほど苦しくなるだなんて絶望的な気分だった。

次に瞬きを終え、目を覚ましたその瞬間、既に状況はひっ迫していた。
目に入ってきたのは大いなる肌色と圧倒的な緑だった。 砂漠の色と宇宙の暗さに慣れていた目にアマゾンのような濃い緑と澄んだ空気に満たされ、 私は何故か何かを背中の下にひき、横たわって空を覆い尽くした木々を眺めていた。 その緑の視界の半分に肌色があるとじりじり視線を動かして正体を知る。男の人間のものに見える発達した胸筋だった。 追って視線をその上に鎮座する顔を確認した。それが金髪でないこと、そして、何より人相が違うと分かって、ますます状況が不明だった。

目を閉じて膝の上に私を横倒れさせているその人物の額に飾りと見まごう角を三本見つけ、眉を潜めた。 そうして、自分の状態を確認するのに頭を動かすと後頭部に添えられたその人物の手から 映像の早回しのように植物の蔦が生えては地面を伝っていくのを見た。 それを見てトラウマを思い出しそうになった私は、一度戸惑ってからその彫刻のような肩に触れて揺すった。 身を起す間もなくそうしたため、見上げるような形で開かれていく瞼を直視してしまった。

露わになった瞳は、まるで、止まった火を見つめていたあの瞳と同じく赤く。 そして何よりも、獰猛な獣のような笑みを男は浮かべ、それがなんだか懐かしい気がした。


男の名前を、神でも悪魔でもなく、カーズ、と、理解出来る言語でそう言った。





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備考




タイトルはイージスの前の名前、デヴァオームの曲、言ってしまえば「アクロス・ザ・ユニバース」を宇宙に発信したときの 「異星人によろしく」から。せっかくなので主人公にも月にぶっとんでもらうことにした。 地球上のあらゆる生き物になれる(創りだせる)っていう設定の大盤振る舞い。

*イージスの範囲が50メートル平方に成長した設定はカーズの話限定となります。