ついにこの時が来てしまった。

空は紫掛かり、太陽の夜への抵抗が勝り始めた。夜明けではない、夕闇に逆走しているのだ。
時間で言えば17時から16時のさなかに停止した世界。これから進むにつれどんどん光に包まれていく。 私はずっとこの光を求めて西へと移動してきたのだった。 訳も知らないまま自分以外の何物も動かなくなってしまった世界で、丸い世界の裏側に広がる昼の世界を目指して。 しかし、立ち込めるこの不安。深く布を被り口も利かなくなった背後のディオを乗せて、郊外を走った。 そこで手頃なトラックを見つけ、奪う。

鍵を壊して運転手を下ろし、スタンド能力でトラックを動かす。 鳴った警戒音の配線を切り、荷台を開けると調度中身に荷物はなく、バイクとディオを載せてしまう。 思った通り遮光性は高くなく、隙間からちらちらと外を伺えてしまう。 そこで、用意していた布を内側に張り巡らせる。完全な暗闇になり、荷台を閉める。 下ろした運転手のもとへ行き、金塊を一かけら握らせた。 ……座った姿のままの彼がどんな事情でトラックを運転していたのか、 これからどんな用事があるのか、切迫とした事情がないことを祈るばかりだ。

意外なことは、車を奪うことに激しい抵抗を抱かなかったことだった。
きっと、いざその時になったら激しい嫌悪感に苛まれると思った。 けれど、酷く作業的に事を進め、日光から逃れるための荷台を閉めると言い逃れのできないほっとした安心があった。 陽にあたれない男を連れて、ここからポルトガルのリスボンまで行く。 リスボンから船に乗ってアメリカに行く。アメリカを移動し、辿り着いた場所でこの世界を元に戻すのだ。

移動は沿岸ではなく内陸を行く。
バイクなら止まっている車の間をすり抜けられるが、それができないので車の少ない道を選んだ。 車道が狭く少なくなり、一台でも行きあうと車を交換せざるをえなくなるかもしれない。 交換に適す車がなければ今までと同じくバイクで移動となる。そこが山道なら木陰も多く沿岸よりかは良いはずだ。

**

久しぶりな四輪であるということに加え、雪が多く可能そうな道を選びつつ進行するも難航。
煙ったような空気が視界を閉ざす。少し待って天気が変わるのを待つということもできやしない。 山道を行くと当然として人や、ありとあらゆる施設から遠ざかるもので、 そうなると補給もなかなか間に合わなくなる。だが、その点、この中型トラックは仕様が良い。 バイクとは違い、物を多く詰め込めるし、いつでもどこででも外気から遮断された場所で休むことができるのだから。 ただし、車内を住みよいようにすればするほど道が塞がっていたときの引っ越し作業は難航するのも確か。
一進一退の事態が多く私達に襲いかかる。

そして、今日のこと。
山に入って地中海気質の今までの恩恵を身に染みて理解し、道を行っては雪に引き返し地図を見て唸る私に 今まで通り沿岸という候補をあげるディオと暫くそれぞれ意見の被せあうと言うことを数日繰り返していた。 それも双方の苛立ちへと繋がったのだろう。前方、雪のような冷たい霧が濃く、空が白く光るようにみえるばかりで暗い天気の下だった。
一車線しか設けられていない道を走っていると、前方にワンボックスカー一台が中央に排気を上げた状態で道を塞いでいた。 片側は崖、もう片側は森。すり抜けようとすると脱輪し、より困難な状態になる。 どうすることも出来ず降りる旨をディオへと伝えるべく、私は車のエンジンを切った。 荷台にいるディオに一々車を降りて荷台を開けて、というのは面倒なので、 運転席と荷台の間を(ディオの人ならざる力でもって)ぶち抜いてその間に布を垂らしているので運転席に居ても会話はできる。 同じように荷台のほうも空間を入口とその奥の二つに分けて布を二枚捲るとディオがいるところに入れるようにしてある。 こうすれば中に入るときに外の光を奥へと入らないようにできるのだ。
と、このように随分工夫をしいた車を変えるのは私としても勿体ないし、 車がいつのまにかなくなっているという被害者が増えるのも心苦しいので、できるのならこの車で最後まで移動したいのが本音だ。 ただ、もう何度もこんな目にあっていたのだから諦観気味であった。

諦められないのは乗り物を変える度に紫外線の危険に瀕するディオである。
一台目は本人たっての希望で中に一級品の寝具や絨毯を詰めたがあれはピレネーの前の軽い渋滞に阻まれ路肩に停車し、 その後、道が開けるまで注意を払いながらバイクで移動した。当然、中身は遮光用の布以外置き去りだった。 こうなることは分かっていたはずだったけれど、フランス以前とは違って外に出れずに中に入りっぱなしなら、 それなりに環境を整えてやりたいと思うのは人の情である。 しかし、今は防寒用の布やらはあっても彼のお眼鏡に叶うものは何一つもない。 そして、私の諦めが早いものだから、余計にディオは苛立ったのだろう。

「どうした」と訊く。
前方が塞がれているのだと言う。次には事細かい説明を要求される。
嫌な予感を感じながら状況を話す。

「落とせ」
来た、と身構えた。
布の向こう側から邪悪な気配が忍び寄り、私に何を何処へ落とせばいいのか理解させる。
私の眼前には彩色豊かなスキーの板が二つ揃いで後部座席に立てかけてあるのがガラスを透けて見えた。
ワンボックスの中身はバカンスに来て何も知らずにここで停止を食らったスキー客だろう。

「嫌だ」
普段であったなら「何を落とすの?」とのらりくらりとしながらそれをしてはいけない理由を考えて煙にまかせようとしただろう。 しかし、口をついて出てきたのはたった一言の否定であった。それが前述で触れた苛立ちの現れであったろう。 当然として苛立っていたのは私だけではない。「なんだと?」

売り文句に買い文句とは正にこのことであり、旅のさなかで勃発したこの口論は今までの小さな食い違いとは違って長引いた。 光のある運転席に座りこんで布の向こうに向かって暗闇のなかディオが出てこれないことをいいことに、 移動すれば済む話だろうが、いつもこっちにばっかり運転させやがって、 上手いワインをこれ見よがし飲みやがって、日常のように胸触りやがって、と普段の鬱憤を叫び、 対するディオも、小心者が〜、だから沿岸沿いの〜と諸々言っていた。
時間さえあれば辺りは夕闇に包まれ、この口論の虚しさに我に返れただろうし、いや、時間があったら目の前の車もさっそうと走り去るし、 そもそも時間が正常なら、こんな珍道中さえもなかったのだろうから……この考えのなんて救われないことだろうか。

偽善だ。とディオは要約して言った。

お前がそうするのは自らが安心したいがためだ。 悪事をする呵責を恐れるが故の行為である。 せっかく優れた能力があるというのに、呵責を恐れ、そのためにお前は損をしている。 それを十分に扱いきればあらゆるものが手に入るというのに。 このディオに従えばそんなくだらない呵責に囚われることなどなくなるだろう。 私の為にその力を使い、私の為だと―――この車を盗んだように―――正統性を得て、私はお前に望むものを与えよう。 金でも、友人でも、恋人でも、故郷でも、私ならばお前に与えてやれるだろう。 そして、お前は手に入れる。絶対の安心感と心の平穏の両方をだ。

私は心のなかで「それはないね」と辛うじて答えた。
垂れ下った布のその奥から聞こえる声のなんていう響きだろう。
心の隙間に絡めとるような声だ。奴が築き上げた地位や人脈はこういうことなのだと思った。

「偽善はその通り」

私は私の為にそれをする。
何か悪いことをした国に再び来る時、その悪いことの爪痕を目の当たりにしたくない。 泊ったホテルの備品を壊したのを誤魔化して去って、次に来たときにそのホテルが無くなっていたりしたら 苦々しくってその周辺に居たたまれなくなる。例えばそこでどんなに楽しいお祭りが開かれても、そこにどんなに美しい光景があっても、 私は漫然と写真に収めることができなくなる。だから、正しい人間でありたいと思う。

お互いの価値観の隔たりは色々なところで垣間見た。
金に対する価値観、彼は目が飛び出しそうで自分の好みのものを愛し文字通り我が物にする、私は懐の計算を惜しまない。 私は美味しそうなものは一通り食べて置きたい。彼はそういう食べ物を必要とせずに胃に溜まっている鉄臭い液体で済ます。 命の価値観もそう。まだ暗い夜の道をバイクで走っていた時に、轢かれそうな動物を発見し、 移動させるためにバイクを止めると、ディオは言った。「それをして何になる」。 世界の中に不慮の事故で失われる命のなんて多いことだろう。 この行動が“何に”なるわけもないのだ。ただ、移動したその先で世界が時間を取り戻した時、 あの猫は死んでしまっただろうかと私が考えるのが嫌なのだ。

「そう小心者で…ディオ、私は、貴方が人の命を奪う場面を目の当たりにしたら、多分、もう駄目だ。何もかも」

私のスタンドは使い勝手が良い。良い分で私は逃走させてもらおう。
世界は停止したままだが、一人残されるディオはアメリカの友人を動かせる私を失いこの昼の世界でどうするのか。 この世界はあんまり彼に優しくない。 ディオは私のちっぽけな良心を無くせよと言うが、ディオ自身、このちっぽけな善意によって陽のなかを進んでいる。

私を支配して安心したいのはディオの方だ。

「……バイクを壊すぞ」「……壊したら困るのはディオだ。それにそれを壊したら本当にもうお終いだから」
愛車にそんなことする奴の命を心配なんてしてやるものか。
耐えきれず吠えた。

「―――うんざりだ!」

このディオがこんな小娘の機嫌を伺うなんぞもう耐えられん!そう叫んで掴みかかろうとしたのか間に掛った布が膨らむ。 思わずそれを抑えた。「ここには陽がある!」布を挟んで大きな拳の形をしたものが力を持て余すかのように震えるのがわかった。 布越し、光と闇のなかでお互いになんてやりずらいんだとこれほどまでに実感した。

「移動しよう」

それで済んだ話だった。

**

その後、遮光の布の塊をくるくると巻いてバイクに積み、縛り付け、準備ができたと余すことなく体を隠したディオに言った。 雪からの跳ね返りの光を危惧し、顔にも布を巻き、眼深にフードのように布を被ると前も見えず、 ディオは横柄にこちらへと指先まで布に隠れた手を差し出したので、その手をとってバイクまで導いた。 やはり胴体にしっかりと腕を巻きつかせ、後輪に布を巻きこませないように注意して出発する。

ワンボックスカーの横を通り過ぎる時、中を覗くと小さな子供が後部座席ですやすやと寝ているのが見えた。 多分、この車は帰りの車なんだろう。前方の両親は過ぎた休日の思い出を話している様子に見える。 しばらく走ってディオが言った。「おい、車を交換するんではないのか」。

「……思うんだけど、いつの間にか改造された盗難車と山道で置き去りっていうのも酷いんじゃないかな」

「……き、貴様……まさか……この阿呆が!」

わかっているのか!この俺は少しでも陽に当たったら塵になるんだぞ!?と腕を閉める閉める…だが、苦しいが私のスタンドはその腕から内臓を守っている。 「だから、このまま次の車を探す。それまで気をつけてねディオ!」言いながら私はアクセルを引き、団欒する家族からずっとずっと遠ざかる。 「チクショーが!貴様、この、覚えていろよ!」とこの表記の数倍口汚く罵るディオ。 顔に当たる冷たい空気は肌をピリピリさせる。でも、バイクのほうが私には相性がいいようだった。

家族は吸血鬼に襲われそうになったことも知らずに居て、ディオはむっすりと黙り込む。 私が堪え切れずに笑っていると、どすん、と後頭部に頭突きを食らわしたらしい。風圧だけ届いたのが分かった。