美しいヴェネツィアを抜けて懐に嫌な気配が漂っている。
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ここから移動は数日内陸になった。
今まで海に沿って移動していたがイタリアのブーツの形でいう履き口のあたりを筒の南には下がらずに横へ移動する。
そして、ジェノバから再び海沿い。フランスの国境を跨ぐ。
足首、爪先に誘惑を駆られはするものの、ここは諦め、アルプス山脈を源流とするポー川に沿う形で進みイタリアを脱する予定。
北イタリアに入って風景は田園風景そのもの。オリーブ、ブドウ、川の水を引き入れられる畑の形状からして米。
なだらかにそれらの畑が広がる。南と比べまだ冬を残し、寒さが増す。ところどころ雪が残っている。
吐いた息は途端に白く濁り、体から離れたところで雲のように空間に停止した。
バイクで移動した後に白い点線ができて面白い。まるで柵を越える羊だ。
今日はボローニャの付近まで。
もとは修道院だった建物を利用したホテルを借りる。教会や十字架をディオは恐れない。
美食の街だが、コックも軒並み停止していて悔やまれる。
しかし、素材は一級品なので私の腕でもそれなりのものができるだろうかと思い、
タリアテッレ(平たいパスタ)の材料とソースの材料、パルメザンチーズを購入して厨房を借りて作ってみた。
……ついでここに告白するが、宿泊した施設の厨房を借りる時、時折出来て間もない暖かく停止している料理の誘惑に駆られ、盗み食いをしたことがある。
アサリのワイン蒸しとか、生ハム一枚、チーズ、シュリンプ一つ二つ……ぱくっと一口できる数を誤魔化せそうなものが多い。
料理を注文した人に悪いことをしていると思う。資金の問題から粗食を努めて来たが限界は訪れる。イタリアにいる分誘惑は多かった。
そして、言ってしまえばここで限界だったのだ。“ボローニャ”。看板を見た瞬間、限界だった。
自分で作ったが美味しかった。本場パルメザンチーズをこれでもかとのせた“ボロネーゼ”。
欲求は満たせたが、資金繰りもこれで仕舞いも同然である。(西に進むにつれヨーロッパの物価は恐ろしく変貌する)
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ワインを購入し、ディオと交渉をした。
「貴方をアメリカまで連れていく報酬が欲しい」そう言うとニヤリと笑ってアンティーク風な革張りの椅子の上で足を組む。
「何が欲しい?」私が欲を持つことに奴は寛容である。人、之をそそのかすと言う。
「その金の装飾が欲しい」 これか?と腕についた黄金色の腕輪を露わにする。
走行中、この金属の重さや冷たさに辟易したことがある。
著しく体温の低い吸血鬼の腕にある金属は熱を放出するばかりで触れると火傷がしそうなほど冷たいのだ。
「これでなくともそこらからとってくればいい。女に似合いそうなものもあるだろう」
「それでは報酬にならない」
私のこれっぽっちの良心を分かった上で揺さぶりをかけてきているのだ。その顔は嫌らしく笑っている。
「私はそれが欲しいんだ、ディオ」失笑とともに渡された金の塊を手にとると、重さで沈む。
よく、こんなものを腕につけていられるものだ。「では、これは私のものになったということでいいね」
重たいそれを持っていた頑丈な布の袋で包んでしまい、代わりに購入したワインを取り出す。
それなりに物の良いものを選んだつもり。
「そこで、これはお願いなのだけど、このワインをあげるから今これを粉々にしてくれない?」
提出したものは袋で包んだ先ほどの腕輪。ディオはとびっきり奇妙な顔をして私を見る。
これは賭けだった。たった今自分についていた装飾品を取り上げた女がその手でこれを壊せと言う。気でも可笑しくさせたかのような話だろう。
しかし、ディオは頭の回転よろしく「小心者が」と布のなかの金を砕いてワインを片手に酷く不機嫌に部屋を出ていく。
一人部屋に残されて、ふう、と安堵に息を吐いた私はゴールドラッシュの成功者になった。
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厨房に行き、袋の中から小さな金の欠片を一つ置いてきた。
宿代には十分な額になるだろう。私はもう一度息をつく。ディオは小心者と言ったが、
彼がこれを断ったら私はたった一人で仲間も居ないヴァン・ヘルシング教授にならねばならなかったところだ。
顔を上げて見た石をくり抜いて作られた窓の外はまだ暗い。
この前のもうひとつの方法の答えについて書く。
化け物を殺すことが正義で、化け物を生かすことが悪なら私は悪だ。
私のスタンドは私を害すものから私を守る。このまま陽のある場所へと突入したら吸血鬼を倒すことは容易になる。
彼が死ねば精神の具現であるスタンドは消える。アメリカまで行かなくてもそれで全てが解決する。
私が思いつくこれをディオがどう考えているのか、いざとなれば人間とドラキュラとの死闘があるわけだった。(“杭”もないくせに)
しかし、私はそうしないことにした。そう決めた。
新たな資金も手に入れられた。血を吸わない旅路を共にする吸血鬼を殺すには戸惑うし、この世界が再び動き出した瞬間を分かち合えるのは彼だけだ。
世界が停止していたことを知らない人間にはきっと湧き上がるだろう私の大きな安堵に対して怪訝で気が触れたと言うだろうから。
世界が動き出せばディオはまた血を吸い、人を殺す。
それを理解した上で私はディオをアメリカへと連れていくことにする。
この選択はきっと正しくないんだろう……。
しかし、ディオを生かして動き出す世界のなかで、それから私はどうなるだろう。
彼は気位が高く、それ相応に祭り上げられていたようだから、
旅の間の多々の生意気が余ってなにかしらの手で片づけられるか、スタンドの価値を見出されでもするか……
しかし、私は、唯でさえ化け物を生かした罪に駆られ、部下になる気もなく、彼の薄暗い屋敷に留まってやるつもりもないんだろう。
その後、彼が化け物たる所以で人間たちに駆除されても、彼が敵わなかった相手に私がどうこうできるわけもないし、
(私のスタンド能力から考えて私自身が死ぬ可能性を危惧したわけでなく意思の問題だ)
そして、私は彼の死を憐れみはきっとしないだろう。そんな気がしている。