ビーチ近くにて日焼けサロンを発見。(観光に来た都会人が使う日焼けベース用だろうと思われる)入る。
迷うことなく立ち寄る私を珍しげにディオは見た。 この暗闇の世界で紫外線は貴重だと主張し、紫外線がなければ吸収できないビタミンの話をする。 人間の貧弱さを謳おうとした口は次第閉じる。同じもので死ぬ存在がどの口で、目は口より物を言うものだ。

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カーニバル!

足を踏み入れて声を上げた。
セルビアに入った時点で二月を迎えていて行きあえるかはぎりぎりだなと思っていたが、 時間が止まってしまえばもう関係なく、謝肉祭は開催されたまま姿を留めていた。

今日、私たちは水の都、ヴェネツィアに足を踏み入れた。
ひたすらアメリカのある西へと進み、そこからわざわざ南へと伸びるリベルタ橋を渡って島へと来たのは、 ちょうどこの辺で宿をとりたかったのもあるし、それなら観光地のヴェネツィアなら施設が充実しているだろうというのを建前に、 私がぜひ見てみたかったのだ。世界一美しい都!ヴェネツィア!

相変わらずの闇の世界のなかでさえ、灯された明りに反射する当たりの水面の輝き、水面から城のように建つ鐘楼。 網の目のような運河があり、そこに船頭付きのゴンドラが浮かび、 ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロックという様々な建築様式の美しい建物が波間に直接建設されたかのように立ち並んでいるのが見える。 島のなかの交通は黒のゴンドラや水上タクシー、ヴァポレット(水上バス)がほぼ占めており、 車やバイクは道の狭さから島の入り口に設けられた駐車場に停めなければならないが、 そのお陰で景観はさながらテーマパークでしか実現できない巨大なオープンセット。
しかも、時間が停止した日はカーニバルの最中、そこには仮面、仮面、仮面、 いたるところに技巧を凝らした衣装を纏った人物とそれを囲む歓声を上げた恰好で止まっている観光客が見える。

サン・マルコ広場は回廊と柱廊に囲まれ、夜と星の天井の下、18世紀のマスカレードにでもきたかのような錯覚すらした。 それらが蝋人形のように一様に停止しているのだから余計に戯画チックだ。ただし、私と同じようにカメラを構える側ですらそうであるのだけれど。 この場で恋しいのは音楽だけだろう。設けられた楽団もまさに演奏のさなかに止まっている。 そこでどんな音楽が演奏されていたのか指揮棒を振りあげた指揮者の前に失礼して楽譜を捲ると、 「リベルタンゴ」とある。どんな曲だったか生憎思い起こすことができない。 曲名にも聞き覚えがなさそうで、脳内で再生することもできなかった。口惜しい。奴に訊くという選択肢はなし。

また、ヴェネツィアはまるで水牢の迷路だと言われている。
その入り組んだ道は一度街並みの美しさに囚われふらふらと歩きだそうものなら、すぐに方向感覚を失うこと請け合いである。 今回も、前訪れた時のようにリベルタ橋のたもとの駐車スペースに停車させた後はその場から出ているヴァポレットで 運河を辿るか、島をぐるりと反時計まわりに回って中心部に値するサン・マルコ広場を目指すつもりだったが、 その便利な水上バスも海の上で舞台飾りに扮している。 よって、徒歩で迷宮を進み、島の真ん中をS字に流れるカナル・グランデの運河にかかるリアルト橋を渡り島の東側に行き、 中心地サン・マルコ広場を目指す予定であった。

しかし、やはり、例にもれず迷った。
停止している人を避けながら歩き、島の住民が住んでいるらしいシンとした雰囲気の建物の狭い路地にずるずると嵌って、壁へと突き当たった。 思わず唸りながら地図をぐるぐると回して考えていると、ず、と脇から腕が押し生えて、道すがら感触に慣れた腹へと巻きつく。 「まどろっこしい」ぐ、と力が籠ったと思えば、屋根の上。
唾を垂らしながら腹に食い込んだ筋肉の塊に手を入れ内臓を保護するので精一杯だった。
「吐くほど怖いか」「地上には慣性の法則というのがあってね」咳き込みながら反論する。 体はスタンドが守ってくれるといっても苦しさはある。 内臓に負担をかけないように恥を忍んで腕と足を回して、屋根から屋根へとショートカットして跳躍する力の塊に同行し、広場へと降り立つことになった。 屋根の上を進む光景なんて見たこともなく、ちょっと楽しいと思う。 (しかし、ヴェネツィアの路地を迷いながら進むのも醍醐味である。 時折、広場から遠い路地の奥に何故かいる仮装をした人物を行き会い驚くのもまた楽しい)

バシャリと音がして、石畳を見下ろす。広場には足首ほどの水が浸水していた。
「アックア・アルタだ」水面を蹴り、水滴を飛ばと、水滴は私から離れて空中に停止した。 潟に木の杭を打ってできた海抜0メートルの街は潮の満ち引きによって時折浸水するのだ。
しかし、開かれた広場のカフェに並べられた椅子の足に水が浸っていてもそこに座った人々は皆気にせず腰をかけ、音楽や食事を楽しんでいるまま。 そして、ドレスや衣装をまとった人々はまだ浸水していない場所か、裾をまくって急ごしらえの桟橋の上を気取っている。 満ちた水はオレンジのライトニングと建物を反射し、その良く磨かれた黒い床は人の足から伸びる無数の波紋をぶつけあって止まっている。綺麗だった。

カメラを構えた。しかし、シャッターを切るその前に、後ろからガポコツガポコツと金の靴を鳴らせながら深紅の布を巻くっているディオに振り向いた。 「ディオの能力はカメラマンにとっては最高だね」と言っておいておく。 「ありがとう」と言うと、「忌々しい」と彼は言った。