ようやく、続きを書ける。
さっきようやく全てが終わった。
今は帰りの大西洋上空の飛行機の中だ。飛行機のリストと照らし合わせられることがあると不味いと思い、出国手続きをリスボンで行わずに海に出たことが幸運して、
問題なく飛行機を利用できた。……けれど、こんな幸運があってもしかたないことだ。
この記録は世界の時間が停止するという奇怪な出来事の解決を祈ってつけ始めた。
だから、けじめとしてその結末を最後まで書く必要があると思う。
例え、この手帳を読むのが自分だけでも……自分だからこそ、ちゃんと、書き記して置かなければ、ならない。
世界は時間を取り戻した。
夜と朝が忙しないほど交代し、雨が煩く降り注ぐし、波は気分が悪くなるほど満ち引きをして、風はうっとおしく吹き付ける。
人の声もひっきりなしに、耳のなかへと入り込む。知らない声、声、声!
立ちすくむ私を追い立てて正体を暴いてやるぞというように動く人間が質問をする!
君はどこを旅したの?どうやって旅してきたの?一人で?女の人だと危険じゃないかい?
この世界の数日までの私ならすらすらと語って写真を見せただろうに、奇妙な旅路のなかにその器用さを置き忘れてしまったみたいだ。
沢山の国を跨いできた。急ぎの旅だったから満足して次の国へ行けた訳じゃないけど、楽しい旅だった。
私はバイクで移動してきた。一人じゃなかった!危険な存在が近くにいて、私は安全だった!
私は、あの世界の中で“安全”だった!
“安全”だったからこそ彼は居なくなってしまった!
**
あの日、アソーレス諸島の最後の島であるフローレス島を通り過ぎ、
広い広い海原に出て陸地恋しさに早くもホームシックのようになり、
ディオが妙にバタバタとしていることもあって、また何かあるかもしれないと思い、
記録はまとめて明日しようと就寝し違和感に気付けなかった。
眠りの途中で激しく揺り動かされて目が覚めると、
「おい、いつまで寝ている」と早送りをしたような妙な口調のディオが目の前に居て、首を傾げた。
「まだ、夜だって」と言う。この世界のなかでは自分の感覚と、私がいつもつけている“時計”だけが頼りだった。
何を寝ぼけてるんだか、という顔にすぐなり、ディオは「何、のそのそ言っている。もう十分寝ただろう」。
頭の回転の良くない私は、あーあ、ついに本物のようにコキつかわれるのかなぁ、と引くはずのない眠気に唸っていた。
だって、今、“眠りの淵にうとうと入り込んだところだったからだ”。
「おい!なんだこれは!」
キュルキュルキュルと、殆どそんな風に聞こえて、「え?」とようやく起こっている事態に戸惑う。
ディオの声が変だ。ディオは凄い勢いで私の腕を掴むと腕時計を見てガクガクと口を動かした。
「どうして秒針がこんなに遅い!?」
辛うじて聞き取れた言葉はこう言っていた。
しかし、私の目にはいたって通常にコチ、コチ、コチ、と時を刻んでいるように見えた。
「これがどうしたの?」と言いながら、途中で唖然としてしまった。
キュルキュルキュル!キュルキュルキュル!キュルキュルキュル!
早送りだ。何かを言っているのは分かる。けれど聞き取れない。
名前を呼ばれているようで、罵倒されているようで、時折、焦りの表情になって、周囲を見渡しているようにも見える。
やがて、残像が重なり続けて何も分からなくなる。
ディオの人影のようなものが私の前に来たり、部屋をうろついたり、体に触れてみたりするのだけ、
どんどんそれが速くなり、止めようと手を伸ばしてもするりとどこかへ行ったり、また戻ってきたり。
私はディオがどうにかなってしまったんだと思い、
ガンガンと大きくなるキュルキュルという音に返事を返そうとしたところで、
瞬きを一回。
それで全てが終わってしまった。
音は鳴りやみ、人影もなくなった。ソファの上に置いた寝袋のなかに座った状態だった私は暫く身動きが取れなかった。
悪い夢を見ていたようで、夢から覚めたら夢のなかと同じ姿勢だった曖昧な恐怖感に、目を左右に動かした。
すると、ドサッという音がして音のした方を見た。光があった。
私は弾かれて立ち上がり、足を縺れさせながらそこへ向かった。
そんなわけがない、そんなわけない、
繰り返し唱えることが叶わないのは、きっと、自分のなかでそれが叶わないとわかっているから二回言うんだ。
どうにかなっていたのはディオではない。
私は、ゆっくりと時間が失われ、そして、この瞬間まで停止していたのだ。
停止が解かれたのはスタンドの壁が復活したからではない。
時間を止めていた精神と魂がこの世から失われたからだ。
私は、日光の降り注ぐデッキから戻って、惨状を目の当たりにした。
さっきまで横になっていたソファは引き裂かれ、壁や床にはもがいた爪痕が残っていた。
私に傷はなかった。時間が停止していても能力が発動していたのか、
それとも……殺しても無駄だとしたからなのか。
時間の無い世界の中、私が停止して、船が止まり、潮の流れもなく、どこへも行けず、陽も沈まず、
そこで何年、何十年……いや、何百年。 ディオはどうしてたんだ?
彼のことだからすぐに諦めはしなかっただろう、デッキに布があったことから最期まで抵抗していたんだろう。
しかし、私の瞬きが終わるまでの一瞬の永遠のなかで、灰燼に帰してしまった。
どうして、私はあの時、あの瞬間に停止をしたんだろうか?
せめて、陸のあるところで、少し前の島で期限を迎えていれば、もう少し希望はあったかもしれなかった。
床が競り上がるような感覚がして、その場にふらついて座り込んだ。船が波にゆっくりと揺れているからだ。
風も吹いている。これが本当の海上で今までの航海なんてまがい物だったのだ。
大西洋の真ん中で、船に揺られながら風に飛んでいきそうな砂の山を必死に掻き集めた。
暗いメインサロンの中に不完全に運び入れたって結局どうしようもなかった。