進行方向から言えば、ルーマニアは後方に位置する。

しかし、彼の出身はイギリスだというのだから、帰るべき方向に違いはないのだろうが、当面目指すのはアメリカということになった。 結論から言えば、この旅はこれから暫く二人旅ということになる。

ギリシャの地から北大西洋を目指してバイクで進み、イギリスほど北には向かわずにポルトガルから船で海を渡る。 大雑把な旅路だったがそれなりに建設的な目標ができただけよしとしたい。数々の不安はあるが進むしかないのだ。 ただ、さしあたって、自身の身長の割にその姿を気に入って購入したゴツイ愛車なら彼を後ろに乗せるのも可能ではあるが、 バイクの運転は知らないという彼を後部に乗せ、バランスを取るために腰に腕を回すように指示してみると、 その両方の腕は腹どころか、…その上部まで覆う始末であるのが不快であった。遠慮なんか奴にあるはずもない。 ずっとこのままというにはあんまりなので、どうにかしたい、とは思う。

しかし、その彫刻のような筋肉とぐるぐるに巻きつけた布で停止した季節は冬とは言え、 腕を回されると暑苦しいのではないかと思っていたが、まるで蛇に巻きつかれたかのように冷たく、思わず腹筋が震えた。 暫くのろのろと不格好に地面を蹴って歩き、アクセルを吹かして二人乗りを出発するその時、脳裏に過ったのは彼の話である。

以下にだらだらと遅くなったが、アメリカを二人で目指すことになった会話の経緯を書く。

〜(中略)

もともと、部下から「当たり前のように」というアドバイスがあったのもあってからか、 逆に能力を止めることができなくなってしまったのだと、彼は言い訳じみた事を言う。 一つ覚えてみると一つ押し出されたみたいな話であり、彼も本意ではないだろう。

それでも無制限に停止した世界の中で、能力なんて自分の好きにやめることができるだろうと思っていた彼は、最初、その成果を喜んだのだそうだ。 そこで、好き勝手に停止している街の人間の血液をルーマニアではなくイギリス出身の吸血鬼である彼は食らってみたらしい。 しかし、次第に満腹になり、さて、そろそろ、と、時間を動かそうとしたところで、はた、と思い当たる。スタンドが現れない。 吸血鬼であることが災いして、優れた運動能力で思うがまましていたからその瞬間までまったく気がつかなかった。 それから、世話を焼いてくれていた部下は動かないわ、散々だったと、大きな肩を落としたが、本当に散々なのはカイロの市民である。世界である。私である。

夕闇のなかで時間の止まったエジプトに朝は訪れず、(当たり前だが)時間の感覚もなく、 そして、ここが時間の狭間であるからか血を満足するまで飲んだ後は、喉の奥で血が揺れる感覚が続き、もうずっと空腹も訪れないで一か月が経過した。 と言っても悲惨なことに、彼のスタンドは時間を止める能力であるから、時計や機械の類も皆停止してしまい、 20世紀の文明の利器はすべてガラクタ同然だったわけで、この状況の打破の為にさ迷い歩いてエジプトから当てもなくギリシャへと来たという。 そうして出てくるのが私だ。

途方に暮れ、ギリシャを彷徨っていた彼の耳に届いたのは、停止しているはずの世界に響くバイクの嘶き。 一瞬の希望を抱く瞬間、辺りを見渡し、他の人間が停止し続けているのを確認すると、もう、動いている存在を追いかけざるを得ない。 その足音を私は幻聴だと思ってアクセルを吹かすものだから、彼は焦って目の前に飛び出し…。

そういった一通りの彼のヒストリーの後に、彼は神妙に手を顎に添えながらサイドスタンドを下さずに自立して停止するバイクを見て、こう言う。

「何故、これは走ることができる?」

私のスタンドのお陰だ。と答えると、馬鹿を見るような顔で、

「この状況をどうにかしたいと考えるのなら、お前の力を私に詳しく教えることだ」

と、指を差し示して権威をもって要求した。
困ってるのはお互い様であって、原因は…と言い合うのも無限大の時間があると思うと出来ず、暫く私は考えた。 自分のスタンド能力を便利だとは思っていたが、それがどういったものなのか考えたことはなかった。

まず浮かんだのは「バリアー」である。
経験から引用すると、銃弾が飛んできても厚い粘土に阻まれたかのようにそのスピードは遅くなり、私にたどり着く前に止まって落ちる。 それは後ろから放たれたものでも同じで、自動的に私を災難から守ってくれる。 この力のおかげで今まで女の身一つでありながらどんなに治安が悪いところを突っ切ることになっても旅ができた。 また、守る対象は私の意識で多少は操作でき、大体、触れているものなら守ることができる。バイクが動くのもそのお陰だろう。 そして、今はバイクに触れていないから時間が止まる力によって、サイドスタンドに頼らずとも倒れずに停止している。 それをかいつまんで説明すると、いよいよを持ってして彼は息を詰める。

「人も…か?」

イエス。返答に疲れが混じった。
停止した世界で一肌恋しく人に触れてみたりしても大体の人間は、行き成り現れて体に触っている私に驚いて手を振り放して再び停止する。 後はその繰り返し。果てに一人、ブルガリアの地にてどんなに振り払っても女が体に触れてくるという恐怖体験をした警官が驚愕の表情で停止しているが、 この時間停止の件が解決したら、彼は目の前からあんなにしつこかった女が一瞬で消えるという怪奇現象を再び体験することになるのだろうと思う。 そこまでは伝えなかったというのに、ディオはそれはそれは嬉しそうに笑った。

「アメリカに行く」

そこに他人のスタンド能力と記憶をディスクにして取り出せる能力者がいるらしい。
私がその人物に触れ、その人物が動けるようになったらディオのディスクを抜いてもらい、能力を強制終了させるということだ。 壊れたビデオデッキが脳内に浮かぶ。(自分の精神の具現らしいこれにそんな故障があるとは可笑しなことだ。と思う) ほかに方法が思いつくはずもなく私は提案に頷き、目的地はアメリカ大陸に決まった。

**

前回、書こうか迷ったことがある。
こういう書き出しからして書くことに決めたわけだが、もしかしたら後で耐えきれなくなるかもしれない。
しかし、吸血鬼の生態を明らかにする要素があるのかもしれないので書いておく。(吸血鬼を研究する気なんてないが) バイクの後ろに彼を乗せて走りだした後、彼の腕の一本がけしからん場所を覆っているのはまぁ体躯の違いからしょうがないとして、 二人分の体重のバランスを取りやすくするためにぐんと加速した数分後にディオがふいにその頭を前方の私の背中に擦りつけ始めた。

ディオは満腹感を保っていると言い、私もそれだったらと吸血鬼とのツーリング紀行を了解したわけだが、 久しぶりに動く人間を見て狩猟本能が刺激されたのかもと思わず思った。 ところがそうではない。ディオは肩甲骨の間に位置を決めると「鼓動が聞こえる」と言ったのを私は確かに聞いた。 彼用のヘルメットなんて一人旅の私が持っているわけがないので、少し間に挟まる感触は彼の髪だったんだろう。 バイクの走行音に紛れない極近くで他人の吐息があった。吸血鬼も息をするのかとその時妙に感心した。

笑い声がして怪訝に思うと「速くなった」と顔を顰めたくなることを言うので、 「生憎後ろに人を乗せたのは初めてで緊張する」という旨を言って「変なことを言われると盛大にこける気がする」と念を押しておいた。 しかし、困るのは前に書いたまま人間の自分だけのような気がするので、細心の注意を払い、 次に「狂った秒針みたいだ」という発言には何も返さないことにした。

その後も休憩をとるためにバイクを降りるまでその頭の位置は変わらず、私も敢えて止めさせることはなかった。 バイクの音だけでは足りない静寂の世界で、私が欲しかったのは他人の呼吸音で、彼は秒針なのだろう、と、ふとそう思った。

片や一人旅の女、片や永遠を我が物にした人外である。
あまりに感傷的なので、形で残したくない考えだ。