準備完了。
結局、手間取り、ディオには一旦紫外線対策を施した港の傍の宿に数日ゆっくりしてもらった。
その間に、海図を探し、船を試運転(付け焼刃だかほぼ問題なさそうに思える)、
食糧の購入に予備燃料と水のポリタンクを何往復もしながら載せ、
載せたものを偏らないように詰め直したり、吸血鬼の力があれば屁でもないことをへとへとになりながら済ませた。
陽のある最西端で出発すると言ったのは私。しかし、憎い。宿に帰って今日も準備が終わらなかったと告げる苦々しさよ。
明日、私たちは船で大西洋へと出向する。不安は大いにある。
陸のバイクと違って気分で進路を変えればにっちもさっちもいかない場所で燃料が切れるだろう。
時間を失った海は青いゼリーのように見える。固まっているように見えるが触れば水だ。上は歩けない。
歩いて燃料を買い求めることも、ちょうどいいからどこか店にでも入るかということもできない。
おまけに救難信号をあげたって誰も助けちゃあくれない世界だ。
見渡す限りの大海原。手のひらに収まるくらいのコンパスを信じて燃料を削りながら進まなければならない。
時折、操船に慣れた人間を連れてきてその人物に航海の全責任を担って貰いたい誘惑に駆られる。
しかし、ディオを連れていくと決めた時点で私の都合なのだ。
人は止まっている。海も止まっている。私たちが西を目指す原因であり、要因、
そして、そのお陰で経過時間0秒のブルーリボン賞間違い無しで海を渡れそうな希望だ。
穏やかなカップの中のゼリーもどきの海を行こう。
テージョ川の河口にかかる全長2277メートルの“4月25日橋”の近くの船着き場に拝借した船を停めてある。
その近くには“発見のモニュメント”がある。ポルトガル人航海士の辿った航路の世界地図のモザイクとともに、
ポルトガルの航海士、騎士、発見者などが並んだ彫刻が海を望んでいる。
そのなかには世界で初めて世界一周を成し遂げたフェルディナンド・マゼランもいる。
今から500年前の話だ。彼の航海に比べればなんとかなるんではないか。そう思って勇気を貰う。
……けれどその後も何かとうじうじと帆と風の有無について悩んだり、
小説の八十日間世界一周はニューヨークを発った蒸気船は燃料が途中でなくなって、
船の木で出来ている部分を燃やしてイギリスのリバプールにからがらたどり着くんだよなぁ、と、
軽油を飲み込む木目の見えない素晴らしいクルーザーを見つめてみたりしている。
この小説は今から100年前が舞台だ。
私が思いつきで「船のスタンドがあれば楽なんだけど」と燃料の計算をしながら呟くと、
その手があったかというような顔をディオはしたが、直ぐに「いや、ストレングスはジョータロウに倒されたんだった」と、
表情を沈めていた。船のスタンド。船が如何にしてジョータロウと戦ったのかはわからないが、
燃料も要らない最高な船が無くなったのは非常に残念なことだと思う。
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記録について追記。
同行者の目を盗んで書くのは難しいかもしれないと書いたが、
日光対策に操縦席とメインサロンを二枚の布で区切ったため、今まで通り記録できそうだ。
ああ、そうだ。一応書いておこう。船の内装について。
クルーザーは三階仕立てになっていて、入り口のある操縦席とメインサロンが中間。
操縦席側から下へ、机やソファがあるメインサロンの船尾側から上に行く階段がある。
下は冷蔵庫や電子レンジまで備え付けられたギャレーとダイニング。その奥に寝室が一つ。
逆側船尾辺りにシャワーとトイレ。上には二部屋寝室、広いクローゼット。同じく船尾側には下とは別のシャワーとトイレ。
黒と赤に金の飾りをアクセントにした豪勢な内装だ。この船の持ち主はどんな金持ちだろう。
下と上の部屋の二部屋を寝具やテレビなどは運び出して燃料や水の置き場にした。
メインサロンにもバイクを何とか載せてある。アメリカ本土での移動もあるし、愛車を置いてはいけない。
そして、残り上の一部屋の寝室だが、恐らくディオが必然的に使うことになるだろう。
道中の寝袋の優先のこともあるし、バイクの隣のふかふかのソファがあるので良しとする。
地上で眠る最後の日だ。今日は良く眠っておこう。