日光で爛れる。日光で爛れる。呟きながら車の覆いを捲った。 その後、とにもかく、試してみようとなって外にでた。(時計は0時近いが外には沈まぬ太陽がある) 口では言っているものの、その時の私の頭のなかは違う考えが渦巻いていた。
私は愛で死ぬ。そう言ったディオは続けて、 「“あるいはその壁”を壊す者になってやってもいい。お前が光を“害”と見なせたら」と言って、さあ試すか、と身を離していった。 その壁とは、神の壁なのか、愛と名付けられた死の壁なのか。ぶつぶつと爛れる爛れると呟きながら出て、太陽を見る。 さらさらという感触が指を通り過ぎて行って、あ、と普通に太陽光を甘受している自分に気づく。

「ディオ。砂になった」

布の向こうに報告すると、チッという大きな舌打ちが返ってきた。

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〜(肉の芽が実験の度、太陽光によって滅せられる記録、略)

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今日も太陽光を“害”と見なす訓練を移動しながら続けている。
光を“害”だとすると私は目が見えなくなるのでは?というと、じゃあ、紫外線を“害”だとしろと細かい注文がきた。 じゅるじゅると巻きつく“肉の芽”にも慣れ、心の中で号をふって〜号と呼んでいる。 今日も変わらず指の間を崩れていった6号の残骸をはたいて落とした。

ここ最近はずっとスタンドについて考えている。
スタンドとはなんなのか、一体どうして私はスタンドを持っているのか。 ディオは神に愛されているようなと言ったけれど、結局のところ私の小心者な精神が作り出した頼れる存在であるだけな気がする。 バイクに限らず長距離で旅をする人達は大体宿のグレードの関係で一緒になることが多い。 その度に、心身共にタフな人達と会った。その人達はスタンドを持っていなかった。 様々な言語でどこで酷い腹痛に見舞われたとか、怪我で入院して何針縫った、スリに会ったなど、本当にその身一つで世界に挑んでいる。 かという私は病気や怪我の面でスタンドに頼りっぱなしということがこの前わかった。 それがディオの言う、世界の半分以下というわけなのだろう。
もし、スタンドがなかったら、私はきっと直ぐにリタイアかスタートさえしていなかったのではないだろうか。 そうしたら、もっと別な人生を歩んでいたのかも。と、思う。 決まって、こんな静止した世界を吸血鬼と旅するなんて奇妙な目にも会ってないだろうと締めくくる。


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アルバセタ付近。道路の横に不思議な丸い畑が見える。
昔アメリカでも見た畑の形状。なんでも、中心から地下水を汲み上げて回るように水を散布するためだとか。
今までは四角い畑だったので面白い光景。「畑が丸い」と言っても後ろから返事は無し。
最近、ディオは良く寝てる。