「あ、あるでしょう……」
死ねないことなんて考えたことがなかった。死にたくないは考えたことがあるけれど。
根拠なら一応ある。私の爪や髪は伸びる。細胞分裂を繰り返しているからだ。
……そう言えば私は髪や爪を切ることができる。これは人体を壊すという点から省かれているのだろうか。
私が苦笑い気味に言うと、ディオはなんだが嬉しそうに笑って、「どうだかな」と言った。
「まぁ、それは気長に観察することにしよう」と言う。
私はそこまでディオの傍にいるつもりはないのだが、ディオには冗談なのかあるらしい。
「それはまぁ、良い。重要なのはこれからだ」
一体、これから何を言われるのか。
就寝時間なんかとっくに過ぎていたが、眠気は訪れるわけもなかった。
明日も長く運転するのに、私はディオの話を遮って横になれる気がなく、
翌日になって眠い目を擦りながらバイクで斥候をして一人になった時間にこの手帳を書いている。
「私が思うに、何が“害”として壁に阻まれるかはお前の精神の像であるスタンドが判断しているのだと思う」
私の後ろから銃弾を撃たれても自動的に発動するのはそういったわけだろうか。
(私のスタンドの姿を描写すると、ありとあらゆるところにカメラのレンズみたいな目がある。正直、見た目は……どうなんだろう)
「そして、お前は色が白いな」
そうディオは言った。はぁ?と聞き返してしまった。
「日焼けサロンの後にも思ったが、あれは数分程度だった。だからだと思ったが、
ここのところ陽に当たったまま長時間運転してるというのに、少し色がついた程度でそこからまったく変化していない。
日光というものは人間には有益に栄養を吸収させるらしいが、それだけの存在ではあるまい。
なにも、日光の“害”は、吸血鬼だけでは済まない、という話だ」
つまるところ丸々二ページにも渡って、私の命の危険と、危険な永遠の命の話から展開して結局のところ
ディオはおいてきぼりになりそうな車での移動に本当に嫌気がさしていたのだ。
「お前が日光を完全に“害”だと思い込むことができ!
そして!その力でこのディオに触れて力を発動していれば!
あの忌々しい日光ですらこのディオは克服してしまうということだ!」
高らかに言い放って、その指を指されてしまった。
……なるほど確かに。私は日焼けしにくい体質だと思っていたが、それがスタンドの影響であるとは考えついたことがない。
「それが本当だとして、…私は無意識にスタンドを使っている。
それを今、害ではない日光を意識して“害”と見なすなんていうことできるの?」
見るとディオはフフフ、と声を上げて笑う。
「―――同類にしようだとか考えてない?」
あんまりに嬉しそうだと不気味で、ふとそう思って訊いた。
心外と言いたいのか、それともこちらの憶測に呆れて肩をすくめて、
「まずそうする過程を攻撃だとお前のスタンドは判断するだろう。
どうやって同類にしてやれるものか。お前がちゃんとスタンドの管理ができて、
己の状況判断でもってスタンドを使っていたのなら、隙でもついてしてやった」
「二度と夜から抜け出せないまま永遠に生きるなんてごめんだ」
言ってのけると、ぴく、と片眉を上げる。
「ふん、まぁいい。―――しかし、そういった考えをいったん捨てろ。
お前は陽の光に当たれば瞬く間に焼け爛れる。そう思ってみることだ。
これはお前にとっても自分のスタンドを知る良いきっかけになるはずだ。
己の能力に振り回されて、望まない人生を歩むことになりたくなければ、な」
そう言われて、お前は死ねるのか?と訊いたディオの言葉を思い起こす。奴もそういうつもりだろう。
死ねないつもりはない。いつかは私は死ぬ。けれど、私に訪れる死は寿命だろうか。
病気も外傷も守られるんだとしたら……。しかし、これはまだ遠い日のような予感がして気がそがれた。
ほかで……例えば、ある時、急に日焼けにハマったら?
小麦色の肌に憧れて、サロンに通うようなことになって、でも、私の肌は焼いても焼いても変わらないんだろうか?
日焼けにハマる予定もない私にはわからない。多分、焼けるんじゃないだろうか。
その時の私がそうしたいと思うんだったら。
出てきた精神の具現である私のスタンドは黙したまま私に感情の読めない目を向けていた。
「……お前、“痛み”は分かるか?」
ディオも観察するような何を考えているのかわからない目をしていた。
私は答えに詰まった。痛みは知っている。痒いところを引っかいたり、頭痛だったり、寝すぎて腰を痛めたり。
あと……もう一つ。思い出して私は「あ!」と声を上げた。「なんだ」と訊かれる。
「い、いや…うん、痛みは分かる」
答えに詰まったのはそれをディオに教えるのはどうか?と思ったからだ。
そして、暫く思い出したことを反芻して「あー」とか呟いている私に「だから、なんだ」と急かす。
慕っていた先生の鞄に水を引っ掛けてしまって頭をはたかれた“痛み”。
あの時は明らかに自分が悪かった。慕っていた先生だし、掛ける気もなかったけれど、
花瓶を倒した私を庇ったスタンドが壁を出し、その水の伝う先に先生の鞄があった。
中身の書類も皆びしょびしょになってしまったし、壁の発動をしていまった罪悪感から自ら頭を差し出した。
そんなに痛くなかったけれど、確かに触って衝撃のある掌が作り出す痛みに驚いたのを覚えている。
つまり、私が許容した“害”は受けるようになっている、のではないだろうか。
それなら、その逆もありうるのでは。私が有益を不要だと思えば、スタンドは壁をつくる?
そうして一人納得して、ディオの提案にようやく私は頷いた。できるかもしれない。
もし、またバイクで移動できることに越したことはなかった。
「……でも、日光を“害”だと思い込むことができたとして、その証明はどうする?」
まさか、肌の変化で判断するわけにもいくまい。
明確な判断ができなければ勇んで太陽の下に出てきたディオは瞬く間に塵だ。
本人もそのことをようく考えていて、私はディオの考えに乗り気で訊いたことを後悔した。
「それなら、容易い」
言ったディオの金色の頭髪の一部が意思を持ったように伸び、蠢いた。
よりあわせるように身を捩って固まり、いっこの生物、小さいタコか、細いヒトデのようなものを作り出した。
こんなのは知らない。吸血鬼といえば蝙蝠じゃないだろうか。
ジュルジュルと髪からできたように見えたのに次第肉色になり、水っぽい音を立て丸い胴(?)から生えた四本の足を縮めたと思ったら、
ディオの肩を蹴ってこちらに飛んできた。着地したのは額。今書いていても触れた濡れた四本の足の感触に鳥肌が立つ。
何故スタンドは壁を発動してはくれなかったのだ。叩き落した。
ピギュ、と鳴いて荷台の床に伸びるソレ。「気持ち悪い」という素直な感想の後の沈黙に耐えかねて、何、とソレを指してディオに聞いた。
「……私の細胞の一部だ」
事前に何をするのか言って欲しい、と、もう一度私は言った。
私はこのディオの細胞の一部を持って、陽の光を浴びると自分は焼き爛れると思い込んで外に出てみればいいのだと言う。
なるほど。しかし、見た目がよろしくない。
触ってみると耳の堅い所のような感触で、触れていた指に足の一本が巻きついてきた。
ひっくり返すと足の間に妙に鋭利な棘のようなものがある。
もしかしたら壁はここだけ反応をしていたのかもしれない。
ずるずると動き、叩いて弱ったのか、針をひっこめさせると、足を指に次々と絡ませて指輪のようになってから止まった。
髪から作られたとは思えないグロテスク。陽の光のほうが余程無害だと思ってしまうような。
そして、最後にもう一つ。ディオに尋ねるべきことがある。
「もし、それで日光を“害”にできたとして、ディオは私を信用できるの?」
面と向かって尋ねるのはこれが初めてだった。
今まで曖昧にしてきた私の優位を自恃の心の強いディオが知らないわけがない。
私はこの美しい男に理由なく諂ってやらなかった。ディオも優しく無い世界に膝を折ることをしなかった。
私は何かあれば逃げればいい。陽の当たる世界に来て、足もあった。破壊もされない。
しかし、ディオは違う。それを私自身で宣言したのも同然な発言だった。
肉の指輪のハマった指を指すと、ディオは目を細くしていた。
暗闇のなかであの停止した炎に照らされていた透明感のあった赤が黒に近づき濁って見える。
灰色に見える肌と輝きを得ないゆるやかな金糸の髪。死の影。暗い水のなかを覗き込むような。
「お前次第だ。おれはお前は逃がすつもりはないが、ただで塵になるつもりもない。
お前も、後味が悪くなるのは嫌だろう?
今まで通り、友好な関係でいようじゃないか」
意外にもどこか肩すかしにあった気がしてがっくりとした。
友好というよりも、私の良心を利用したいだけじゃないか。
「私は、ちゃんとディオを連れて行こうと思ってるよ」
「そうだな、漫然と生きたいのならそうするのを勧める」
「そういうんじゃなくて」
いや、そういうのもあるかもしれないけれど。
どうせなら、世界がまた動き出した時の感動を分かち合う相手がいるほうが私はいいと思ってる。
返ってきた返答はこうだ。
「感情の同意も自らの安心だろ」
野暮だろうそれは。
一致団結には程遠く、なしのつぶてに息を吐いた。すると再び手と腕が伸びてきた。
「……まるで神に愛されているかのような力だ」
壁に弾かれなかったのだから、この時ディオは攻撃の意思はなかったのだろう。
向かった先も首ではなかったから、だから、私はただじっとしていた。
私は神が用意した壁のなかに居るのだとディオは言った。
初めから与えられていたその力で、暴力と悪しき者から守られその中から世界を見ている。
そこからは世界の半分以下の姿しか見えない。しかし、だからこそ、全ては美しく、愛おしいものだと思っているんだろう。
「神に愛された死ねるかわからないお前の殺し方を教えてやる」
神の作った壁を包む、もう一つの壁を作ってしまえばいい。
人間の力では壊れない堅い無機物か、それとも攻撃の意思を持たないただただ隙間なく包み込む身の牢獄。
そこで、食糧を断ってしまえば、お前は飢死するだろう。
腕のなかで身を固くしている哀れな餓死の烙印を押された者を赤い目で笑う。
「愛で死ねるなんてお前達が好きな悲劇だろう」