夕食の席にて、陣内家の親戚筋の紹介に預かった夏希の恋人を演じる健二は、あまりの人数の多さに、自信なく頭をかいた。
こんな人数での夕食は初めてだった。小学生の頃はクラス全員の机を円にしたりして、給食を食べたりしたが、それは年齢が同じ、
同じ教育を受ける者としての枠がある。だが、この食卓では違う。
上は80台、下は0歳、様々な人生を生き、そして様々な考えをもつ人達が、そのことを理解して、同じ食卓についている。
この人々を括る曖昧で揺らぎやすいそのものに、名前がつくならば、それは「家族」というもので、
自分もその食卓についているというのが、今まで家族は居ても、あまりこういったことのない都会で育った健二にはこそばゆく、
自分の立場上の罪悪感が付きまとっていた。
家族。
それは、こんなに、力に満ちたものだったのか。
携帯やネットと、という、何時でもどこでも人と繋がれるものが溢れているのに、自分の両親とは、ここ最近あまり話していないことに
健二は気がついた。両親の仕事が忙しいとはいえ、同じ日本に居て、電車で行けば一時間もかからなくて、
電話やメールでなら一瞬で意思の疎通かとれるというのに。
自分は、メールすら送ろうともしていなかった。
大きな家族というなかに入り込んだ、健二は、こそばゆくて、罪悪感があって、
ほんの少し、恥ずかしかった。
そうこうしているうちに、いざ、晩餐が始まってみて、健二は、大きな家族の面々を見渡して、
今の夕方までで出会った人のなかで、一人だけ、この席にいない人がいることに気がついた。
「あの…“”さんは…?」
晩餐が始まる前に紹介して貰った親戚筋の中にも、そう言えば、組み込まれていなかった。
この家に居るし、万里子も、夏希も知っている風だったのに、今、どこにいるのだろうか。
そう思って、夏希に聞くと、隣の男性にオレンジジュースを注がれていた夏希は、一回、健二を見て、
手元のジュースに目線を戻し、そのまま伏せ気味に「さんは、親戚じゃないの」と、
8割ほど注がれたコップで、ジュースの瓶を押し返しながら、するりと言った。
「え、親戚じゃないって…」
戸惑う健二に、夏希の代わりに夏希にジュースを注いでいた男性―――確か、本家の長男の理一さんが、
「ちゃんはウチの居候でね。病気の療養でウチにいるんだ」と答えた。
「はあ」
やっぱり、とまでは言わなかったが、昼間会った印象からして、病気かもしれないとは思っていたため、
そう当たり障りもなく健二は返した。
「ちゃんにあったんだ?」
「あ、はい、来て直ぐに。朝顔の鉢が置かれたそこの廊下で」
そう言いながら、その時一緒だったはずの夏希を見て、夏希がこちらに関心を向けないようにビールの蓋を開けて、
理一にお酌をしていることを確認し、やっぱり先輩の様子が変だ、と、やっと健二は確信した。
「そう。縁側に出てたんだ。あとで言っとかないとなぁ」
「あ、ええーと、調子が良いとか行ってましたし、気分転換みたいなものだったのかもしれないです。
万里子おばさんに言われて、すぐに、家のなかに戻ってましたし。」
そう?と、片眉を上げてビールを飲んでいるようだったが、その眼差しはどこか優しげだった。
だからこそ、少し健二は気になった。
家族総出で夕食を食べている間に、居候と呼ばれているがどこにいるのか。
「あの、さんは、この場には?」
どう言葉で言ったものか、と思い、そんな尾切れトンボ気味に問うと、
理一は、口のまわりに付いたビールの泡を拭いながら、口の端を上げてみせた。
「あんまり大人数でいると、疲れちゃうんだってさ。エネルギーが吸い取られちゃう、だっけ」
「はあ、」
「いじめてるように見えた?」
「え!」
目を泳がせて健二はしどろもどろになりながら言葉を探した。けれど、見つからなかった。
「すいません…」
「いやいや、」
冗談。と、頬を緩ませながら理一は笑った。
「いやー、よくお祖母ちゃんが認めたわよねぇー!」
ざわざわと各々で盛り上がっていたなかで、一際大きな声が上がった。
理一の隣、本家の長女で理一の姉である理香の声だ。
健二は左隣に座っている電気店の店主しているという太助に、ジュースをお酌してもらいながら、
その話に耳を向けていた。なんていっても自分の話題だからだ。
周りに喚起させるように言い放たれた言葉に反応したのは、
理香と同い年である漁師をしている万助の長女、直美だった。
「私なんて、連れてくる男連れてくる男、みーんな追い返されたわよ」
「東大で、旧家の家で、留学経験ありでしょ?」
「ちょっとできすぎよねぇ」
「ほーんと、嘘みたいに良い物件」
健二は正直ギクリとした。
なにせ、これ、自分のことなのだ。
この家族に知れ渡っている自分のプロフィールは、名前以外、経歴はまったくの嘘だった。
普通にしてても、ボロがでないほうが可笑しい。これが健二の罪悪感のもとだ。
というのも、この頃元気がないという曾祖母を喜ばせたいという夏希の思いで、
今回、健二は、東大で、旧家の家で、留学経験ありの夏希の婚約者に扮することになっていた。
それが分かったのは、曾祖母に挨拶をしにいったあとだった。
話を合わせてくれと言われたため、曾祖母と会った時はその場の勢いで流されてしまったが、
改めて、事情を窺っても、大好きな先輩に手を握られて頭に血が上り、やっぱり、流されてしまって、今に至る。
健二にとっては、今に至るまで、自分が、
東大で、旧家の家で、留学経験あり、だと辛うじて信じられていることは奇跡だと思った。
どうか、無事バレませんように、と願うなかで、早くバレて平穏に戻れますように、と思う部分もなきにしもあらず、
数学が得意なほか、平凡である少年は、太助にワインのお酌をしながら、精一杯、身を小さくしていたのだった。
***
そんな健二を露知らず、嘘みたいに良い物件に、盛り上がる二人に、
直美の父親である万助が、ビールを片手に、夏希にかこつけて、ある意味冷や水を理香と実の娘である直美に浴びせた。
親心でもあっただろう。
「お前らも見習え、独身コンビ!」
「「うるさいなぁ!」」
一斉に上がった非難の声。直美は一回結婚したが、離婚し、理香は未婚の身で、世間からはアラフォー呼ばれる世代だっただけに、
その言葉は冷や水というより二人のなかでガソリンのように燃え上がった。
ななめ前と、横から上がる予想以上に強い声に、万助は少し驚いたように顔を見渡し、少し、そこから逃げる。
「ま、まぁ…それはおいおいとして、そういや、理一との件はどうしたんだ?」
避難先は、姉と同じく、未婚のままの理一だった。
女と違って男なら、結婚の年齢はあまり気にならないといえば、気にならないが、
それでも、理一は本家の長男だ。
陣内の家に生まれた身からすれば、理一には、早く結婚してもらい、子供を儲けて、
陣内家の道を続けて言ってほしいと万助は思っていた。恐らく他の分家の者もそうだろう。
そこで、急に話題を振られ、イカの刺身に舌鼓を打っていた理一に代わり、
逃げた万助にムスッとしながらも、ビールで口直しをすませた理香が、口をはさんだ。
「それがねぇ、理一の奴、乗り気じゃないみたいで、ぜーんぜん話が進まないの」
「姉ちゃん…」
イカを食べ終えた理一が疲れたように言った。
「へぇ、随分一緒に居るから、怪しいとは思ってたけど。結構お似合いな風じゃない、なんで嫌なの?」
次に食らいついたのは、こちらもビールで口直しをした直美。
万助と姉と直美に詰め寄られ、理一は少し目を反らせながら言う。
「別に…そもそも、年が離れすぎ」
それに、二人の年上の女達が、「贅沢ぅ」と言う。
5年前、が20歳を迎えたころに、この話は急に持ち上がったのだった。
が20歳、理一が36歳。共に未婚であって、同じ家で暮らしているとなると、
年かさ連中は、丁度いいんじゃないか。ということになったのだ。
居候とはいえ、は小さいころからここにいる。今更家族になったとしても、違和感がない。
の体の弱さはあるものの、酷い喘息のほうは落ち着いてきているし、なら、あとは二人の気持ち次第だ、と、
兄妹にするには、仲がよく、それぞれを尊重し合ってるようなと理一を見守って、そして、5年になった。
月日だけ見れば、もう進展もないだろうな。と、お見合い話を持ってくる方向に変えようとも思われるが、
その気持ちに待ったを掛けるくらいに、仲が良く見えるのだから、見守っている連中は、やきもきしてしまっていた。
そのうちの代表格といってもいい万助と理香は、口ぐちに結婚を囃したて、隙あらばとこの話題をだして、理一に圧力を掛けるのだ。
今も、年の差のなんたるかを語っている三人をほおっておいて、イカの刺身に醤油をつけて、理一はそれを頬張った。
実は正直なところ、
理一は、結婚してもいいくらいには、のことを大切に思っていた。
それが、年の離れた妹に向ける庇護愛なのか、どうなのかを問答するほど、理一は子供ではないが、
そういうものからかけ離れたところで、理一はを守りたいと思っていた。
その理由は、23年前のことがきっかけだろうという自覚が理一のなかにしっかりとあった。<
そして、結婚も、を守る手段としてならば、別に、してもよかった。
そのあと、を妻として愛することだって、おそらくできる。そういう確信がある。
けれど、理一から、そういう話をにしたことはない。
なぜならば、意思をもたないのはのほうなのだ。
結局、その話は、太助が再び失言「上がつっかえてるから、気が進まねぇんじゃねえのか?」と、言ったことで、
避難場所のほうも火に飲まれ、事態は、有耶無耶となった。
それにどこかホッとして、口直しにと、理一が飲んだビールは、なぜだかことさら苦かった。