雑踏だった。

世界が危険であるという馬鹿げたニュースが流れ始めて、人々は混乱し始めた。
どこへ逃げ込めばいいのか、どうすればいいのか、誰が悪いのか、何が悪いのか。
罵詈雑言や恐怖に震えて、次第にそれが現実を帯び始めると、皆、途方に暮れた。
どうすればいいのだろう。誰もわからなかった。誰だって都合のいい情報を待ち望んだ。
それが現れないのだから、大抵の人々はいつもの日常の中で、平和な日常を取り戻そうと思った。
他の人はそれ見て混乱した。どうして、普通なんか過ごせるんだ。
もっと出来ることが私たちにもあるはずだ、と、街頭で叫ぶ。
祈るとか、混乱を作り出すものを消そうだとか液晶をぶったたき、過去の失敗を持ち出してやっぱり許せないと言ったりだとか。 正気じゃない。正気じゃない。どっちの人々もお互いに理解できないと冷めて冷たい目をして罵り合った。


ピ、

最初はドイツの何処かで鳴った。

ピピッ

次はもっと無数の場所で鳴って知らせる。

ピピピッ…

世界中に届いたメールは今は混乱の原因になった世界からだった。
地球の裏側だって話が出来て、バラバラな言語を繋いで、生活を便利にしてくれる魔法の世界からのお願いだった。


「どうか貴方が世界を救って!」


街中に着信の音の竜巻が起こった。
いがみ合う人々でも子供でも大人でもお年寄りでもその言葉は届く。

でも、どうすればいいの?魔法を借りるばっかりだった誰もが思った。
誰も、ここでは空も飛べないし、調べたら何でも答えられる知恵もないし、怪獣と戦うなんて勇気もないし、
魔法なんて使えない。


「オズの世界に来て!」


どこへでも行ける銀の靴は、履いたその足のかかとをたった3回鳴らすだけで魔法が起こる。






***




再び光を点滅させた携帯は着信を知らせていた。


「――― 一先ずは間に合ったわ。

 悔しい事に、せっかく作った架空のアカウントを制作して食わせ続けるプログラムは弾かれたけれど、
 協力を願う文面と経緯を書いたメールは世界中にばら撒いたし、
 “お守り”もちゃんと夏希ちゃんのアカウントに入れれた。OZの技術者達の意地ね。
 後はこっちに残ってるアカウントで全力でバックアップするわ。
 私たちの世界をめちゃくちゃになんかにさせない。

 ……それにしても、貴女、
 どうして取りやめになった“確率向上のアイテム”なんか知ってるの?」


OZの世界でさ迷い歩いて隠された宝の部屋を覗いたから、なんて言ってまた心配されるのは嫌だったは、
言葉を濁して「ありがとう」と言って電話を切った。 どうすれば世界を救えるか、分かった瞬間にここに駆けつけて味方になってくれた人の数は一億五千万以上。 今もまだ増え続けている。皆、どうにかしたかったのだと思う。ただ方法がわからないだけだった。 後は全て、夏希に掛っている。ラブマシーンがレートを一千万アバターに上げた。

お互い、全ての力を出し切っての最後の勝負。
世界中の人が見守った勝負、ラブマシーンは最後、集めたアカウントを手放した。



***



吸収していたほぼ全てのアバターがなくなり、集合体が一気に四散して黒い影は姿を消した。皆が叫んでいた。 OZの世界にやってきてくれた人たちも、見守っていた人たちも、歓声を上げて喜んだ。 陣内家の室内も抱き合って、手を握り合って、世界の脅威が去ったことに喜びあう。

ようやく、終わった。
ほっとしたと同時には残り13分59秒で止まった時計を見つめた。

ラブマシーンも止まった。

この後、完全に解体され、居なくなる。
ラブマシーンが人の感情を理解して権限を得るように自分のものにしていたのか。 それは、誰にもわからないことだ。そうであるような気がしたにも本当のところはわからない。 わからないけれど、どっちでも悲しい。 全てを破壊して自らを壊すなら、止めたかった。止めることを選択した。 それを選択しなければ、無くしてしまうからだ。 は画面から向き直る。今まで途切れなかったキーボードを叩く音がしなかった。 歓声のなかで手を止めている侘助がいる。 侘助もラブマシーンが消えてしまうことが悲しい。

しかし、すぐに画面を見据え、本体を解体するためのプログラムを組んでいく。 その服の裾を握って背中に額をつけた。悲しみと交るように、溺れないように願う。 けして、ラブマシーンは侘助にとって不必要ではなかった。それが嬉しかった。


「待て!何か可笑しい!」

喜ぶ部屋の中で声を上げたのは太助だった。

「カウントダウンが止まらない!」

さっきは止まっていたはずの時計が再び動き出している。

「そんな!世界中のワールドクロックは止まってるのに!」

「こ、ここだけ?」


画面の中にハヤテがいる。
必死に見上げて吠えている。庭にいるハヤテが吠えている。―――空に向かって。
一拍置いて家族は理解する。それがどういうことなのか。


「え、ええええ!?」

「ここに“あらわし”を落とす気!?」

「あ!」


居なくなったはずの少年に戻ったラブマシーンがかろうじて残った“あらわし”の操作権限を持って初めて合った時と同じように、ししし、と笑ってひょっこり現れる。 見つけたは思わず声を上げて液晶に指を指した。


「ラブマシーン!」

「まだ解体終わんないの!?」
直美が侘助のもとに来て言う。

「やってる!」

もう、10分もない。
ここに、落ちてくる?は辺りを見渡した。 何か、何か、でも、何にもいい策なんかもう出てこなかった。
あの世界のように一足でビューっと飛んで行けばいいのだけど、ここではできないんだから、と混乱する。
液晶で笑うラブマシーンが呑気に手を振ってみせる。
は、皆が抱いていたラブマシーンへの感情がちょっと理解できた気がした。

「もう、任意のコース変更は無理だ」

理一が立ち上がって呼びかけ、頼彦が退避を指示した。
バタバタと何を運び出すか動き出した一同のなかで、どうすることも出来ずにプログラムを組み続ける侘助の裾を掴んだは座り込んだままでいた。侘助はまだプログラムが終わらない。

「おい!お前もさっさと逃げろ!」

「や、やだ!無理!腰抜けてる!絶対!」

逃げろと言うんだから自分は逃げない気なんだろう。
言って背中をめくり上げるみたいに服を強く掴んで乗り出してくるに「ああもう!じゃあ、くっついてろ!」と、この瞬間、車のなかで色々考えた事を返上し侘助は諦める事にした。 こんな時になって張り付いてひっついている二人の後ろで、 健二がもう一度意地を見せている。画面の前に座りなおし、キーボードを弾いた。

GPS誘導されているあらわし自体を操作するのはもう無理だが、 地図自体を変えてしまえば、目指す位置がずれる。 陣内家の場所は長い上り坂を上って行きつく伊勢山の頂上に近い場所にある。 周りは山や道で、少し落ちる場所が変われば被害が抑えきれるかもしれない。

「でも、上手くいく確証は無いので、先に退避を!」

この方法に気がついた健二にラブマシーンも黙っていない。パスワードを変更し、締め出す。
しかし、ラブマシーンのプログラムは「混乱」「対抗」「吸収」。
パスワードを変更したことが「混乱」であるのなら、次は「対抗」。
パスワードには人間と競う為に用意した暗号が同時に表示されている。
これを解けば中に入れる。

そして、これを解けるのは、数学が“ちょっと得意な普通の少年”である健二しかいない。 凄い勢いで、健二はレポート用紙に数字を書き込み始めた。 避難しようとしていた家族たちも再び集合して、いつの間にか他所の子とは言えなくなった少年の背中を固唾を飲んで見守った。 解いた答えをキーボードにぶつけてこじ開ける。しかし、直ぐにラブマシーンによって新しい暗号をかけられ締め出される。

「クソッ ―――もう一度解きます!」

時間を消費する音と、がりがりと紙に刻まれる計算式の音、夏希が健二の背中に触れて「頑張れ!」と声を張り上げる。 のほうでも、解体のプログラム組む侘助の後ろからプログラムが終わるのを祈っていた。 急にぐわっと振り向いた侘助が言う。「佳主馬!奴の守備力をゼロにした!奴を叩け!」。 プログラムが終わった。急激に失われていく少年の姿をしたラブマシーンの輪郭。
けれど、まだ全てのプログラムが走り終わるまで時間がある。カウントダウンが終わるまでには十分な時間が。
花札で取り戻されていた佳主馬のアバターは万介の助けも借りてラブマシーンの元へと向かう。 健二が暗号を解き、こじ開ける。しかし、直ぐに閉じる。あと2分。佳主馬はまだ辿りついてない。 2分を切った。とても暗号を解いている時間なんてない。健二はキーボードに手を伸ばしていた。数字を打ち込んでいく。

これが、これができなかったら、駄目だ。絶体絶命だ。

でも、

「アンタならできるよ」って。


指はエンターを押した。暗号は解読された。健二の暗算だった。
もう一度暗号が表示される僅かな時間、佳主馬が暗号を表示しようとしているラブマシーンのもとへと着く。
後1分。ボロボロのキングカズマが繰り出した拳はラブマシーンの顔を殴り抜けた。
その間にGPSの設定を健二が弄る。

そして、

残り、0分。


あらわしは落っこちた。





***





はぼんやりと目を開いた。

どこか懐かしい気がした。そんなに時間を置いたわけじゃない。
今日だって何度も来たことがあるのに何だか懐かしい気がした。

「よろしくお願いしまああああす!」と叫んだ健二の声と、上空から迫ってくる何かの音、 隣りから引っ張られて体が潰されてドンドン掛る体重に揉みくちゃになって、轟音が響いた。 全てを吹き飛ばすような風のなかで、家の軋み、人の悲鳴を聞いて、辿り着いた場所がここだった。

これが夢であって、OZの世界だということは骨に染みている。だから、死にはしなかったのだろうと思った。
夢を見ているということは生きてるということだ。夢をみない眠りは死に似ている。
虚弱な私が生きているのだから、きっと皆生きている。 そう思っては改めて辺りを見渡した。背中を押された後、もう来れないような気がしてたけれど相変わらずに来れている。 もしかしたら「検索」と言えば場所くらいわかるかもしれない。

人影がある。
遠い、微かに見えるところ。白い地平線を歩いている小さい人影。

は声を張り上げたつもりだった。けれど声はでなかった。
ここはもしかしたらOZの世界じゃないのかもしれない。ただの、夢かもしれない。
声がでない。音も聞こえない。足を前に出そうとしても動かない。はそこから先には行けなかった。

ボーという耳鳴りがし始めて、声が出ているのかどうかもわからない口を動かした。
あの子が必要な子であったこと。必要とされて産まれ来たこと。無意味なんてことは無いのだということ。

――― 知ってた?

繰り返し、言い続けて最後に問いかけた。
すると知りたがりの子の人影が振り返り小さくに手を振る。多分、いつもみたいに笑ってる。足取りも楽しそうに見える。 伝わったのかもしれない、と、安心した瞬間、体が後ろへと引っ張られ、遠ざかる姿が白に飲まれいった。 消えていく幼い手を誰かが握る。せつない思いが湧き出て、はもう一度、目を開けた。


の耳はやっと音をとらえ始め、その声に答えるように小さく、「あ、」と声を洩らした。
自分の名前を呼ぶ、煤みたいので所々黒く汚れた侘助をとらえる。
不器用な笑みを浮かべる顔を見て、そうして、は理解した。



ラブマシーンの笑い方は、親の侘助に似たのだろう。






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