ふう、と別室で息を吐くの前には貴重品の詰めた子供っぽいカバンと古いメモと家電の子機があった。
離れた部屋では皆のアバターを回線に繋ぐ作業をしている。
電気屋の太助が右往左往している声と、こんなもんまで持ち出して来たのかよ、と、
スーパーコンピューターやらを見て侘助が顔を引き攣らせるみたいな声と子供の騒ぎ声が微かにとらえながら緊張をする。
“「モノなんだよ。。モノは決められたプログラムを実行する機械でしかない。選択できる人間とは違う。」”
勇気は既に貰っていた。そして、宣言もした。
あとは選択するだけだった。
メモを持ち上げる。これを見るまいとしていた子供の頃をありありと思い浮かべることができる。
今も緊張しているのだからそんなに変わらないのかもしれないが。
それでも大事に取ってあった黄ばんだそのメモには専用通話回線、と書かれている。
もう一度息を吐いて子機を持ち上げる。姿勢は自然と正座をしていた。
初めて会った他人よりも長い間話をしてない血の近しい人のほうがずっと本当に勇気がいる。
侘助はそれを乗り越えて陣内家に帰ってきた。凄い人だと思う。
ひねくれてて家族が好きな天邪鬼。勇気のある人。
メモ通りボタンを押す。
コールが続いた。
耳に当てた電話には小さな穴が開いている。そこに吸い込まれるように意識が尖り、頭がぼうっとし始める。
意識が途切れそうになる。繰り返される音に削り取られるように。はそれにあがなうように必死に目を開けてみる。まだ出ない。コールが続く。
それが永遠と続くような気がする。出てくれないのではないか、と怖くなった。
限界が来た。は、白い世界が見えた。
やっぱり、駄目か。
悔しく、そう思った次の瞬間、誰かに背中を押され、ビクンとうたた寝から目が覚めた。
ちょうど、ブツッとコールが途切れる。電話回線の先の人物は電話に出たらしい。
人のざわざわとした声のほかに、耳に染み込むような声が聞こえる。
「……?」
「うん」
咄嗟に答えていた。意識を引っ張られるような感じはしない。
周りが急に静まったかのようになり、電話の向こうの人の声しか聞こえない。
「…本当に?黄色いリスの、ケンジ?」
「陣内家の家電の専用アバターなの」
「……どうかしたの?電話、大丈夫なの?意識は?」
「今は、大丈夫みたい」
「……そう」
横たわる沈黙が痛い。
電話の向こう、遠い世界の音がざわざわと聞こえる。
ほかに話題が見当たらず、惜しみながら要件に入ろうとすると、それを覆い隠すように向こう側で息を吸い込む音がした。
「もし、誰かが今OZを使ってるなら、今すぐに使用をやめてちょうだい。
この電話も、通話が終わったら、すぐに切って。
それから、なるべく病院の傍に…いいえ、病院も信用できないかもしれない。
今、OZは混乱してる。これは、まだ、混乱を防ぐ為に公式には発表できていないんだけれどね、
軍事関係のAIが関係している混乱で、
ヘタをすれば世界が無くなってしまうかもしれない大きな事件なのよ。
私達は全力を持って事の収集にあたってるけど…
はっきり言って、権限を奪われて…ほとんど手が出せない状況」
「うん」
「…今、陣内家の方たちは傍にいるの?一人じゃない?ううん、元気なの?
―――――ッ!―――――!――――?娘からの電話!
ああ、一人で居ないで、万里子さんは傍にいる?」
「皆いるよ。誕生日パーティーのはずだったから」
「8月1日!もう、そんな、いいえ、そうよね。もう混乱から陽が沈んだのが…2回…」
「寝てないの?」
「…本当はね、8月1日に栄さんから招待されていたの」
「…え?」
「手紙でやりとりしていたのよ。主に怒られたりね」
「そう…あの、」
栄さんは、と言いかけて止まる。
「自分の子供が物分かりの良い子だと思っているなら勘違いだって。
そして、娘が人を頼れないままだって教えずにこんな外国にいた私達は悪い親だって。
……こんなことになって思い知ったわ。いつでも連絡が取れることに天狗になってたのね。
OZが無くなってしまえば機械が無くなってしまえばこんなにも私達の繋がりは希薄だってこと。
それで“手紙”だったのかもね。この騒動が終わったら、そっちに行くわ。もちろん二人でね」
こんな一気に、簡単に。
一旦、電話口を話して深く息を吐いた。早く、音を上げていれば良かった。栄さんの言うように。
ぎりぎりと締め付けられながらも傍にありつづけていた血縁という繋がり。
苦いの半分、喜ばしいの半分に答えながら、思った。
言葉にしなくちゃ分からない。きっと、言葉を出さなくちゃ忘れてしまうのだろう。
「うん、話せておいてよかった。色々話したい事があるけど今は―――これからのことで話があるの」
***
部屋に入ると眩暈のようにくらりとした。ラブマシーンと戦う為の用意が済み、機械が作動している。
それを見つけてやっぱり万里子が心配をする。
けれど、不思議と押された背中の一部が意識を留めるように熱くなり、
頭中身を引っ張られるような感覚はするものの、意識は失わなかった。
陣内家の人々が液晶の前に勢ぞろいした一室のなかで後ろで作業をする健二に子機を返し礼を言ってその場に座る。
健二は子機を使って東京に居る協力してくれている友達に連絡を取り、提携の最終確認をし始めた。
「連絡ついたのか」
プログラムを組んでいる侘助が振り向きもしないで訊いた。
「うん、もっと早くこうするんだったと思った」
「臆病者。……良かったな」
「うん」
***
「これが……ラブマシーン?」
少年の姿でも、背の高い男の姿でもない。
黒い点の集合体は唸り声を上げて画面のなかに居た。
現実の世界で画面越しに動くその存在に対面するのはは初めてだった。
あの黒い点の一つ一つが奪われたアカウントのアバター。その数は4億。
これらを使い、世界を混乱させたプログラムが全てを繋ぎとめている。
このなかの中心に知ることを止められないあの子がいる。
全ての準備が整い、お互いのアカウントを賭けた総取り合戦が始まった。
メイン対戦者、夏希を先頭に控えた家族が後ろで声援を上げる。
その後ろで侘助が凄い勢いでキーを打ち解体作業を進めていた。
一戦目。勝負を仕掛けた夏希が親となり、こいこいを宣言し役を重ねて勝利。まず一勝を上げ、賭け金分のアカウントを得る。
場が騒ぎ、湧き立った。万作が言った。「こりゃあ良い!やっこさんてんで素人だ!」。
うん、と対戦している画面に振り向きながらは頷いた。ラブマシーンは花札の情報に詳しくないのかもしれない。
ルーレットやブラックジャック、ポーカーや麻雀やだったらやっている人は多いだろう。
けれど、花札は日本のマイナーなゲームだ。知っている人も限られてくる。
OZ内でも動いているのは稀で花札のルールなら知っているのにと惜しい思いをしたことがにはある。
他人から情報得るラブマシーンの落とし穴。
「ラブマシーンは花札に詳しくなる権限を今まであんまり得てないのかもしれない。
だったら詳しくなる前が」
「何?今なんて?ちょっと皆黙って!」
「今はじゃんじゃんレートを釣り上げて大丈夫!
まだラブマシーンは花札を知らないんだと思う!学習される前に!頑張れ!」
「任せて!」
続けて、レートを大きく上げる。夏希は連勝を収め続け、
初めはこれっぽっちだった解放されるアバター達も倍の倍、その倍、目に見える数字で持ち分となる。
夏希の手腕は家族の認めるところ確かであり、
ラブマシーンもまだ学習が済んでいないところを見るに負ける要素も見当たらず、家族達は勝利の度に歓声を上げた。
持分のぎりぎり上限をレートにして、勝負は続く。
でも、とは考える。家族20人分のアカウントから4億の数字に到達できるまでラブマシーンは学習を恐らく終える。
そこからが本当に恐ろしい。ラブマシーンの学習する暇を与えないためにレートを上限ギリギリまで釣り上げるべきだが、
その数字が白黒はっきり勝敗の分かれる数字になった時点で恐らくラブマシーンは、頑張って今まで貯めた数字を取りに来る。
取りに来られて負けたら、最高2回の勝負でこちらが恐らく負ける。
上げられたレート分のアバターを取られ、そして次に親になったラブマシーンがレートを吊り上げて設定する。
そしてもう一度負けたら全て総取りにされる。早ければ最初の一回で勝負できるぶんを失って負けるだろう。
世界の権限を混乱と勝利によって吸収してきたプログラムは不気味に指の先からアバターを解放し続けていた。
は家族の山からちらちらと見える画面と、解体プログラムを打ち込み続ける侘助の背中を見つめて両手を握りしめた。
止めなくちゃならない。ラブマシーンを止めなくちゃいけない。勝負は一瞬。
あの子が自分で自分を止められないっていうのなら、私たちが何をしてでも。
あらわしが激突するまで残り37分。48戦目。
依然、“あらわし”はGPS誘導によって落下を続けている。
30万以上のアバターが解放されたが、それを設定しているアカウントを奪えていないのだ。
残り30分。48戦目。レートも一戦一戦が大打撃を与えるようになってきた。焦りが滲んだ。
すると、その時、の手のなかで光が点滅した。
侘助から事前に借りて置いた携帯だった。メールの着信。クジラのアバターが手紙を咥えていた。
―――今、OZの管理に使われていた何人かのアカウントが戻ってきた。今から開始する。
そして、ここからが本題。
お前はとても聞き分けの良い子だったから、
いつか親なんて必要ないと聞き分けてしまう日が来るんじゃないかって、
ずっとお前と話をするのが怖かった。
ごめん。
ps.侘助君の携帯に送るのも筋違いだと思うのだけど……これが終わったら直接会おう。
今度、約束を破ったら僕は針を千本飲む。
父
突然、ぐしゃぐしゃと頭をかき回されて液晶から顔を上げると、もうプログラムの打ち込みに戻っている侘助が背を向け終わっていた。
ああ、間に合った。ホッと、息を吐こうとした瞬間、
「しまった!」
ラブマシーンの一撃が決まってしまった。
ラブマシーンは追加得点をするかの問いに「いいえ」を選んだ。
こいこいしなかった。勝ち逃げだ。吊り上っていたレートに引っ張られ、凄い勢いで得点が減り始める。
息を飲んで見つめた。残り74アカウント。
コンピューターは問う。
ここでゲームを終了しますか?
あんなに盛り上がっていた部屋のなかがシンとした。息遣いだけが響いた。
「30分を切った!」じわじわと絶望の影が伸し上がってくる。メールからたった数分の出来事だった。
取り戻したアカウントを再びラブマシーンに取り返されてしまった
たった数分。間に合ったのか、間に合わなかったのか。は唇を噛んだ。
アバターを賭けられないは考えるしかできなかった。
OZの世界を練り歩いたなかで、そこがOZだと知ってから調べたなかで、アバターを持たない者でも思考することだけは武器になる。
自分が無知だと知るには物事を知って過去を思わなければならない。
そこにどういった物があるのか知らなければならない。
知ることに貪欲なラブマシーンが花札のルールと戦い方を手腕の優れた夏希から学び、
追いついてくるのなら、それを覆すものがあればいい。
それを叶えるために必要なものを人間のは手にしているのだから。