家族へ

まぁ、まずは 落ち着きなさい。人間、落ち着きが肝心だよ。葬式は身内だけでさっさと終わらせて、あとはいつも通り過ごすこと。 財産は何も残してやしないけど、古くからの知り合いの皆さんがきっと力になってくれるだろうから。心配はいらない。 これからもみなさんしっかりと働いてください。

それから、もし侘助が帰ってきたら、 十年前に出て行ったきり、いつ帰ってくるか分からないけど、もし帰ってくることがあったら、 きっとお腹を空かせていることだろうから、 うちの畑の野菜や、葡萄や梨を思い切り食べさせてあげてください。

初めてあの子に会った日のこと、よく覚えている。
耳の形が爺ちゃんそっくりって驚いたもんだ。
朝顔畑の中を歩きながら、今日からうちの子になるんだよって言ったら、
あの子は何も言わなかったけど、手だけは離さなかった。
あの子をうちの子にできる。私の嬉しい気持ちが伝わったんだろうよ。

家族同士、手を離さぬように、人生に負けないように、
もし辛い時や、苦しい時があっても、いつもと変わらず、家族みんな揃って、ご飯を食べる事。
一番いけいないのはお腹が空いていることと、一人でいることだから。

私は、あんた達が居たおかげで、大変、幸せでした。




***



そこで侘助は座り込んでいた。 部屋に来て、身動き一つ取らず横たわる身体を見て、あまりの印象の違いに呻いた。 こんなに小さかっただろうか。昨日の大暴れはなんだったのか。 しかし、本人であると心のどこかで認めると、膝からよろよろと年寄りみたいに力が抜けた。 漠然と栄の死という現実を認めて、はあ、と侘助は妙に湿気った息を吐いて、ただジッとそのまま見つめていた。

間も置かず追いついたように感じるがやってきて視線を投げかけてくるのがわかったが、侘助は黙っていた。 栄を呼ぶ力無い声がして、も同じく隣に座り込んだ。 一度強く目を閉じ、侘助は試しに考えを変えてみる。 よくもまぁ、あの運転の直後にやってこれたもんだとを見て、その顔があまりに悲しそうだから、何か気楽な事でもと口を開いてやると、すらすらとなんだか違うものが飛び出していった。

「ほら、帰らなければよかった」

震える瞳が見つめ返す。不味いと思った。

「そもそも俺がこの家に来なければよかったんだ。そうすれば全部上手くいくんじゃねえか。
 ばあさんもこんな死に方しなかっただろうよ。余計なことばっかりだ。
 じたばたせずに、さっさとこの家のことなんざ忘れてしまえば、
 手に入れることもなかっただろうが、こんな有様になることもなかった。お前もそう思うだろ

また、諦めきれずに柔らかいものに触れようなんてして。

棘を吐けば包み込んで、苦みを吐けば甘いものを。 それを年下の女に。情けない男になりさがる。
止めろ、と思いながら言葉はすらすらと出切ってしまった。
聞いたが焦ったような困惑したような顔をして言う。

「しっかりしてください」

しっかりってなんだ。
苛々としながら、同時に何処か遠くでまるで餓鬼の言い争いじゃねぇかと侘助は考えている。

「なにが」

感情の起伏が可笑しくなる前兆が分かる。笑い捨ててしまいそうで酷いことを言いそうになる。
内臓をなぞられているような気分だった。さっさとどこかに行って欲しい。傷つけてしまう前に。
この爆発が終われば後はいつものように接してやれる。
を追い払おうと口を開いた時、のほうが先に口を開く。

「侘助さんは栄さんを死なせたかったんですか」

「な、」

思わぬ反撃だった。
思考に電撃でも走らせたみたいにカッと頭に響いて刺さった。
抑えを無くした爆発が起こる瞬間、しかし、追撃がくる。

「そうじゃない!」

慣れないひっくり返った馬鹿でかい声をは張り上げる。

「そんな訳ない! 違う! そうでしょ!?」

今にも詰まりそうなぜらぜらと怪しい音を絡ませながら言って見せる。
驚く侘助の前で結局ごんごんと咳をして言わぬことないと思わず手を伸ばしかけるとギッと睨みつけて、
は、液晶が暗くなった見覚えのある携帯を「これ」と擦れた声で差し出してくる。

「侘助さんが栄さんのこと昔から大好きなのは、もう皆知ってる事です」

夏希の奴が。
脇を突かれつい侘助は動転した。いつものらりくらりしているくせに、 今はなんだか誰かが乗り移ったかのようにこちらを向いて睨むような顔をしては逆に立ち塞がってくる。

「栄さんは前々から毎日飲む薬があるのは知ってました。心臓の薬だって言ってた。
 私達には毅然としてたからわからなかったけど、診察した万作おじさんが言うには、心臓が弱ってて、
 死因の事も寿命ってことになるだろう、だそうです」

「それでも、OZの混乱さえなければ……」

「これも」

言いつのった侘助に向かって、携帯の横に家族へと書かれた折りたたまれた紙を は差し出した。

「栄さんの家族への手紙です」

遺言。
もう完全に爆発する起源を失って、恐る恐る侘助は手を伸ばしてそれを持った。 そこに何が書かれているのか恐ろしい気も、早く読んでしまって終わりにしようという気もどちらもあった。 手にとって開き始めた侘助にが、 「多分、栄さんは、もうずっと前から用意してあったのだと思う」と言う。

「ごめんなさい。先に目を通させて貰ったんです。

 内容は、家族のことを信じてるから、達者にやってくれ、って。
 その後は、ずっと帰ってこなかった侘助さんのことが書かれてる」

言われて手紙を開き、書かれた文字を必死で目で追う。

「そうでしょう?」

「……じゃあ、尚更、AIなんざ作らなければ!」

「違う」

これだけはこの世の絶対な真実だとでも言うように が言い切った。

「栄さんは病気だった。侘助さんはラブマシーンを作った。
 作ることが出来たから逃げずにここに帰ってこれて、栄さんに向き合おうとすることができた。

 ラブマシーンが完成しなかったら侘助さん、今年、帰って来なかったでしょう?
 今年じゃなくても、来年でも、完成しなかったら侘助さんは陣内家にきっと帰って来なかった。
 そしたら、ご飯を食べさせてやってくれっていう栄さんの言葉も、
 家族同士、手を離さずにいるように、っていう願いも叶わなかった事になる。

 ラブマシーンが完成したから、侘助さんはここに帰ってきて、栄さん達と同じ食卓をもう一度囲めたの。

 違う?」

「……」

それでも、と思考のなかで呻く。
何か間違いがあったはずだ。そうじゃなきゃこんな結果、認められない。
黙っている侘助を前にして、次に、息を吸ったが声を沈鬱に沈めて言う。

「無駄なんかじゃない。私はそう思うんです。そうじゃないって思うんです。
 だって、私はそう思って欲しくないから―――

 ―――栄さんの使ってたあの医療システム前身、十年前の……
 アバターに脳波や心拍、患者の状態を完全に投影して治療を進めるという最新医療。
 私の、この病気の始まり。あれは私の両親が開発を提案したものなんですね?」

代わりに顔を上げた侘助は「それをどこで…」と言った。
は知らなかったはずだ。当時、が打ち明ける素振りも見せていなかったと思う。 罪悪感に囚われた侘助もこれ以上他人の家族を突っつきまわすなんて出来るわけがなかった。 お節介な陣内家の連中もわざわざ告げるとも思えない。情報を得られる機器も与えられていないのに、 どこからかそれを知り、私はそんなことも知らなかった。とは項垂れる。

「両親はあの事故で私がこんな風になって後悔したんでしょうね。
 ひょっとして責められるかもしれないって思って私に教えられなかったのかも知れない。
 ……でも、私は教えて欲しかった、と思った。
 当時、教えられてたらもしかしたら八つ当たりしたかもしれないから、大きなことは言えない。
 でも今、この前知ることが出来て両親が私にしてあげようとしていた気持ちを知って嬉しいと思ったから。

 侘助さんが家族に向き合おうとした気持ちは本当だった。
 だからこそ、ラブマシーンが出来た。
 侘助さんは帰ってきた。

 ……求めた結果が違ってしまった事で、貴方達は作ったことを後悔してしまう。
 でも、思いや努力は無駄じゃない、無駄なんかにして捨てたりしないでください。
 それは、思われた人間にとって、とても“尊い”んです。
 栄さんもきっとそう思う。ようやく知った私よりもずっと良く出来た人だから」

「……だが、どうすればいい? 俺がOZの混乱の原因を作った事実は変わらない」

歩いてきた道を引き返すことができない、歩いている道のその先へは行けないと分かってしまったのなら。
携帯、手紙、そして最後に、はそれらの隣に絆創膏を差し出した。


人間は選択をする。


「もう何もなくしてしまわないように、なくなることがないように――――ラブマシーンを止めるんです」




***




「慶長20年の大阪夏の陣じゃ、徳川15万の大軍勢に打って出た」


敵は圧倒的なんでしょう?と今まで高校野球を見守っていて初めて全ての現状を知って不安がる由美に克彦が言った。 でも、負けたんじゃあ……と漏らすと「負け戦だって戦うんだうちはな。それも毎回」と麦茶を飲んだ万作が言う。 理香がサトイモの煮っ転がしを取りながら言った。「馬鹿な家族!」

「そう、私達はその子孫」

私もそのバカの一人だわ、としみじみ直美がおひたしを口に放り込む。

「でもでも、何か策はあるんでしょ?」

「今から奴をリモートで解体する。だが、間に合うかどうか五分五分だ。そこで、」

手当を終えた侘助が握り飯を持って言った。狭い机周りが二人分、また狭くなる。

「混乱の原因はアカウントを奪われていること。もっと有効な手段で奪い返すにはどうしたらいいか」

言葉を繋いだ健二が取り出し、皿の並ぶ食卓の上に出したのは花札だった。
健二が考えたついた末、できた三度目の正直の渾身の策。

「奴はゲーム好きだって言ってたよね」

「―――え? 花札?それでどうするの?」

夏希は箸を持ったまま首を傾げた。

「OZには花札で戦うステージがあるんです。バイト中見かけたことがあります。
 奴はゲーム好きだから勝負を仕掛けたらのってくる。
 ……普通、かけ金はポイントとかなんですけど、それをアカウントとして戦えば……!」

「勝てばかけ金分のアカウントを奪い返せるということか」

厚揚げを食べた理一が頷く。

「でも、もし、負けたら……」

「言っててもしょうがないよ。戦わないとそれ以上のものが無くなるんだから」

山菜を箸でつかんでいる佳主馬が言う。

「でも、それだったらミニマムベットのコイン分が必要だよ。
一人分のアカウントじゃ少なすぎてゲームにならない。対戦者以外のコインの役のアカウントも必要」

「うん、それに後一時間ちょっとしかない」

「じゃあ、皆の全部を一気に賭けることに、なるの?」

山菜ののった皿を佳主馬から受け取った聖美が不安そうに言った。
不安と決起の入り混じる空気のなか、聞いていて機会を窺っていたがこっそり声を万里子に掛けた。

「あの、後ででいいので、家の電話をちょっと私に貸してくれませんか」

「へ?どうして?」

万里子の声で沈黙が走り、円卓の視線が自然と集中する。
「でも…」と万里子が持論を気にして言いよどむ。

「ものは試しです。座って使えば倒れたってどうもならないですし、
 どうせ私には賭けられるアバターがないので他のことでやれることをしたいんです」

あ!と声を上げたのは健二だ。慌てて万里子に頭を下げる。

「す、すみません。ここの電話番号で僕、仮のアバターを取ってしまってて。
 僕のアバターはああですし、その、今さらですけど、お借りしてます」

「……えっと、小磯、健二君?」

「は、はい…」

健二が返事を返して、目が合って、お互い奇妙な感じがした。 今日になって初めて会話を交わしたというのもあるし、 二人ともが親類でもないのに、ここで食卓を囲み、話し合いに参加しているという不思議だ。

「夏希ちゃんの彼氏の」

「え!? いや、そ、その件はその、済んだというか終わったというか……」

「み、三日間の内に?……えーと、その、よろしくね。作戦が始まるまでには返すから、借りてもいい?」

「はい。大丈夫だと思います。よろしくお願いします」
三日目にしてようやくまともな挨拶が終わった。

「……で、誰が対戦者になる?」

侘助がごくっと最後の一口を飲み込み終えて言う。

そりゃあ、花札が強い人だろう、と一度思案し、家族の目線が彷徨った。
その中で夏希は侘助を見た。侘助は作業があるため対戦者にはなれない。でも、勝ち逃げするから負けた回数の保持が一番多かった。 けれど、返ってくる視線に、きょとんと首を傾げ、視線を巡らせてみる。
その隣のも夏希を見ていた。もアバターが無いため無理であるし、それに素直に出た絵を重ねて進めて負けるタイプ。 ぐるり、と家族を見渡した。


「私?」


うん、と何かしらの機会で負かされた経験のあった皆が言う。



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