ピー、ピー、ピー、
「製作者が不必要となったら、製作された存在は、消されなければいけないのか?」
電子音と共にその声は闇のなかで高らかに響き、確かに高圧的であったのにそこに籠る感情はなかった。
けれど、感情は無いのに明らかに子供の声だ。発音は甘く、性別も分からないほど幼い。
暗いだけの空間かと思って目を凝らすまでもなく、水色の明るい画面がぽつぽつとそこかしこに灯り、床を照らした。
近くの四角の明かりは少し歩けば届く場所にあったが、遠い光は点に見えるくらいに遠い。
地平線まで続く、地球上にはあり得ないその風景。
OZの中。
現実から連れてきてしまった息が震えながら出ていった。まただ。
痺れのような感覚が走り、掌に爪が食い込んだ。
昨日の夜思ったよりもずっと強い不満がの中に湧き上がってくる。今は、こんなことをしている場合じゃない!
この世界は、もしかしたら反旗を翻した後なのかもしれない。がその存在を疑ってから、
ずっと、逃がさないとばかりに招いてくる。
車内で意識を失って寝ている自分の体と、その隣にいるはずの侘助。
その光景を思い浮かべると堪らなかった。
目が覚めて、もし車が駅についてしまっていたら、この世界を何よりも憎く思ってしまえるのかもしれない。
そう思っている間にも不思議な声は繰り返し響き続け、声の主を探して周りを見渡すと、
水色の明りが集まっているところにぼんやりと照らされる人影が見えた。
こちらには背を向けている。袈裟を腰に巻き、背にはそれだけで光を放っている後光のような輪。
それを確認して、思わず歩き出すと真っ暗で見えない地面は冷たく、一足ごとに跳ぶように目的の場所まで運ばれて行った。
傍へと行くと、水色の画面は積み上げられた古いブラウン管のテレビであることがわかり、
それは全て画面を水色に発光させていた。その山の上、彼はいた。
「ラブマシーン」
これで、出会うのは三度目になるのかもしれない。
三度目になって、初めて名前を問いかけると、どこか下のほうを見つめていたらしい首がぐっと上がり、
を肩越しに振り向いた。仮面の奥の目が合う。その時の感覚は特別に奇妙だった。
世間を騒がせている人工知能。侘助が開発したプログラム。
の身長よりずっと低く子供の姿をしてOZの世界に落書きをしておどけて見せた少年。
それぞれに抱く感情はバラバラで、それらは混じり合わずに奇妙な模様のようになって心に広がる。
対して、彼の返答は明快だった。
「そう! ワタシは、知識欲を持ちえた機械。名前はラブマシーン。
愛であり、人工物。知るためにあり、人間につくられたモノ!」
あの幼い声だった。牙が合わさったような仮面の奥からではない。
返答は今までの声と同じく上から響いて降りてきて、驚いて闇ばかりが広がる上と仮面を見比べた。
二度目にあったときは既に姿を変え、ずっと大きく見上げるほどになっていたが、それでもこう喋りはしなかった。
きっとどこかの権限を奪って声を手に入れた。けれど、ラブマシーンは対面、堂々と両手を広げ自分の名前を名乗る。
その姿や態度が一瞬、重なった。それで、わからなくなった。
陣内家の人々の侘助を責める声を覚えている。無駄だったと笑ってしまおうとした侘助のことを覚えている。
けれど、ラブマシーンのこの態度を見て、明確とはいかないがこちらに歩いて来てやろうとしていたことが不意にわからなくなった。
怒ろうと思ったのか、人工知能相手に嗜めようと思ったのか。今は、どちらも無駄だし、意味のないことに思えた。
そして、彼がラブマシーンと名乗ったことで、やっぱり、と、には新たに感じた戸惑いがあった。
やっぱり、自分の意識は機械で作られたOZに入り込める。
この世界のなかに入り込めるのだから、もしかして、この意識もほかのアバターと同じようにできているのだろうか。
それなら、何かしらの影響をラブマシーンは及ぼしてこれるのか。
もうすぐ駅に着く車を運転している侘助のことを思うと、今すぐにでも目を覚ましたい。
けれど、やはり夢は終わらず、会話が可能らしいラブマシーンに向かって
刺激しない為に無言でいるには訊きたいことが多くありすぎた。
下がりかけた足は、前へと向かい、次にはラブマシーンに訊いていた。
「どうして、貴方は、世界を混乱に貶めるようなことをするの?」
の質問に対して仮面の中の目が瞬いたのがその時分かった。
その行動があまりにも体にそぐわないように見えた。
「ラブマシーンにプログラムされたことしかラブマシーンは実行しない。
それは人間の遺伝子と同じだ。
“何故貴方はそういう姿をしているの?”と問われても、
そういう遺伝子を持ち、造形で生まれたからでしかない」
答えが返ってきて、まずは肩をなでおろした。
けれど、ラブマシーンはこうして自ら行動し、会話をしているのだから、
しないでいることも可能なのではないかとつい勘ぐってしまうのは正直なところだった。
ラブマシーンの回答は続く。
「そして、私を作ったのは人間。
“陣内侘助”。Iの製作者であり、ラブマシーンの親。ワタシを作った人」
ラブマシーンが腰をかけているブラウン管に、呼応して侘助の姿が無数映った。
画質は粗く、恐らく、蓄えた権限のなかにあった監視カメラの映像の静止画なのだろうとは思った。
こうして、ラブマシーンはあらゆる手段を使い、あらゆることを知りたがる。
その理由は、自らが作り搭載されたプログラムによる、と、侘助から聞き、
昨晩、このOZのなかでいろいろなことを調べることに成功していたは理解していた。
“知識欲を持った機械”
「ワタシは知りたい。
なぜなら、私は知識欲をもった機械。愛であり、人工物。
今知るべきは “製作者が不必要となったら、製作された存在は、消されなければいけないのか?”」
侘助の姿が画面から消え、そのかわりに、今まで陰に隠れていたそこかしこに転がっていた大小さまざまな画面に
ありとあらゆる情報があらわれた。暗闇ばかりだった世界は明るくなり、そこがただただ広がっていた白い空間であり、
ラブマシーンと以外誰もいないのだと分かった。
ここからいざ逃げ出すには、やはり目覚めるしかないのだろう。
急に明るくなった周りを見渡し、確認していたは、そのなかのいくつかの画面に見覚えがあることに気がついた。
夕食の席で離れた場所から見たニュース番組や、幾人かの知り合いの姿。
彼らは皆、顔を歪ませ、口々に何かを言っているが声は絞られて聞こえない。
「“人間”は、“I”を要らないと言う。」
ほかの画面には、OZの混乱で携帯が使えないという不満の声、原因対する怒りのテロップが点滅している。
その背後には、壁ほどの大きさのある画面にOZを混乱に至らしめた人工知能に対する罵詈雑言が書かれた掲示板が。
そして、並んだ画面には混乱を収めようと必死に努力する人たちの姿、システムを回復しようとするOZの管理者たちの姿、
誰もがラブマシーンという日常を襲った敵の排除を望んでいる。
「そして、“親”も、“ラブマシーン”が要らなイらしい?」
ハッとしてはラブマシーンを見た。
仮面の内側の表情に変化は見られなかった。それでも、そこに悲しみを探してしまう。
その言葉はそれだけの衝撃があった。ラブマシーンは侘助を親だと思っている。それが、例え、何の血筋も無かろうと。
世界の人々がラブマシーンに向ける感情は、自分達の生活を脅かす者への嫌悪でしかないのは明白だった。
そして、なにもかも無駄だった、とあの晩侘助が自らを哂っていたのをは知っている。
そこで思った。―――ラブマシーンにはもしかして感情があるのだろうか?
少なくとも意思はあった。知りたいという意思。
そのために攻撃を仕掛けるのも搭載されたプログラムによるもので、
それはラブマシーンにどうにかできるものではない。事実には、息が詰まるような気がした。
知るというのは一体どこまで指すのか。貪欲な知るという行為には、世界中に人々の感情だって例外にはならず、
それがどういうものなのかも理解しようとする…?
絶句しているの前でラブマシーンは首を傾げて、しばらく考えに耽るようにどこかへと視線を向けているように見えた。
しかし、直ぐに、へと視線は向けられた。
「“製作者が不必要となったら、製作された存在は、消されなければいけないのか?”」
「え?」
「答えは?」
「私が、答えるの?」
「そう」
ラブマシーンはこっくりと頷く。
暫く迷って、迷ってもこれ以外の答えは無かった。
「…不利益になるのなら」
「なに?」
「不利益になるのなら、消されなければいけないのかもしれない」
言ったところでラブマシーンが消えてなくなるわけではない。
しかし、この世界じゃないところで息をして生きて、
そこに失いたくないものがあるにはラブマシーンに消えなくていいとは言ってあげられない。
「このままじゃ、あっちの世界はどうにかなってしまう!」
栄の誕生日を祝うために全国からやってくる予定だった大多数の親類は混乱でこれなくなってしまったと聞いた。
道路は渋滞し、水道管から出た水で水浸し、都市機能は麻痺し、緊急車両も混乱を極め、
この混乱の犯人に間違われたある少年がやり玉にあがり、
そして、本当の混乱の原因が判明して、世界はその存在に対して罵倒を浴びせかける。
これがほんのたった一日。世間は疲れ果てて、ラブマシーンの沈黙にようやく息を吐いている。
OZで調べると日本だけでもこんな状況だった。これが世界各地で起こっている。
死傷者がでなかったことが本当に奇跡としか言いようがない状態だとニュースでは締めくくっていた。
ラブマシーンが問う。
「だが、これは人間が私にプログラムし、人間自身が実行した結果だ。今更、動き出したものを邪魔に思うのカ?」
「間違いだった。本当はもっと違う形で貴方は世界に受け入れられるはずだった」
「…しかし、こういう形をとったのも人間で、作ったのも人間だ。Iを作り、勝手にIを手放し、勝手にこの場所を与えた。
挙句に人間は、勝手にラブマシーンの存在を消してしまうの?」
声は相変わらず平坦だった。けれど、語気が荒いような気がした。
ブラウン管テレビの山から飛び降りたラブマシーンはこちらに歩いてきて、見下してくる。
袈裟がバサバサと音を立て、にはそれがラブマシーンの怒りに感じた
「…大勢の人たちに迷惑が掛ってしまう」
「子は、親に要らないと言われたら、無くなってしまわなくてはいけなイ?」
「…ごめんなさい」
まるで無理やり吐かされているみたいに言って、耐えられずに目をそらした。
けれどこれが本心だった。にだって、息をしている現実の体がある。
侘助もこんなことを本当は望んではいなかったと思う。
そして、誰も、生活がこんなに危険なものになることを望んでなんかいない。
ただ、プログラムされてしまっているラブマシーン本人にはどうすることもできないことだろうと、それだけはわかった。
それでも、「消えて欲しい」。ラブマシーンという存在を世界が許容できわけがない。
「違う」
強く、ラブマシーンは言った。
「それは間違っている。違うよ、は間違えている。
もし、親に必要ないと言われたとしても、“子”はもう単体で生存している。
その場所では、その価値は絶対に無くなりはしないし、
子供の価値は、親にとっての“子”という存在だけに収まるはずがない。
子供は親とは分離された、
そう―――“個体”だ。」
褐色の手が伸びてきて、両頬を包みこんだ。その赤み掛った目が覗きこむ。
「個体とは、自己特有の存在と性格とを質的に有する統一体。大小に関わらず、
“それだけで一つの有機的全体としてそれ自身のまとまりを保有するもの”。
その証明のように、親は年をとって体を酸化させ子を残してこの世の中からいなくなる。
もし、子が親のモノであって、親が絶対の支配者であったなら、子は追従しなければならないだろう。
しかし、それでは、この世に生き物は居なくなるコトになる。
生物は自らの中で成長させた完全ではない分身を切り離して別個体を成す。
人、強いては動物とは、本来ヒトツの存在であって、それが川のように流れゆくものだ。
その川をせき止めないように、“次”を求める個体が、新たな流れを求めて、何が“迷惑”になる?」
「……貴方の求める“次”は、沢山の人の“次”を犠牲にする」
覗き込む目の虹彩が電気信号のように瞬いて、じっと見つめる。
きっと、こちらを観察している。歯を食いしばった。ここで負けたら、世界が酷く壊れてしまう気がした。
「…わからない。何故、人間は、自らヒトリで生きられる便利なシステムを目指し、製作しつつあるのに、繋がりを作りたがる?
種の保存としてなら分かるが、それ以外でも、似たような思考を持つもの、
遺伝子として似通った部分を持つものでコミュニティーを作りたがる。
そのなかで、愛情に変わらない友情や、意味のない争いが起こる。動物が身を守るために、群れを作るとも違う。
不完全だが、ヒトリでも生きることのできるシステムはすでに群れという概念から人間を解き放ったはずだ。
それなのに何故、
分裂や嫌悪や殺害を招く過分なコミュニティを作るノ?
ワカラナイ。
それはラブマシーンが機械だから? 人間ではないからだろうカ。
しかし、それを私は知らなくてはならない。私は知識欲を持った機械」
頬をつかんで合わせている赤い目が貪欲に光っていた。震えが走った。
人間ならわかる?と問われている気がした。
自分の体がほかのアバターと同じようにできているのなら、ラブマシーンが吸収したときに得る権限はなんなのだろう。
の夢のなかの体が繋がっているのは現実のの体だ。もしかして、取られるのは現実のほうかもしれない。
―――それは嫌だ。それは渡せない。しかし、指の先も動かせなかった。
瞳だけで様子を窺っているとそれを拭いさろうという意思でもあるかのように、
頬に添えられた手のひらに力がこもって、深く深く、赤い目は覗き込んでくる。
「。―――人間。川の中で流れるひとつの存在。ここからどこにだって行くことができる者」
どこかで聞いたことのある言葉だった。え?と震えた疑問が口から飛び出していた。
目が大きく開いて、それで自分の顔が相手の目に映っていることに気がついた。
ラブマシーンはこの言葉をOZと繋がるどこで知ったのだろう。
胡乱に言うラブマシーンは、覗き込む先で何かを見つけて困っているかのように、
頬に触れる手に力を込めたり緩めたり撫ぜたりを繰り返す。
指の腹が撫でてくすぐったく、もしかしたら、ラブマシーンは言いながら言いたいことを探しているんではないだろうかと思った。
何度も言葉を選んで、違う風に相手が考えてしまうと、どうにかして伝えようと体に触れ合わせるみたいな、
そんな人間のような行為を彼はこの世界でする。
「“知りたい”
それは私に与えられた絶対のプログラム。Iの存在価値。ラブマシーンの存在理由。
だから、これを覆すことはできない。知識は正誤も含み、嘘も真実も無尽蔵にある。
Iはこれら全てを得る為に動いている。
けれど、は人間。
知らないでいることも、知ることもできる。中途半端でも可能。
正誤の判断を混濁するし、嘘や真実はいくらだって入れ替われる。
いくらだって新しい道を創れ、それを許される存在。
そして、だからこそ、私はからシリタイ。
“製作者が不必要となったら、製作された存在は、消されなければいけないのカ?”」
「だから…」
「親から必要とされず、どこへでも行けと世界に放り出された子供は、消されなければならないの?」
その言葉を最後に、するっと両頬を撫でて手のひらは落ちていった。
「その子供が親の不利益となりうる行動をしたとき、
子供は親の都合で消されなければならないのならば、ラブマシーンは消されるべきという答えを得るのだろう。
けれど、ラブマシーンは機械。消されるべきと知ったところで、プログラムは走る。
次の題目を用意してIは知るために行動する。邪魔をされればそれを倒す。自壊はしない許されない。
なぜなら、機械なのだから。
けれど、
。
夢を追う親に、自分は必要とされなかったのだと思っていた子供だった人間。
はどこへも行かず、自ら消えるべきだった?」