「……私?」
呆然と呟くと、ちかちかと、その目の奥で光が瞬いているのが見えた。
「さっき言ったように。ラブマシーンはそうは考えない。
子供は親とは別の個体だ。親が必要としなくても、人間の子供は何れ大人になり、自分の為に生きるようになれる。
親が与えてくれる知恵や恩恵は十分に貰い受けるべきとは思うけど、親が与える冷たいものまで子供が飲む必要なんて無い。
自分が納得するために、その人がくれない言葉を予想して、諦めてみたり、悲しくなってみたりする必要も無い。
“機械”からみるとそういうものは余分で無駄だと思う。そして、“動物”はそういう無駄なことを得ようとはしない。
けれど、だからこそ、“得ない”という選択のほかを設けて、自ら選ぶのが“人間”なのだと思う。
OZのなかにあるありとあらゆる権限を吸収して調べた私の答えとしたら」
「……これは…何の話なの?」
「“製作者が不必要となったら、製作された存在は、消されなければいけないのか?”」
「…そうじゃない」
「……」
「どうして、そんな事を?どうして私に?…一体どこで…なんで貴方が?」
「…私は、知識欲を持った機械。知らなくてはならない。
Iは、人間の感情を正しく理解している? 悲しい?怒ってる?
きっとは悲しいんじゃないかと思う。教えて」
「…わからない」
「泣かないで」
目じりに親指の腹がなぞっていく。
その指は目じりの皮膚よりも少し硬く乾いていた。だから分かった。涙は出ていない。泣いてない。
それでも、泣いている子供をじっくり慰めるみたいに腰を折ったラブマシーンは肩を抱いてくれる。
は、ただ呆然と人工知能だと自称する機械を見つめて、わけのわからない震えに怯えていた。
どうして、そんなことを言うんだろう。
消えるべきだった?
パチン、とブラウン管の一つが映像を切り替える。
―――「…不利益になるのなら、消されなければいけないのかもしれない。」
(当時を思うと、漠然と、両親の笑っている顔が自分の喉から出た咳で崩れてしまうことばかりを思い出す。
それが悲しいものだと理解できるのだから、当時の自分もそう思っていたはずだ)
―――「…貴方が求める“次”は、沢山の人の“次”を犠牲にする」
(慣れ親しんだ劣等が、慣れ親しんだ足枷をつけ、息を殺せと言っている)
( お前はどうせ、途中で倒れてしまって、周りに迷惑を掛ける)
―――「その川をせき止めないように、“次”を求める個体が、新たな流れを求めて、何が“迷惑”になる?」
―――「だから、お前は優等生の振りをする。」
―――「さっき言ったように。ラブマシーンはそうは考えない。
子供は親とは別の個体だ。親が必要としなくても、人間の子供は何れ大人になり、自分の為に生きるようになれる。」
脳の中の海馬から電流が流れ、シナプスを通り抜ける信号に呼応して、次々に映像は移り変わっていく。
―――「アンタが、お父さんとお母さんに会いたいかどうかっていう問題さ。
ここが良いなら、ずっと此処にいてもいいさ。けどね、寂しくはないのかい?」
―――「何故、人間は、自らヒトリで生きられる便利なシステムを目指し、製作しつつあるのに、繋がりを作りたがる?」
(絆を持つということは孤独を知るということだ)
―――「体のことは労わんなきゃならないだろう。けど、人間は、籠の中の鳥じゃない。
が望めば、はどこにでもいけるってことだ。」
(その頃、どこかに行きたいと私は無性に思っていた)
けれど、どこに行けばいいのかは、ずっと、わからなかった。
(これは、生来の性根では無く、単なる悪癖だ。
だって、なぜならそれと真反対のことを自分は無意識にしようとしている)
(結び目は固く、どれがどう絡みついているのかがわからない。
それを解くには、やはり、まだ悪癖が薄かった2歳の頃の自分が必要なのだと思う)
(それが分かれば、きっと、歩きだせるのに!)
どこへ?
―――「アンタならできるよ。なにせ、ちっちゃい足で侘助について行こうとした頑固者なんだからね」
「私は、消えたかったの?」
呟くとラブマシーンが顔を覗き込んだ。
けれど、にはそれがどういう意図なのか判別するまではいかなかった。
自らの存在が両親に望まれていないと思っている。
どうせ繋がって、悲しい思いをするくらいなら、繋がらないでいるほうがましだ。そんな風な考えは、
親と子で完全に分断してしまえば悲しく無いという考えなのだから。
孤独になる絆なんてないほうがいい。この世界は繋がるほど孤独なる。だったら、どこかに―――
震えはいつの間にか止まっていて、ラブマシーンがしきりに間違っていると言っていた意味を理解した。
この命題は人間に作られ人間に否定される機械の命題であり、
の命題でもあった。
だから、が消えてしまうべきと答えたなら、今ここにいるの存在は矛盾する。
自分は消えるべきだと言うにラブマシーンは矛盾を解消するために否定を投げかけ続けていた。
でも、本当に?
今まで私は本当に消えたかった?
ゆるゆるとは首を横に振っていた。そうじゃない。それも、ラブマシーンが既に言ってくれていた。
―――“得ない”という選択のほかを設けて、自ら選ぶのが“人間”なのだと思う。
自分が納得するために、その人がくれない言葉を予想して、諦めてみたり、悲しくなってみたりする必要も無い。
陣内家に預けられた日々のいつかの夜。
病院に入院した一人の日の夜。
アメリカに行って、同じ国にいるのに会えない日の夜。
そこに行きつく度に思っていた。そんなことを考えないでいいと誰かに言って欲しい。
自分はここに居て良いんだと言って欲しい。
そう、消えたかったんじゃない。
「…もし、」
出た声は震えていた。
求めていた言葉を貰って、嬉しいと思った。
何故なら、言葉が欲しかった頃の自分は、確かに自分のなかで生きている。
私がココにいるのだから、消えてしまえるわけがない。
謝る両親に大丈夫と言えた自分は誇らしかった。けれど、誇らしさを覚えるくらいに寂しくて辛かった。
両親の悲痛な声を聞いているは苦痛だった。夢のことを話す両親の弾む声が好きだったからだ。
ようやく、ようやく見つけた。ずっとこの子は生存を叫んでいた。
その子供は、醜い強がりの言葉の裏側にずっと居て、生きていてくれた。
「もし、……迷惑を掛けるかもしれないけど「ついて行きたい」
「もっと会いたい」って、私が諦めずに言っていたら……」
見上げたその先で、ラブマシーンはちゃんと話を聞いて居てくれた。
「もう少し、親子でまともに話せるくらい、一緒に過ごせたと思う?」
「それが知りたい?」
「うん」
「じゃあ、同じ!“知りたい”は同じで、Iとはおそろい!」
響く声は一層高らかに、様々な言語でもってそれを謳った。
ラブマシーンはの手を捕まえて手を繋いで二人で輪を作る。
相変わらず、言葉は無感情的だったが、もう、彼がただの機械で、感情がないなんてにはとても思えなかった。
ひとしきり笑うとホロホロと涙が流れて、ようやくラブマシーンの言ったことが遅れて様になった。
それも可笑しくて、―――だからこそ、葛藤に駆られた。繋がれた手の力が抜けるのが分かり、見上げると、
ジ、ジ、ジ、と得た答えの処理を終えたラブマシーンが新たな命題を掲げるまでの間の空虚に意識を留守にする。
すっかり力が抜けて、毀れおちそうになる手を代わりにが握った。
ラブマシーンという人工知能は自分が気付けなかった気持ちを正しく理解した。
それなのに、自分のことに気がつかないわけがない。“知る”という行為を止められない。
褐色の肌を頬に寄せてどうか気づいて欲しいと願った。
閉じた瞼の裏に、製作者である侘助の後ろ姿が脳裏に映った気がした。
昨日は混乱だけで済んだ。けれど今日は?
混乱させ、対抗者を作り、それに勝利して吸収する。
その過程を辿る人工知能が対抗者である人間に与える課題は勝利するたびにエスカレートする。
いつ、その課題が人の命を奪ってしまう事になるのか。
「混乱させて、敵対して、勝つことで吸収していったら、いつか何にもなくなってしまうんだよ、ラブマシーン」
そして、
「なくなってしまったモノの事を本当に正しく知ることは、もう二度とできなくなる」
死体を調べることはできても、その人を知ることにはならないように、全てを知ろうとする機械は、
そのプログラムの命令によって知るべきだった人間の命を奪い、それでも他の事を知ろうと恐らく地球を破壊し始める。
ラブマシーンがプログラムを完遂させるということは、全てのものが周りから亡くなった状態ということではないのだろうか。
全てものがなくなれば機械であるラブマシーンも活動できなくなる。
それでなくとも、滅亡しないために人間はラブマシーンを倒すために奮闘するのだろう。
世界を滅ぼし、自分をも滅ぼすプログラムを持った、愛の名前を持った機械。
ぐぐ、と、手に力が戻って、ラブマシーンはの手を握り返した。
「…。…私は…知識欲を持ちえた機械。名前はラブマシーン。愛であり、人工物。知るためにあり、人間につくられた……モノ」
「…でも」
「とIはおそろいだけど違う。
ワタシは、モノなんだよ。。
モノは決められたプログラムを実行する機械でしかない。選択できる人間とは違う」
手はゆっくりと離れていく。
そして、体温を感じなくなった時、ラブマシーンは何かに気付いたように、ハッと後ろを振り返り、凝視し始める。
も追いかけてその先を見た。
そこにはブラウン管が転がっていて、画面には鳥の形をした家紋が映っている。
――――!
―――!
何―――てる―――――にも――――せに!
絞られているはずの音声が喧騒になって漏れて聞こえた。
この声を知っている。そう思うと同時に、世界が混じり合う感覚がした。
彼岸が歪み、此岸が薄らと重なる。
ラブマシーンを見たが、こちらの様子にも気がつかず、じっと声のしている家紋を見ていた。
だが、一言告げる間もなく、強い波が来た。どちらがどちらかわからないほど激しく光景が入れ替わり、
ああ、夢から覚める。
***
目をあけると、眩しさがあった。まだ、明るい。人の行き来が多いのも見える。
まだ祭りは続いている。夢のなかと現実の狭間の余韻が今回は特に強く残っているような気がした。
すっかり停車している揺れのないドアに凭れかかっていた体を起こそうと、手をかける。
その時、夢のなかだったはずの音が夢から覚めた後も続いていると分かって、思わず動きを止めた。
そうだった。あの世界はちゃんと現実に存在している。
聞こえてきた女の子の声がようやくが内容を理解できるようになったとき、
泣きそうな声へと変わっていた。
「心臓が弱ってたの。OZの混乱のせいで万作おじさんがすぐに手当てできなかった」
夏希の声。
侘助が運転席でパソコンを開いて夏希と連絡を取っている。
侘助は起きているに気づくことなく、狼狽をしながら呟いた。
「ばあちゃんが?ばあちゃんが、死んだ?」
遅れて先ほどの内容がなんの内容なのか、理解する。
理解したと同時に、嘘、と疑ってかかった。
しかし、直ぐに夏希の泣き声がして、じわじわと本当が胸に競り上がってくる。
そんな、まだ、あの朝に話した栄の声が耳に残っている。
―――ワタシは、モノなんだよ。。
―――モノは決められたプログラムを実行する機械でしかない。選択できる人間とは違う。
栄の朝顔の世話をしている姿と、そう言って手を離したラブマシーンの声が重なって、
ああ、と思った。OZの混乱。あの鳥の形をした家紋。―――もう、知ってしまっただろう。
今、OZのなかで、あの子はなんの命題を掲げ、何を知ろうとしているのだろう。
知るということは、君が何も知らないということを〜っていうのは健二が解いたOZのパスワードの日本語訳です。
パスワードの本文は後ろで薄らしてる英語。漢文は元の。
ラブマシーンの一人称が“I”っていうのは、小説版がそうだとか、どこかで聞いたような気がして。
知りたい機械が知ることのできるものを壊して自分を殺すって皮肉だなぁ。
(2014.1/18小説版では喋らないみたいでネタ元が不明になりました。どこだったかな…)