眠りの底。
呼ばれたような気がして振り返ってもそこに人はいなかった。
冷たくも温かくもない一点の汚れも見当たらない白い床に、重力を無視して支えもないのに空中を漂う映像の窓。
一つ一つが薄い液晶のように発光して視界を埋め尽くし、渦なってゆっくりと旋回する。
その映像から流れる数え切れない小さな音の波が合わさって喧騒のように聞こえ、それらに脈絡はなく、
ここは情報の吹き溜まりのような場所らしいと分かった。
多分、音が重なって呼ばれた思ったのだろう。思い直して改めて映像の渦へと向き直っては考える。
ここは、恐らく、OZと呼ばれる世界なのだろう。
目前に広がる現実にはあり得ない世界をまじまじと見渡すと、これが単なる夢でないことを実感する。
一つ一つの映像の情報はそれぞれ独立してはっきりとしているし、
とてもその全てが生き狭い自分の中から生まれたものとは思えない。
「静かにして」
呟くと、それら全てが一瞬で無音になって、世界から音が消えた。
それはもともと分かっていたことだったのかもしれない。
この世界の夢を見るまでは夢というものは常に曖昧で不条理なものでしかなかった。
それが、眠るたびに同じような仕組み、景色になって、自分が考えつけそうにないほど良くできているものになって、
それが何だと過去に考えた結果、寝て見るものなのだから“夢”なのだろうと選べる選択肢がそれだけしかなかったからだ。
けれど、昨晩、夢という正体から溢れ出ようとしていたこの世界は、OZという正体にはまり込んだ。
自分の触れない機械のなかにある仮想空間OZ。そこにどうして、眠るとOZの世界に訪れるのか、そんなことわかるはずもない。
ただ、確かにこの世界と現実の世界は繋がっていて、連動している。
その自覚の原因である、AIがもしかしたら近くにいるのではないかと
眠りに落ちる前、不安半分期待半分でまず思ったが、その姿は見えない。
目の前の自分を中心にした渦は、壁のように高く、空の上にも何重にも重なる映像で蓋をされている。
魚の群れのように暗い空え光る映像で溢れ、これをかき分けて外にでようとすれば、一晩なんてすぐに終わってしまう。
あたりを無言のまま見渡して、立っているのがやっとのスペースにそのまま座り込んでみる。
座った分空いた空中をササッと映像がやってきてすぐさま埋まり、何事もなかったかのように頭上で回りだした。
夢の始まりもそうだったが、夢の目覚めをコントロールできたことは今までなかった。
「今すぐ、目覚めさせて」
何も変わらない。無音で映像は回り続けている。それを不安げに見上げた。
いつもの通りなら、夜寝るときは布団の中から始まり、対外朝には目覚めるようになっていた。
しかし、今もそうだと安心する気にはなれない。
目が覚めた時、隣に侘助が居なかったらと思うと落ち着かない。
本当なら、侘助の手前、眠ったふりして、自分が何をしたいのかの答えが出るまで考えていようと思っていたのに。
けれど、目を閉じ、次の瞬間には、有無も言わさずにここへと押し込められてしまった。
そして、だからこそ分かったことがある。
ここは本当は自由なところではない。
それがわかって、世界を見渡すと囲んでいるものが嘲笑っているように思えて悲しかった。
「帰れ」と言われて帰れなかった自分が本当は何をしたいのか。
侘助とただ一緒に居たいのか、一定の距離を保ちたいのか、見送りたいのか、陣内家に戻らせたいのか、
それのどれも正しいような気もするし、どれも何かが欠けているような気がした。
自分の一存で居心地のいい場所を失わないように、一緒に居たいとしているのなら、
そんな我儘は我慢して、侘助が気持ちを整理できるように見送るほうが良いと思い、
陣内家に戻らせたいと思うなら、出て行こうとしている侘助を発見したときに誰かに知らせてしまえばよかった。
それらが混ざり合っていて複雑なのかといえば、少し違う。
答えはある。なのに、それを言葉にできない。だから、もどかしい。
そして、そこに行きつく度に、記憶に無い二歳の頃を思う。
家を飛び出した侘助に着いて行ったという無くしてしまった記憶。そこに答えがあるような気がする。
けれど、当時を思うと、漠然と、両親の笑っている顔が自分の喉から出た咳で崩れてしまうことばかりを思い出す。
それが悲しいものだと理解できるのだから、当時の自分もそう思っていたはずだ。
だから、きっと、陣内家に身を寄せている間は、ホッとしていた、と思う。
幼稚園に通っていた頃は、電話越しにいつも謝る両親に「大丈夫」と言うのは誇らしかったような気がするし、
それが正しいことだと思い、繰り返した。そして、思い出は次第に苦痛に変わっていき、生々しく容易に思い出せる内容に変わる。
小学生の高学年くらいの記憶。謝る両親の電話が切れる度にホッとして、
それが分かる自分を嫌いながら、親に対しても嫌悪があった。
どうせ繋がって、悲しい思いをするくらいなら、繋がらないでいるほうがましだ。そんな風な考え。
それが打って変って、15になり、話には聞いていた侘助が帰ってきて、両親がアメリカに呼んでくれていると聞いた。
驚いた。
すぐにそれに頷いている自分にも、両親が呼んでいると聞いて、最初に嬉しいと思えた自分にも、驚いた。
驚きはしだいに喜びに変わった。けれど、そんな喜びも、長くは続かない。
思い返せば、あの時迎えに来てくれた侘助が勝手に山を売って金を手に入れて、
その逃亡には同行したことになる。
だから、アメリカに渡ったその後、治療が上手くいかず、 日本に帰ってきて陣内家に戻れたことには、
今考えると本当に陣内家の人たちには頭が下がる事だ。
けれど、当時はまだ侘助のしでかした事をまったく知らず、再び陣内家の門をくぐった時に感じたのは、
申し訳なさではなくて、身を切るような安堵感の方だった。
郷愁を満たしてくれる場所はもうすでに両親ではないと分かって、故郷を無くしてしまえた安堵。
それは多分、OZの世界から目が覚めて現実に戻った時に再び感じるのかもしれない。
アメリカにいる間、両親との会話は思っていたようにはいなかった。
何を話すにも一から説明しなければならず、空しく繰り返して来た「ごめんね」と「大丈夫」が
どんなに身の無い言葉だったのか思い知った。
両親は、アメリカの病院で治療を受ける間、何度も顔を出してくれたが、
二人が忙しいことには変わりはない。長い話をする時間はついに生まれず、
両親は、話の途中にひっきりなしに分からない言葉をまくし立てる電話によって呼び戻された。
確かに二人との物理的な距離は縮まった。
けれど、縮まった分、会えない理由を距離と時間にすることができなくなって、関係が露骨になってしまったのだと思う。
締め切った病室のカーテンの向こうで、異国の言葉で喋る他人の親子の声がして、
一人でベッドの中、シーツを被り、寝ている振りをするような惨めな気分は今でも耐えられない。
聞くのが苦痛だった電話と同じように、絆を持つということは孤独を知るということだ。
その頃から、どこかに行きたいと無性に望むようになり、
そうして、その望みを叶えてくれたように現れるようになった夢の中の世界を好きにならないわけがなかった。
代償はあったが、迎えてくれた世界にはにはない健康な自分の体があり、誰に止められることなく自由に歩き回れ、
それが出来すぎているのではないかと懐疑に囚われるにはもう随分その世界に入り浸っていた。
そして、昨日、この世界は単なる良くできた夢ではなく、ネットの広がるOZと呼ばれるものと知り、
OZの世界で起きた混乱は現実へと染み出して、その混乱の原因をは知った。
知って、ここにいる。
一通り、振り返ってみて、項垂れた。結局、新たな疑問が生まれてしまうだけだった。
OZの世界。何故、自分はこんなところに出入りできるのか。
考えられる原因は15の頃に起きた事件だろう。
しかし、これについては、両親なら詳細が分かるかもしれないが、その後、速やかに日本へと返され、
暫くして、ネットなどから遠ざかざるえなかったにはあまりに概要は知れなかったのもあるし、
今どれほど科学が進歩したのかしれないが、夢とOZが繋がるというにはあまりに非現実的で今まで考えもしなかった。
今までの人生のなかで、こればかりが異質に思えるような気がする。
でも、それよりも、今は…
そこまで考えて、ふと、思いついて、もう一度は辺りを見渡した。
ここが、OZだと言うのなら……。
ハッとして、一か八か、回転する映像らの中心で呟いてみる。
「調べたい。アメリカ 10年前 最新医療 事件」
すると、映像の回転が止まり、次の瞬間、[search]と書かれた窓が展開した。
最後の一歩を待つように、目の前でそのキーは点滅を繰り返す。