真夏の夜の夢






侘助は笑っていた。無駄だったと、心の底から仕方なさそうに。ケラケラと。




は体から血が引いていくような気がした。 傷のあるなしなど、もう侘助にはどうでも良かったのかもしれない。 侘助のなかでの評定はもう下された後で、その傾き切ってしまった天秤以外を見ることができずにいる。

それは違う。が言う隙もなく、笑うことを止めた侘助は堰を切って言葉を吐き出す。

「山売って、金盗んで、海外逃亡、10年音信不通。
 そんなことして、急に顔出したと思えば、世間を騒がしてる事件の犯人だ。こうなるのも当然ってことだ」

「そんな、」

「当然だ」

静かに、強く言い聞かせる言葉。だがそれは後には続かない。

「当然に決まってるだろ…じゃあなけりゃ、何だったんだよあの10年は。ざまあねぇよ。
 もともと無理だったものをどうにかしようとして、足掻いて、この結果だ。
 当然じゃなきゃ何なんだよ。資金も作って、開発も終わって、成功して、それでこれだ。
 もともと手に入らなくて当然、こうなって当然、物は在るべき場所へだ」

馬鹿らしい。

そう言い切ってしまう理由をかき集めて、 侘助は、無駄という結果に釣り合う、無駄な努力に、この10年間を落とし込めようとする。 自分の中で整理をつけてしまって、“お仕舞い”にしようとしている。

けれど、“願っていた”にはそれが堪らない。



「だって、全部、望んで得た結果じゃない。すれ違ってしまっただけで、侘助さんは本当は…」



「―――それで?…なんだよ?」


ひゅう、と次に言葉を産み出そうとしていたところが鳴いた。
侘助の口端の左右がひっかかったように上がり、馬鹿にするかのように眉が顰める。

嘲るような嫌な笑み。

見慣れた皮肉の表情と似ているが、こっちは嫌だ。 見ているだけで怖くなって、泣き出しそうになる。 まるで、言ってはいけないことを言ってしまったかのような気がして、の体は固くなった。 低く、静かに、言葉は覆いかぶさってくる。

「どんなに時間を掛けようと、無理なものは無理だ。

 こっちがどう思ってようと、相手には関係ないのさ。
 手前ぇの都合は変えられない。だから何があってもその都合にあったものしか渡さない」


お前だってわかってるだろ。



侘助が言った。



「だから、お前は優等生の振りをする。」



貰えないとわかってるから我儘も無理も言わず、最初から諦めて、与えられたもので満足した都合の良い子の振りをする。 それから、他人から多くを受け取ろうともしない。 「これくらいなら受け取っても大丈夫だろう」そう最初から予想をつけて、断たれた時のことを考えて、予防線をいくつも張っておく。 浅すぎず、深すぎず、傍にいることも、離れることもできる位置を維持し続けようとする。

だが、そのお陰で、傷つけも、傷つきもしない。


「それがお前は上手い。―――賢い判断だよ、それは」


賢い、と言いながら、侘助は、憐れむような、咎めるような、軽蔑するような、羨むような眼をする。
その目の目前で、 は、不意を突かれて、茫然と、その事実を反芻していた。



当たりだった。


貰えないだろうと想像がつくものを「欲しい」とは言わなかった。 そうしたほうが余計な諍いをしないで済む。どうせ、無理なのだから口に出さないほうがいい。 そのほうが相手も「あげられない」と気に病まないし、自分も断られて落ち込むこともない。 子供の頃はそれが正しいと思い込んで、口を噤んで過ごした覚えがあった。 そして、「欲しい」と言わない子供に、優しい大人は「あげる」と沢山のものを与えようとしてくれた。 けれど、それもいつか無くなってしまうだろうと考えて、 それに慣れてしまうのを恐れて、首を横に振り続けた。それが正しいと、信じていたからだ。

気が付けば、周りの人々は与えるのを諦めて、
かつて子供だったは、欲しいのに「欲しい」と言えなくなっていた。





けれど、それを、侘助が言葉にして付き詰めて来たことがには衝撃的だった。

いくら陣内家の人間に、侘助の本意が伝わっていないことを主張し、 「評定は無効だ」と、侘助に言ったところで、状況は何にも変わりはしない。 陣内家の人々は侘助の発明を否定するような発言をして、侘助は否定されたと受け取った。 その事実は、いくら侘助の真意を解こうとも、変わらない。 そして、相手の都合を考えて、求める前から諦め続けたに、 自分達の都合により、判断を下した陣内家の人々を責める資格もなければ、 自分の“恐れ”という“都合”で、多く与えられるものに首を振って否定してきたが、 「真意が伝わらなかったからこうなってしまった」と、言うなんて、ただの酷い振る舞いに過ぎなかった。

それに気づいて、言葉を吐きだしていた口がわなわなと震え、は手で口を覆って黙った。 息が短く途切れ途切れに漏れて、汗が滲む。 頭を、思いっきり打ったみたいだった。


ついに何も言えなくなってしまったが黙りこむと、侘助も、もう何も言わなかった。 流れた気まずい雰囲気で、侘助が本当はそのことについて喋るつもりはなかったのだと、 痛いほどには分かったが、言えることはやっぱり何もなかった。

二人が黙ると部屋は静まり、虫の音と蛙の声がちろちろと届き出す。
気がつくと夜も深かった。自然と、昨日、侘助が帰ってきた晩を思い出させて、気が重かった。


同じ静かな夏の夜のはずだというのに。

まるで、行けども行けども、複雑に入り組んだ迷路を延々繰り返し、 そして、また、同じ場所に辿りついてしまったような気分で部屋が満ちていた。暗い穴のなかで、ぐるぐる、ぐるぐる、と。
こんなに歩いても、どうして、上手くいかないのか、わからないまま。

―――けれども、この中で、何時だって立ち止まるのはで、侘助は先に進もうと足掻く。


「…侘助さん?」

黙っていた侘助が静かに立ち上がり、無言のまま、部屋を横断し、 そして、襖に手を掛け、「悪かった」と言って、こちらを一目も見ずに、襖を閉め、部屋から出ていく。 暫く閉まった襖を見つめていたは、突き動かされるように自然と立ち上がり、 廊下への襖へと歩みを進め、その手で触れた。

その時、確信とも言える、予感があった。

きっと、これが最後だ。

けれど、今、閉められたばかりの襖を開ける直前になって、足が竦んで、立ち止まってしまった。


―――お前だってわかってるだろ。


慣れ親しんだ劣等が、慣れ親しんだ足枷をつけ、息を殺せと言っている。


どうせできやしないだろう。


例え、求めようとも、

黙っていようとも、

走って行こうとも、

連れて行かれようとも、


お前はどうせ、途中で倒れてしまって、周りに迷惑を掛ける。




どうせ、戻ってきてしまうのだ。
どこへも行けない。




ついて行って、一緒にいることなんて、できやしない。



…できや、しない。



襖に触れていた手は、ゆるゆると下がり、
揺れていた瞳が瞼に隠れる。




そして、下ろされた指が向かう先は―――





***



「アンタならできるよ」


健二は目を見張り、栄を見た。 札を持っていた手は完全に意識の範疇から出て、先ほどまで渦巻いていた思考も止まり、 その言葉だけが全身を駆け抜けていった。 その言葉を健二は耳にしたことがある。
栄がOZの混乱で慌てる人間たちに、電話越しに何度も呼びかけていた言葉と同じだった。 まるで、確信でもあるかのように、自分でもわからない自分のことを知っているかのように、 背中をそっと押してくれるような不思議な言葉。

「どうして?」健二は再び問いかけたくなった。

なぜ、そう思うのか、どうしてそんなこと言えるのか、どうして自分にその言葉をかけてくれるのか。

だって、何故なら、ここに来て、情けないところばかりこの人達にみせている。
仮に、もっと上手くやれたとしても、高がしれているけれど―――どうして。

けれど、栄が余りにも優しく、そして自信たっぷりに言うので、言葉を飲み込んでしまう。
そのまま、「どうして」と言えなかった疑問がぐるぐると健二の胸のなかを巡り、 そして、一周して、もう一度、栄に問いかけたくなったのは、

「僕に、本当に、できるでしょうか?」 だった。

けれど、口に出る寸前で、
これは傲慢になってしまうような気がやっぱりして、やっぱり健二は言えなかった。
それでも、次に言えた言葉は、今までからしたら、とても慣れない言葉で、慣れないままに、ぼそぼそと健二は栄に告げてみる。

「やってみます。…としか、今は言えません」

それに、なんといっても、まだ勝負はついていない。 これは、栄がこの花札で勝ったら、という話なのだ。 そもそも、夏希先輩の気持ちが一番重要だろうし、と、なんとなく落ち着かない気持ちで栄の手を待つ。 けれど、栄にはその答えで十分だったらしく、健二の謙虚なその返答を聞くと、迷いなく、札を引いてひっくり返し、 現れた「芒と月」の絵柄を、同じ芒の札へと重ねた。

「私の勝ち」

そして、呵々として笑う栄に、健二は目を丸くした。


その後、なんだが腑に落ちないまま、健二は栄の部屋を出て、考えを巡らせた。 できる気はしない。きっと、自分は、約束を果たせない。 自信なんてあるわけがなかった。 よろしく頼むだなんて言われても、自分は本当に、ただの学校の後輩で、たまたまここに来ただけで。

きっと無理だ。

何度も、あらゆる否定が浮かんで消える。



けれど、


どこかに。


―――アンタならできる。


栄のその言葉が、大事にしまわれている気がして、健二は足を速めて、片づけへと再び向かうことにした。




***





深夜の闇のなかで、玄関の開く音が空気を揺らす。


電灯の明かりが転々と続くその先の、空を焼く町の光が目に入り、 面白いくらいに、その光景を見るときは気分が似通っているような気がして、早々に目を反らした。

意趣返しくらいやっても構わないだろう。

そう思って玄関に置いてあって目に付いた誰のものかも知らないキーを拝借してきたが、 どうやって車を返すかまでは考えてはいなかった。


山の次は車か。


随分、規模が小さくなったな、と自分で思わなくもないが、どうせすっからかんな家だ。
もう、何も残ってやしない。見かけ倒しで、人ばっかりがうじゃうじゃと居るだけの、ただの。

そこで、車のドアに手をかけた侘助は、振り返り、姿ばかりが立派な門を見た。



「なんだよ」



まるで、あの時のそのままだった。

その場の勢いで、要らないことを口走った自覚があった。
突かなくてもいいところを突いてしまった。八つ当たりだ。昔と同じ。

昔、余所者の子供がやってくると知った時、勉強の邪魔になると理由をつけて会う前から嫌悪した。
けれど、本当はそうじゃない。血のつながりもない赤の他人の子供を、
陣内家に向かい入れるということそのものが侘助は嫌だった。

何故なら、


もし、その血も繋がりもしない余所の子供が、すんなりと陣内家に馴染んだら、

自分の立つ瀬がなくなるから。


だから、八つ当たりだった。 家族に疑いを持って、皮肉で身を守ろうとして自分で招いた種を自分じゃない“余所の子供”に押しつけようとした。 だから、は怒って良かったし、嫌って当然だった。


それなのに、


「ついて来るな、帰れ」


かえれ、かえれ、と侘助は繰り返す。

けれど、そのまま手に力を込めて車のドアを開け、乗り込んで、アクセルを踏み込んでしまうことは出来なかった。 何故なら、帰れ、と言う度にこちらに近づいて来ては、不安そうにこちらを見上げ、 その眉を下げた表情が、もう、おぼろげになってしまった記憶を呼び覚ましてしょうがなかった。 そして、ついに辿りついてしまったに、侘助は言う。




「……本当に、どうしようもないな、お前も、俺も」





夜は繰り返し、

夢は訪れる。






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あとがき



主人公が無気力っていう項目を設けたのは、こんな感じだからです。

そいでもって、どうでもいいことその2

よく、自分で仕掛けた伏線とか設定を忘れるイグイですが、
原因はプロットにあります。ちなみに、この辺の部分のプロットにはこう書かれてました。


●侘助さんの愚痴ダイジェスト(大事)

過去の自分、まさかの丸投げ。