あの背の高い人がアカウントを奪う人工知能“ラブマシーン”だとしたら、 夢のなかで最初に出会ったあの少年は、一体誰だったんだろう。 あの人には少年と同じようなものを感じたけれど、見た目は全然…いや、一つを除いて違った。

同じだったのは笑い顔。

そして、少年は、シシシと笑っていた。


真夏の夜の夢


夢でみた存在を現実のなかで発見し、茫然としていたの耳に聞こえたのは、独特な、 息を漏らすようにして笑う笑い声だった。 それに誘われるようにして、ノートパソコンの前に集合していた人間の視線が、次々に、 AI“ラブマシーン”への対応に対して「残念だけど、それは無理だねぇ」と言い放った侘助に集まった。

その時、わけのわからない事態への焦燥とは別に、には嫌な予感がした。 陣内家の和を乱すようにして投げ入れられた一言。先ほどまで無言だった侘助が言い放った言葉。 は忘れてしまっただろう、その表情は、かつて理一に「東大を受験したいんだって?」と訊かれた後と同じ、 皮肉に口端を上げていた。

「なんで無理ってわかるんだよ!」

佳主馬が言う。
佳主馬は悔しいのだ。自らの戦いと称したものを全力を出し切るまでもなく敗北してしまった瞬間の、 熱い焼けるような悔しさを飲み込んで、この事態の収束を願ったのに。よくも知らない親戚に笑いながら否定された。 けれど、噛みついた佳主馬に対しても、侘助は当たり前のように、声を荒げることもなく、こう言った。

「なぜって、そりゃあ…そいつの開発者、俺だもの」

周りの空気ががらりと変わった。
息を飲み、侘助の声を聞き逃しのないよう耳を傾ける。そこになにか予期せぬことや、弁解を探すように。 だが、朗々として語られるハッキングAIの性能は、侘助の目的を明かすことはなかった。

「俺がやったことはただ一つ。
機械に物を知りたいという機能、つまり、知識欲を与えただけだ。
そしたら、あちらの国の軍人がやってきて、実証実験次第では高く買うっていうじゃないか。
まさか、OZをつかった実験とは思わなかったよ。

だがどうだい、結果は良好。
奴は本能の赴くまま、世界中の情報と権限を蓄え続ける。
今や、たった一体で何百万の軍隊と同じだ。いい?勝てないのはそういうわけ」

その説明を聞き、自分の周りの陣内家の人々が静かに募らせていく思いを感じながら、 は余分な血が体から抜け落ちていったかのような奇妙な気分になっていた。 のなかで、やっと話が一本の線となって繋がった。そして、思う。

どうして。

10年前、侘助は陣内家を出た。山を売り、金を得て、研究をするために。 昨日の晩、侘助は陣内家に帰ってきた。研究を終え、開発に成功して、金を得る予定を持って。 今日の昼、侘助は予定が上手くいってない風だった。その原因が、昼の騒動だ。

侘助が開発したものはハッキングAIと呼ばれるもので、名前を“ラブマシーン” そのラブマシーンは実証実験次第では買い取られる予定だった。 しかし、その実験中、OZの混乱を引き起こし、予定はぐちゃぐちゃになった。 そのことを皮肉交じりに侘助は報告したのだ。

素直というには遅すぎる。
しかし、騙そうとしたには話した内容が正直すぎる。

何故だろう?

侘助は未来を欲しがっていた。
名声を欲しがっていた。
金を欲しがっていた。

その理由は多分、

がその理由にたどりついたとき、侘助の話が終わったと同時に、 敵意のようなものを内包していた陣内家の人々のなかでまず、 緊急救命士として救急車に乗務している頼彦が侘助に問いかけた。

「今日どれだけの人が被害にあった?どれだけ世間様に迷惑をかけた!?」

一人暮らしの老人が何かあったときのために設置してある緊急ボタンと消防署の連携はOZがサポートしている。 昼間は、そのボタンが全て押されるという異常事態に見舞われた。 交通も麻痺している道路をかき分けて向かうにしても、全てを確かめている間に時間はすぎる。 もし、あのとき、本当に緊急事態の起きた老人が居たら?助けを必要としている人が居たら?頼彦は、それが許せない。

「俺のせい?まさかAIが勝手に」

「あれのせいで世の中めちゃめちゃになってんだぞ!」

消防署の混乱はそれだけでなく、ほかの緊急の連絡をも混乱させた。だが、向かわないわけにはいかない。 だから、消防士長として朝から走りっぱなしの消防車に乗務していた邦彦は訴えかけた。 ガソリンは無限にあるわけがない、切れれば給油に行かなくてはならない、その時に本物の火事が発生していたら? 火を消し、拡大を防ぐには一分一秒の遅れが人を殺すことになる。

「わからねぇやつらだな、AIが」

不貞腐れたように語る侘助の胸倉をつかみ上げ、 レスキュー隊員として今まで命の瀬戸際に立ち会ってきた克彦が怒鳴りつけた。

「子供みてぇに言い逃れすんのかよ!!知らぬ存ぜぬじゃ通らねぇぞ!!」

「だから!!俺はただの開発者で、人工知能にああしろこうしろと言った覚えはねぇの!」

ついには殴り合いまでいきそうになったところで、向かっていった克彦を頼彦、邦彦が止める。 しかし、勢いは止まらず克彦は突っ込んでいく、侘助も向かいうつ姿勢だ。

「二人ともやめろ!ばあちゃんの前で!!」

その頼彦の声に、我に返ったかのように二人の怒鳴りあいは止まった。


「侘助」

静かに、栄は侘助を見ていた。その咎めながらも理由を問いかける視線に、侘助は向かい合う。 その様子を見ながら、は周りを小さく見渡した。皆、二人を見守っている。 その視線は厳しいものでもあり、心配しているようでもあり、皆、栄の判断を待っているようだった。 は思う。侘助の話が本当なら、今、責められた侘助の落ち度はいったいどこだろう? ハッキングAIを作ったことだろうか?―――いいや、作ること自体は悪いことじゃない。悪用しなければいいのだ。 悪用しただろうか?―――いいや、侘助はしていない。しかも、実験を行った国も目的は実証のためだった。 じゃあ、10年前。山を勝手に売ったことだろうか?―――それは確かにいけないことだ。だが、今はそのことではない。

殺人に使われた包丁を作った職人に罪は無い。侘助が責められるいわれはきっと、 OZの混乱の関係者として、その原因を知っている者として、相応しくないその態度にあるのだ。

「バアちゃんなら分かってくれるよな?」

呼びかけられた侘助は栄に理解を求めた。けれど、栄は頷かず、その先を促した。

「今まで迷惑掛けてごめんな。挽回しようと思って俺頑張ったんだよ。
 この家に胸張って帰ってこれるようにさ。」

栄の表情が憐れむものに変わる。
いつからこの子は「ただいま」と手放しでこの家に帰ってこれなくなったのだろう。なってしまったのだろう。 繋がることができたと思ってから、生まれた亀裂は、いつの間にか侘助を家から遠ざけていた。 その亀裂を埋めるために、侘助は、もがいてきたのだろうか。

「バアちゃん、これ見てよ」

差し出された携帯の液晶を栄は覗き込んだ。英文が延々と書かれている。

「今、米軍から正式なオファーがあった。爺が生きてた頃以上の大金がこの家に入るんだぜ?
これも、バアちゃんのお陰さ。なんたって――――

        ・
バアちゃんに貰った金のお陰で、独自開発できたんだから」

「侘助さん!」

その瞬間、栄の表情がハッキリと変わり、呼びかけたの声に振り向いた侘助は、責めるようなの視線にたじろいだ。 侘助はその瞬間やってはならないことをした。してはならないことをした。 責められるいわれのないことに対して、謝罪をしないことはいい。 だが、事実を“捻じ曲げ”、自分のいいようにしてしまうことは人としてしてはいけない。

           ・・
侘助は10年前、勝手に山を売ったのだ。


床の間へとむかった栄が、置かれていた壺へと差し込んであった棒――薙刀を引き抜き、構える。 万里子の母を止める声が掛ったが栄は止まらない。先には三日月のように反った銀色の刃がついており、 畳に足をすりながら、息を整える栄が一度切っ先を後ろにし、前へと振りぬく。

「逃げて!」

夏希の悲鳴と薙刀の空気を切るヒュっという音が響いた。 侘助は携帯を手放し、体を反らせて、その軌道から避けようとして、食卓ののった机を巻き込みながら倒れこんだ。 そのまま刃を前にして突き進む栄から逃げるために、ずるずると後退を続けたが、 ついに、目前にへと切っ先が向けられた。ヒッと息を飲む。

「侘助、今ここで、死ね」

「栄さん!」

は思わず制止を叫んだ。侘助の目が動揺で揺れている。 侘助は捻くれているし、やってはいけないこともしてしまった。けれど、栄を慕っている。 そうでなければ、親戚から目の敵にされることがわかっていて、ここに帰ってくるはずがない。 ほかの誰に否定されようが、「バアちゃんならわかってくれるよな?」とたった一人だけ理解を求めた侘助は、 確かに栄のことを親だと思っているのだ。


親に死ねと言われて平気な子供なんていない。


それでも、二人の間の刃はどかなかった。
栄はまっすぐに侘助に向けての視線を揺るがない。 先ほどの言葉を撤回することはないという意思が分かると、侘助は、向けられた刃を戸惑うことなく握りしめた。 そして、力づくでどかす。栄の力ではその力を押さえつけることはできなかった。 年老いた栄よりも、侘助の力は強い。それでも栄は諦めようとはしなかった。

自分の力でゆるゆると後退していく刃と、力を込めて対抗しようとしている栄を見て、侘助は悟った。


帰って来るべきじゃなかった。


侘助はその切っ先を捨てるように離した。そして、俯いて、縁側、庭、それよりももっと遠くへと歩いて行ってしまう。 は、無意識に、その背中を追いかけるように、一歩踏み出した。ほんの少し、足音がなったかどうか。 すると、それに気づいたかのように侘助が戻ってきて、引き止めるように腕を伸ばしていたの腕を掴みとった。

「おじさん!」

「侘助!」


そのままを連れて歩いていく侘助に夏希と万里子の声がかかる。 だが、それを栄が止めた。「ほっときな!」と言った後の言葉を、座敷から離れていくは何とか聞くことができた。

「いいか、お前たち!身内がしでかした間違いは、皆でかたをつけるよ!」


は振り返り、明るい座敷の前でへたり込む夏希と、薙刀を片手に去っていく栄の背中を見る。 そして、反対に、暗い道へと自分の腕を掴んで迷いなく進んでいく侘助の背中を見た。


何か言わなくちゃ。


「………」


開いた口は閉じてしまう。何を言えばいいだろう。は同時に恐れた。 何かを言ってしまったら、この手は離されてしまうのではないか。 そうなったら、暗闇のなかで二人とも、ひとりぼっちになってしまう。 だから、言葉を発することができなかった。 けれど、言いたいことは確実に喉の奥で蟠っている。

伝えることのできない、言葉の出ない唇を噛みしめて、は自分の腕を掴んでいる手を見た。


この手は、


ついさっき自分の親から向けられた殺意を握りしめていた手のひらだ。




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あとがき



15話目にしてやっと、最初から最後まで原作沿い。展開も展開でひぃひぃ言ってます。 割と主人公は侘助側に偏った思考をしてますので、贔屓目な解説。 けれど、全体からして、侘助さんは、なんというか…運が悪かったんだなぁこの人って感じ。

無事お金が入ってたら八月一日に「ババア!誕生日プレゼントだ!」とかしたんだろうか、この人。
んでもって、「何よこの大金!?」って驚く親族に得意げにラブマシーンの紹介とかしたんだろうか、この人。
んでんでもって、「これで借りはチャラだな」とか言って、「趣旨がずれてる!」って怒られるんだろうな、この人。

マルデダメナオジサンジャナイカダガソレガイイ。