陽が落ち、夜がやってくる。

自室にいたは、障子の向こうから呼ばれ、「はい」と返事を返した。
その返事で、障子を開けた万里子はを見て、一瞬で顔を曇らせ、 「それ、どうしたの?」との額を指しながら眉を下げる。 どうしても、額に張った絆創膏は隠せなかったようだ。



「蚊に刺されて引っ掻いちゃったんですよ」

「え!…そう…だめよ引っ掻いちゃ」

「夕食ですか?」

が笑ってそういうと、万里子はちょっと怒ったような顔をして、はああ、と大きく息をつく。


「そうよ。もう、」





真夏の夜の夢






はこのへんね」と、案内されたのは、床の間のほうである上座の周辺だった。 ネットに繋がる電化製品に近づかないようTVから遠くへと、の体調に配慮した結果の場所だ。 今晩の夕食は、昼間にあったらしい混乱の一時終結を祝う、もしくは栄の誕生日の前前夜祭のようなもの。 ということで、家にいる全員が集合することになった。「佳主馬も参加するから」と 部屋に誘いにきた万里子に頷いて、料理の並んだ部屋について、このへんね、と言われたは、 まだそんなに人が集まっていない座敷を見渡した後、テーブルには付かず、縁側へと腰をかけた。

縁側は、陽が沈み、夏の夕暮れの風が気持ちいい。
明るい座敷とは違い、朝顔がしなりと頭を落とした庭は静かだ。

だんだんと人が集まってくると、今まで夕食に顔を出さなかったが居るのを珍しがって、皆、 「体調は?」「大丈夫?」と口ぐちに問いかけた。 そのうち、すっかり昨日今日とで仲良くなった親戚同士の子供らがやってきて、 縁側に座ったを見つけると、やんちゃ盛りの6才の真悟が、ぽかんとした表情で、あっ、と指を指した。

「おばけだ!」

「真悟!」

母親である典子の叱責が飛び、言われたは驚いたが、じわじわと面白くなった。
今日は浴衣ではないものの、きっと、普段の姿を見かけてそう思っていたんだろう。
ならば、と、白ではなくクリーム色のカーデガンを手のほうまで伸ばし、日本画で描かれるような幽霊のように、 ポーズをとって髪を垂らしてやった。すると、キャー!と言いながら真悟と祐平は喜び、 真悟より一つ上の真緒は、の幽霊の真似を笑っている二人を嗜めようと頑張った。 そして、そんなと子供らを見て、今度は典子が苦笑いをした。


「そこは怒っておくべきじゃないの?」

「ですか?」


いつからか、様子を見ていたらしい理一が、一通りの料理をのせた皿を持ってきて、
集団でいるとエネルギーが吸い取られちゃう、らしいに渡した。


「ありがとうございます。いいじゃないですか。喜んでくれましたし」

「本人がそう言っちゃうと、周りが何にも言えなくなっちゃうね。体調は?」

「大丈夫ですよ」

そう、と言って目を細めた理一が、幽霊の真似をしていたの顔に掛った髪を、ついでに、と除け、目を細めた。 あ、とは思ったが、理一は額の絆創膏については何も言わず、「体調が悪くなったら言うんだよ」と言い、立ち上がって、 席についた。やっぱりばれてしまう。嘘を付く隙もなかったな、と、は小さく息をつく。


見渡してみるともうだいぶ人が増えていた。 それぞれの人の顔を眺めながら、昔の記憶を呼び覚まし、ああ、あの人は誰々の奥さんで、その子供があの子で、と確かめていくと、 にはどうにもわからない少年が一人居た。 確か、夏希と一緒にこの家にやってきたような気がするけれど。 その少年は、理一が立ち上がると、すぐに見え、その時はこちらを見ていたが、と眼が合うと> 右へ左へと瞳が泳ぎ、最終的には顔を伏せて、ばつが悪いような風に頭をかいていた。 はそれに首を傾げたが、少年の正体も、何故、ばつが悪いのかも結局はわからず、 声をかけてきた万助と話しをすることで、少年のことは置いておくことにした。 多分、皆の話を聞いていれば少年のことはすぐにわかることだろう、と。

少年からすると、幼い真悟と自分のに関する印象が一緒で、 さきほどのことが、とても気まずいやりとりで、バツが悪く、目をそらしたのだが、 それは、当人のにはわかるはずもなかった。




最後に現れたのは、堂々と遅刻をしてきた侘助だった。
文句を言われながら、机に置いてあったビール二瓶とコップを拝借すると、 料理には手を出さずに、とはまた離れた縁側へと腰を下ろし、号令とともにその日の夕食は始まった。





***



食事をしながら陣内家の会話の様子を静かに窺っていたは、やっと血縁ではない“小磯健二”という少年のことを知ることができた。 夏希の学校の生徒であるらしく、夏希の彼氏…なのかどうかまではよくわからなかったが、 自分が忘れてしまった陣内家の親戚の人、というわけではないらしく、ホッとした。

そして、昼間の騒動のこと。
がそのことを知ったのは食事に呼びにきた万里子が「ほかの皆は今日は来れないみたい、紅白饅頭もね」と 愚痴を零していた程度のことしか知らず、離れた場所で付けられているTVの音声を拾い聞いて、 やっと、全国的にも大変なことだったらしいと分かった。だが、詳細は、チャンネルを回している、 克彦の嫁である由美によって、息子が参加している高校野球のニュースへと変えられ、 未だ、詳しく知ることはできていなかった。

由美の長男である了平のいる上田高校は、今日、辛くも勝ち越し。 明日は甲子園出場をかけた決勝だった。その話題に盛り上がり、ニュースが流れると、喝采が起きた。 由美も克彦もとても嬉しそうに笑う。

話題は次に、今この場にいない親戚のことに移った。 今日は、万作の息子の三兄弟が加わったものの、ずいぶん顔触れがすくないかもしれない。 どうやらそれも、昼間に起きた騒動によるものらしい。

騒動を収めたのは、人脈を使い、関係各所に指示を出した栄によるものと、 が正体を知らなかった少年、小磯健二の尽力によるという。


「いえ!…僕は、何も…」


栄に「がんばってくれたんだってね」と指名された健二は背筋を伸ばして、首を横に振っていた。 ほっぺたは赤くなり、二つ隣の理一からの酌や、おかずをよそってくれる隣の太助にわたわたと答えている。 その間にも、「OZのトラブルを直した」「まだ高校生でしょう?」などの直美や理香の称賛の声が飛び、 夏希の彼氏?彼氏じゃねーよ、と、否定する翔太達の声が響く。

その声を捕えながら、ぼんやりと少年を見ていたは、あることを思い出し、 恐る恐る、少し離れて座っている侘助を盗み見た。

われ関せずと、自分でビールを注ぎ、侘助は庭のあらぬところを見ながらそれを飲み干していた。
だが、眼だけはとても怖く見える。それを確認して、は健二を見るのを諦め、視線を落として、同じく庭のほうへと視線を投げた。

侘助は余所者に厳しい。

それは侘助を見ていてが思っていたことだった。 陣内家に迎えられ、認められた余所の家の少年が、陣内家の話題の渦を担っている。 それは、侘助にとって面白くないことだ。

なぜなら、今、弾き出されている自分自身も、

もともとは余所者だったから。



―――― 今朝発生したOZアカウントの混乱に関するニュースです。 システムが復旧したのにもかかわらず、日本国内で、すくなくとも200万人分のOZアカウントが使用できなくなっています。 原因は、今のところわかっておらず、総務省ではOZアカウントの使用および管理に注意を呼びかけています。



いつの間にか、高校野球のニュースは終わっていて、声を落としたキャスターが告げたのは、 昼の混乱の原因―――― OZの混乱。その言葉を捉えたはその画面を見ないよう、ますます、遠くへと目を細めた。 だが、そのニュースが耳に届いたのはだけじゃない。全員がそのニュースに注目し、口を開いたのは、 解決に向けて尽力した健二と佳主馬だった。

「でもまだ」

「ラブマシーンを倒せたわけじゃない」

「佳主馬!」

咎めるような万里子の声が響く。 が振り返ってみると、佳主馬の背中が見えた。座椅子に座り、抱え込むように持っているのはノートパソコン。 なぜ、万里子が佳主馬を咎めたのかは一瞬で理解した。けれど、それよりも、佳主馬の背中を避けて覗く液晶には釘づけだった。 そこに映し出された、見覚えのある姿。


―――笑ワナイノ?


「…平気です、万里子さん。それよりも、それ、…佳主馬君、“ラブマシーン”って?」


声が掠れた。
言われた佳主馬は眉をしかめながら「…一応、回線は切ってるよ。これはスクリーンショット」と言ってから、 解説を始めた。はギュッと手を握り、力をいれてみる。自分は寝ていない。これは夢ではないはずだ。 けれど、確かに、この現実に夢の影が存在している。

「アカウントを盗む“AI”」

―――長い二本の足、腕、そして高い背。衲衣のようなものが腰に巻かれ、


「なんか悪そうなアバター」


―――後光を象ったような円が背中にあり、まるで仏教の神様のような印象を受ける。


「いかにも敵って感じじゃん」


―――けれど、その顔には、頬を割いて笑う、恐ろしく鋭い歯が覗いているような仮面が嵌められており、


「今日の原因はこいつかぁ」


―――ただの神聖な存在ではないだろうと確信が持てた。


「でも、なんで報道されない」


なにかぞっと背筋を駆け抜けていくものがあった。

寝る前に見たものを夢にみるという話は聞いたことがある。 も生活しているうちに、夢の世界に似たようなものをいくつか発見し、 “そうか、きっとこれを無意識のうちに見ていて、その印象が夢に出てきたんだなぁ”と 納得することが数回あった。けれど、ここまで“そのまま”に現実に登場してきたものはなかった。

それも、万介が言うには現実では“ラブマシーン”は報道されておらず、 ただでさえ、ネットに繋がるものの傍にいけないに“ラブマシーン”を知る手段はない。ないはずだ。

だったらなぜ。

ノートパソコンの前に集まった人々の間から、液晶がチラチラと見える。それに釘付けになりながら、 わけのわからない焦燥に駆られたは、再びぎゅうと手を握り締めた。 どくどくと心臓が鼓動を打っている。

夢、だ。


夢がドロドロと溶けていき、現実に染み出している。それが恐ろしい。 あんなに楽しい夢だったのに。“ココ”で再現されると冷や汗が出るくらいには恐ろしい。

単なる夢。

かつてそうくくりをつけてしまった自分に、夢は、復讐しに来たのかもしれない。
は、そう思った。






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あとがき



*映画の佳主馬君のラブマシーンが映ったパソコン画面を見ると、普通にURLが表示されています。
急ごしらえの策=スクリーンショット