焼くような光る白に、透明な酸素マスク。かつてと同じ人物がベッドに埋もれている光景。 目を細めて、口を開く、その時、意識を取り戻していた彼女は、確かこう言った。

「怖くはないよ。寝ている間、夢を見ているの。走ったり、飛んだり、凄く楽しい夢」


それは、ずっと自分が望んでいることだった。だから構わないと、彼女は目を閉じた。 自責に囚われる必要なんてない。そう言いながら、責任を求めず、それ以上を求めない。

――― それじゃあ、他人と一緒じゃないか。

そうなることを強く拒否した。
だから、求められてもいない代価を支払い続けることで、やっと、繋がりに安堵している。




真夏の夜の夢





侘助が帰ってきてから数分後、陣内家は、今夜行われるの“いってらっしゃいパーティ”の準備に追われていた。
連絡もいれずに侘助は陣内家にやってきたため、参加者は自衛隊の寮に住む理一を抜かした本家の者のみという小さなものだった。 それに対して、万里子は侘助に「なんで連絡を入れなかったの」と、改めて愚痴を溢し、
の転校の手続きと、夜のごちそうの材料の買い出しに向かい、 陣内家の居間には今のところ侘助一人だった。 栄は自室にいるだろうし、理香は役所に勤務中。事の中心であるは自室でここを出る準備をしているのだろう。


アメリカでの父親に偶然会いの喘息の治療について話し合った結果、 アメリカの最先端の治療を受けさせようということになり、それで、自分が迎えに来たと、侘助が説明すると、 栄と万里子は顔を見合わせ、万里子は心配するように、栄は厳しい顔で、侘助を見やった。 急に降って湧いたような話で、いぶかしむのも無理は無いと思ったが、ただ、忽然と、 の両親がを呼んでいるとその場で、二人に伝えた。 そうして、父親から預かった手紙を栄に渡したところで、ようやく、そのことを呑み込めたらしい、万里子が、 「それじゃあ、いつ発つことになるの?」と訊いた。 もともと、この家に長居する気はなかった侘助が「明日」というと、雷が落ちた。

「急すぎる!」

それに喧しそうに目をそらすと、今度は栄が、ため息を吐きながら「そもそも、誰よりもまずに知らせるべきだね」と言う。
その時は、まだ、が喘息の発作を起こしたあの日から、碌に対面する機会を侘助は持っていなかった。 さっとの父親からの手紙に目を通したらしい栄が、手紙を着物の胸元に仕舞いながら目で侘助に促す。 それに降参するポーズをしてから、覚悟を持って侘助はの部屋へと向かった。

促されずとも、もとより侘助には決意があった。
もし、が過去のことを非難して、自分を責めることがあっても、親のところまでは、絶対にをアメリカまで送り届ける。 “子供は親のもとにいたほうが良いに決まってる” 迎えに来るきっかけとなったその考えは、今でも信じて迷いはなかったのだ。



そして、今、
との再会も果たし、事情も説明し、承諾を得て、侘助は手持無沙汰になり、 まるで暖簾を力いっぱい押した時のように、その手ごたえの無さに呆気に取られていた。 承諾は思っていたよりも軽く、そして、あれだけ煩わしいほど進まなかった物事がすんなりと進んでしまったように思えた。 それがこの空白を生んでいる。

侘助は、当然、責められるだろうと、思っていた。 暗闇のなかに自分を置き去りにして、命をなくそうとした相手だ。責められるだろう。そう思いながら、 いざ、障子の前に立って、名前を名乗ってみれば、出てきた15才の少女は、「貴方が侘助さんですか?」と、 とても驚いたように目を開き、「こんにちわ」と「おかえりなさい」を口にして笑った。 思わず当時のことを訊いてみたが「それが、覚えて無いんです。2歳だったらしいですし」と言われ、変に力が抜けた。

言われれば当たり前のことだった。 2歳の頃なんて自分だってもともと定かでは無いのだから、15になっただって、覚えているか怪しいはずだろう。 けれど、侘助の中で、今の今まで、は2才の姿であって、当時のまま、不動な存在であったから、目から鱗が落ちたように思えて、改めて15歳の少女を見て、微かに自分を哂った。
しかし、「自分を恨んでいるか」と訊くことまでは、恐ろしくてできなかった。

アメリカへの話をすると、は、驚いたような顔をして、暫く考えたあと「わかりました」とだけ返事をした。 ただ、それだけだった。

侘助には、それがとても信じられない。 の父親も、自身も、まるで違う世界の違う時間にいるのではないかという錯覚がした。 くだらないと吐き捨てはしないが、どこか虚しい。 そうして、ガリガリと頭を掻きまわしてみて、そういえば、昔もはこんな感じだったと、 ふいに思い出して、侘助は穏やかに懐かしむ。



***




昼が過ぎ、陽が西へと居場所を変えようという時刻。 侘助は、玄関の方で、呼び鈴と誰かが呼んでいる声を聞いた。 万里子はまだ戻っていない。仕方がないので、侘助は玄関の方へと向かい、 土間で愛想笑いを浮かべたサラリーマンに眉を顰めた。 サラリーマン風の男は、侘助を見ると、少し面食らったかのように、目を開き、戸惑って、 要件をいう素振りを一瞬止めた。

「なにか用か?」

「え、ああ、申し訳ありません。あの、すみませんが、陣内万里子様は…?」

「今、出てる」

困ったなぁというように、頬掻いた男を見て、侘助は尋ねてみる。

「アンタ、この家になんの用だ?」

男は首を傾げるのを止め、取り繕った笑顔で、「いえね、」と侘助に改めて切り出した。

「今度近くに道路を作ることになりまして、そのご挨拶に伺ったのですが。
 …その、陣内家の皆様には何度かお話しに来ているんですが…失礼ですが、貴方は万里子さんの息子さんですか?」

「いや、前の代の末だ。」

「はぁ」

戸惑ったようにしている男の顔から、「果たしてこの家にこんな人物いたか?」と考えていることがまざまざとわかった。 侘助がこの家に居た年数を考えると、それも仕方がないだろう。だが、その表情が侘助の癪に障った。

「それで?道路をつくるからなんだって?このすっからかんな家を潰すから出て行けって?」

「いえ!めっそうもない!」

皮肉に口角を上げて、睨むと、男は泡を食ったように持っていた鞄を開き、工事の予定を取り出して、急いで侘助へと渡した。 そこに記された場所はこの家の住所では無かった。

「建設予定にこの家は含まれておりません。

 …ただ、陣内様が所有している山が道路の通り道となっておりまして」

計画書を見るに、道路は他県から伸び、緩やかに弧を描いて、軽井沢から長野に抜ける途中に、 陣内家の後ろを通っていた。そして、その場所は、昔、侘助達が遊んだりした山の場所に間違いなかった。

「その…何しろ、国の決定なので、覆すのはほぼ不可能かと…。
 しかし、こちらの方々がどうしても、と仰いまして…。もちろん、山はそれ相応の額で買い取らせて頂きます。
 
 …ですが、その、…先祖代々のものだから、と。だから、話合いを兼ねてこちらに。」

「ふぅん、アンタも大変だな」

「はぁ」

恐らく板挟みにでもなっているのだろう疲れ果てたような男の話を聞いて、 山を売ってくれと言われた陣内の家族の反応を、侘助には容易に想像できた。


武田に仕えた家臣、陣内。

それは、陣内家の誇りで、同時に守らなければいけないものだと、子供の頃の最初のほうにまず教えられる。そうして育っていくのだ。 けれど侘助にとっては、その自覚はいまいち浅いままだった。だから、ただでさえ、侘助の父親であった先代は浪費家で、 家臣であった誇りをもって、作り上げてきたもののほとんどを売り払ってしまったため、 屋敷と唯一といっていい山を手放すわけにはいかない、と言われても、ほとんどあって無い存在に有難みも感じない。

ただ、侘助にも、自分以外の親族達の反応が大体察しがつく程度には気持がわかる。 万里子が「冗談じゃない」と言い、万助が身振り手振りで歴史の経緯を説くと聞かせ、 やがて、壁になるように栄を後にしてサラリーマンの前に立ちふさがる陣内は、まるで戦の兵のようだったのだろう。
その団結は素晴らしいと思うと同時に、理解できそうもない侘助にとっては、煩わしい。

それに。

侘助は、古いものを切り裂いて、コンクリートの道を拓き、車を呼びみ、排気ガスと騒音を撒き散らせ、山を殺す。 そんな姿を思い描くような計画書を見ながら、自分の心中に暗い余憤のようなものが湧きあがっていた。 遠雷のように響く不穏。

―――――なんだ、こんなところに金はあったんじゃないか。


「いくらだ?」

「はい?」

「いくらでこの山は売れる?」



侘助が夜中家を飛び出したあの日。この計画は影も形もなかっただろう。だから、山が売れることはなく、 金が無くて東大へ入学するのを渋られたのは仕方なかったのだと、侘助は湧きあがってくる感情を抑えようとした。
家を飛び出して、がついて来てしまい、結果、死にかかったのは、 山を売らず、金を造らなかった陣内家の繋がりを大事にする心得のせいではないだろう。 そもそも、山を売るなんて思いつかなかったのだ。けして、妾の子である侘助のために山を売ることが惜しかったわけではない。 家族全員で、金が無い振りをしていたわけじゃなく、本当にあの時は金がなかった。――――けれど、

“今”は?

これはただの興味本位だ。ただそれだけで、その金額を知ってみたかった。そう思うことにした。 けれど、どこかで、誰に向けたかもわからない妬心がちりちりと侘助の心を撫でていた。

そして、奇妙な合致というものは、必然という魔を連れてくる。

男の口から告げられた金額は、 侘助の研究を成し遂げるのに十分な金額だった。




***




2010年。



ぐんと気温が上がったのを機に、湿気が地面から舞い上がるように顔を撫でる。


昼間の、外の焼くような空気に触れた後、ついに音を上げた侘助はせめて一時だけでもと思い、冷蔵庫からアイスを頂戴すると、 それ噛み砕きながら、涼しいところを探して落ち着きなく家の中を徘徊していた。 青い色の氷を齧り、味わうことなく飲み込めば、喉から胃に向かって冷たい塊がスーと落ち、少しは暑さがマシになるような気がした。 そうして、少しはマシになった状態で、これからどうするか、と考える。自体は思わぬ方向へ転がっている。


OZの混乱について、侘助が知ったのは昼前のことだった。 日本では、まだニュースとして流れていないものの、ネットでは、もうすでに、このOZの混乱の原因が特定されつつある。 その字面に踊る文字には、「アメリカ」「国防総省」「人工知能」「AI」「実証実験」など、侘助にとって心当たりがあるものばかりだった。 そして、一つの予想が頭を過る。

――まさか、全国にユーザーを持つ、あの巨大なOZに自分の悲願だった研究の結果を解き放ったのではないか。


その予想は当たりだろうと、侘助には確信できるだけの知識を有していた。 けれど、100パーセント確信できるからこそ、これはなにかの悪い夢なのではないか。とも思った。


10年前、を迎えにいった侘助は、訪れた“魔”に絡めとられ、山の権利書を渡し、印鑑を押した。 そして、手に入れた資金とをつれてアメリカへと再度渡り、資金が手に入ったことをに伝え、
開発にも携わるが、同時に研究のほうにも手を出すという旨を話した。
は、資金はどこから出されたのかと首を傾げていたが、了解の意思を示し、侘助はを両親のもとへと無事に送り届けた。 このとき侘助は、開けた視界を辿ることに夢中だった。目前には結果が待ち受けている。 その結果は世界を揺るがすことになり、そしてたくさんの利益を自分にもたらす。 その利益は最初の投資の比にならないだろう。そうすれば、投資分を上乗せして陣内に戻せばいい。

計算の上では、プラマイ0どころか、大きなプラスだ。もともと栄えていたときの財産の上を行くかもしれない。 優れたプログラムを吐き出す脳は、そう言って侘助に研究を急がせた。 その答えは間違っていない。あくまで計算上は、もともとあったものよりも価値の高いものを生み出すのだから。 けれど、栄という人物を侘助が忘れているはずもない。 なにもかもを見ない振りをして研究を急がせる理由はきっと自覚している罪悪感なのだ。

そして、その罪悪感すらも見ないふりをしていた侘助が、両親のもとへと帰ったについて、気をかけることはほとんどなかった。 もともと持っていた確信が、侘助を盲目にした。

“子供は親の元にいれば安心だ”

親の元に居ることができなかった自分が、こんな立場に立たされているのだから、それは絶対に間違ってなどいないのだと。


ガリッ

夏空の下。明るい田舎の風景を望む軒の下は、光る液晶を覗き込むように、隔てて暗かった。 ほとんどみぞれにかわったアイスを飲み込み、侘助は、今後に関する思考を一時撤退させ、 自分の何十年と持ち合わせてきた願望は、本当にこんな形のものだったかを自問し始めていた。

結果、なにかとても奇妙に歪んでしまっているような気がした。 それは、他人から与えられたものもあるだろうが、大部分、侘助自身が変えてしまったように思う。 そして、のこともだ。 跡形もなくなってしまったアイスがもどかしい。ぬるまったくなり始めた喉笛が冷たいものを求め、 侘助は、薄い木の棒を気休めに庭へ放り投げた。氷の塊があったなら、悔恨と一緒に噛み砕いてしまえるだろうに。

“子供は親の元にいれば安心だ”

そんな絶対はありはしない。

予期せぬ事故というものが誰に起きるかわからないように、 親の元にいる子供がなんの危害も与えられずに生きていけるなんて保障はどこにもありはしない。 それどころか、世間では親が子供を虐待するという事件だって起きている。 親のもとにいる子供が健やかであれるなんていうのは希望的観測だ。そうであったら理想的。 そのことを痛感したのは、侘助が研究だけを追っていく生活の途中で、不意をついてやってきた連絡であり、 それまで、のことを忘れたように生活していた自分に愕然とした瞬間でもあった。 その記憶は強く脳裏に焼きつき、ときに、こうして過去を振り向くようなことがあった夜に、侘助の頭のなかへとノックして訪問してくる。


忘れるな。

忘れていない。


叱責と安堵の両方を連れてくるあの夢のことだ。



・前日、深夜未明。喘息の発作からの昏睡状態。発見時は早朝。
 その6時間後に、自然と意識浮上。要経過。昏睡、浮上を繰り返す。この昏睡はまったくの原因不明。
 医師の話によると、発見の遅れの原因は、送信されなかった患者の状態の変化のデータによるものらしい。
 機械の不具合か?こちらも原因不明。


・患者は最新の医療を受けており、身体情報を送信するための機器を取り付けていた。
 原因不明の昏睡は、それが原因か?
 身体情報を示す患者のアバターの設定がロスト。重大なプログラムミスか。
 しかし、それと患者の意識昏睡は無関係とメーカーが表明。




・患者、原因不明の意識障害続く。



もし、がずっと日本に居たならば。起こり得なかった。 罪悪感などは求めていない。だが、忘れてはいけない。 忘れてしまったときこそ、自分ととの繋がりは完全に消えてしまうのだ。






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あとがき




というわけで、もうひとつの侘助さんがやらかしたと思っていることは、こんな感じです。 直接の原因では無いけれど、原因の一端として本人が思いこんじゃってるって感じ。 正直、このもう一つを気にしてる方が多かったので、ガクガクします。コメントで気にしてらした方々、コメントありがとうございました! こんな感じで、10年経って、原作の時系列に入るような経歴となってます。

全体としては、映画で妙に、侘助のお金への執着を感じたので、学費+研究費に焦点を当てて膨らませた話でした。 家族=お金を惜しまない。という方程式がどこかにあって、家族なんだからお金をくれるはず、という希望があって、 自分も家族なんだから、惜しげもなく返すし、あげるよ、家族なんだし。って家族の証明を欲しがってるんではないか。と、「ここで死ね!」のシーンの前のセリフで思ったりして。

ネックだった10年前の山売却については、突発的に魔が差して、という風にしました。 そういう話がもともとあって、うまくすっぽりできそうな準備された状態に、侘助がパチッとスイッチを押しちゃった感じです。…けれど、 これだと、栄さんの知り合いである、国土交通省の官ちゃんがとんでもない立場に立たされますね。理不尽!

以下、時系列が分かりにくくなってきたので、簡易時系列表。別名、管理人の脳内整理。




1987年【23年前】    侘助(17) (2) 侘助受験を渋られる。喘息の発作により半年意識不明。

 1988年           (侘助、陣内家を出て東大へ入学。(それから実家へは帰ったり帰らなかったり。その間、との接触は避けてた。))
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 1998年(仮)         侘助、アメリカの研究機関からメールを受け取り、研究の場をアメリカへと移す。
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2000年【10年前】     侘助(31) (15) 侘助、を迎えに行く、山売却。その後研究に没頭。、入院。昏睡状態となり自分のアバターを無くす。原因不明の病になる。
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2010年【原作開始】    侘助(41) (25)