いつでも故郷を憎んでいたよ。

何かあれば直ぐに告げ口されてしまう範囲の狭さも、
通りかかれば親類の誰に似てきただとか感心されるのも。
何が尊いのかも分からないのに、無理やりに口の中に詰め込まれているようで、息が苦しかった。
だから、いつも何かに憤って手足をバタつかせてみていた。
自分で決めたいのにって、奥底で蒸発して震えるものが煩わしかったんだ。

けれど、いつの間にか愛想に返す愛想というものに慣れてしまった。
似ているという目を細めて、どこかで聞いたような言葉を返すのに言葉を詰まらせることをなくした。
恐らく、慣れてしまったその瞬間こそ、可能性という希望を食い終わった子供の臨終なのだ。










慣熟する毒と晩餐会










尾崎は木の杭を私の心臓の上へと押し付けた。



細くなった先端が鳩尾へと食い込んで、それだけで突き抜けることは無いにしろ、
大人の手の平がやっとつかめる太さの杭は自身の重さもあって、息苦しさを感じた。

その辺の木片を削っただけの、滑らかさも乏しい無骨なこれが肋骨を折り、
その間のなんだかわからない膜のようなものも引きずりながら太い血管をちぎって、
心臓を壊すというのだから、やられたからには、想像を絶する修羅場だろう。

意識すれば、胃から続く食道に寄り添う肺も気管も心臓と縁が深いと気づく。
これだから、映画で退治された者の頭を突き抜けるような断末魔、あれは正に人外だ。
恐らく骨を折られている最中は、声を上げるのもしんどく、
声をあげられるようになるころには、あふれたものが喉を塞いで、声もでなくなっているに違いない。


しかし、それにしても。


尾崎の暗い顔をぼんやりと見ているのを止め、精々やっかいな誤解をされないように、
気まぐれな行動に見える動作で杭を撫でる。その杭の酷いあり様。

魚釣りの針のように、一度刺さったら抜けないようつけられているちょこんと飛び出たかえしが
意図せずとも棘として可愛げなく杭の所々から飛び出ているようで、
その凶暴さは、確かめるように撫でてやると指の腹に噛みついてくるし、
杭を真正面から見ると、一番最初に皮膚に刺さるはずのとんがりが中心から大分ずれて歪んでいる。

木製というところからして、刺さりにくそうなのに。
息を吐いてしまいたくなりながら、考える。恐らくこれは勤務が終わって草臥れた尾崎が、
夜遅くに手ごろなもので適当に作ったに違いない。
医者の尾崎に芸術の情熱を求める訳ではないけれども、思わずにはいられなかった。

これをやすりで整え、ニスでつるりと仕上げてくれていたら、さぞや、すんなり
愛しい愛しいこの子は、私の胸のなかに飛び込んで来てくれるだろうに。

そうして、この棘を手懐けることはできないかと撫でながら問いかけた。


「もうちょっと、どうにかできなかったの」

「ん?」

「刺さりやすくする工夫とかさ」

「…ああ。生憎、これから何本必要になるかわからなかったからな、とりあえず最低限刺さる物を、多く作るのを優先した」


じゃあ、やはり、それは一晩制作の大量生産の内の一つってことだ。
なんだか、酷く気に入らない。そんなような顔をして見ても、尾崎はニヤリとし、
おどけるように杭とは逆の手に持った小槌を揺らすだけだった。


「できれは専用のやつが欲しかった」


我慢出来ずにそう零すと、ちりちりと殺意が揺れるのが見て取れる。
ふざけあっていた時とは違う。尾崎は、「それだって贅沢だ」って思ってるんだろう。
それでも口をついて出るのはいつもの皮肉。


「今から、戒名でも入れるか?」

「わぁ、今度こそ成仏できそう」


そんな気もないくせに。
笑うと上下する腹を掠め、ちくちくと先っぽが骨の下を爪のようにひっかいた。
終わりを先延ばしにするみたいな会話は、終わりを知ってる人にしかできないものだ。
明るい声が尽きると、ついに観念して、私はもう必要のない息を絞り出して吐く。


「例えば、司法で裁かれたら私はどれくらい檻の中なのかって考えない訳じゃないんだ」

「刑務所にそんな余裕はないだろうさ」

「無期懲役だったら終わりが見えないからって?」

「早いさ。お食事ができなければ飢えて数日で死ぬだろう?」

「酷い。飢えって本当に辛いんだよ」

「そのまま飢えて、もう一度死ねば良かっただろ」


低い声が落とされると同時に、ぐっと、先端が押しつけられた。ああ、こいつは怒っている。
何だかわからない嵐のような怒りを抱えてどうしようもなくなって、答えをせがむみたいに殺意を押しつけているのだろう。
その奴の殺意をとても嬉しく思う。笑えなくなった男の代わりに私は頭を上げる。


「そうだ。その通り」


様々な理不尽な事態に対する怒りのなかで、今ここで起こっているこの殺意は、私の物に違いないのだ。
尾崎が持っていた私という人間の印象が、暗い密室に閉じ込められて、空腹に苦しんで、
この苦しみをどうにかするには、人を一人殺さなくてはならないことを強要された時、
自ら餓死を選べるような優しい人間だったという証明だ。
医者が助けられなかった哀れな幼馴染を助けたのは、自分の正反対で死を振りまく者だったという嫌悪だ。
それを嬉しいと私は思う。奴の殺意は優しい。

だが、未だに生存を叫ぶ痛みが、鳩尾に襲来している。何もかも遅すぎた。
線は引かれて、私と貴方は違くなってしまって、成り果てた。


「もっとこう…ぽっくりって言葉が似合いな死に方をするんだと思ってたよ」

「ああ、そうだろうな」


ついに両手で杭を支えて項垂れてしまった尾崎が「お前には似合いだよ」という。
その声が妙にらしくて、体を捩った。


「口説かれてるみたいな気分だよ」

「ついに頭までイカレたか」


少し笑いながらそう吐き捨てた後、尾崎はどこか遠くを見つめながら、
「良く刺さるような磨かれたものでは意味がない。
摩擦を多くして沢山の血管を壊さなければならないんだ」と、小さく謝罪をした。
それに神妙に頷いて、支えている両手に手を添えることにした。


「尾崎はこの後どうするの?」

「屍鬼を滅ぼす」

「いいね。絶対そうして。…その後は?」

「……」

「屍鬼の研究でもしてみるのはどう?
 こんなことをしなければ死ねないんだから、生命力は凄まじいんでしょう?
 今更、生命力っていうのも可笑しい話だけど」

「関わり合いたくないね、今後一切」

「血の何ミリリットルでも試験管で生かしておけば、今後治せる病気が増えるかもよ」

「セカンドシーズンの伏線を残して置くそんな勇気は俺にはないね」

ははは、と笑いが起こって、尾崎は先ほどの嘆きも嘘のように体を起す。
握った手の小槌を杭の頭に添えて、殺意を露わにしながら、彼はこんなことを口走る。


「そんなことが出来る勇気があるなら、お前を連れてこの村から逃げてやる」


まるで、子供が憧れる御話のようなもの。
慣れてしまった震えが止まって、私は忘れた振りをして食い残していたものを思い出す。
けれども、所詮はたった一口。この瞬間、二人の者たちは食事を済ませてなくなった。





「頑張ってね、お医者さん」

「滅びろ、死人」





医者は木の杭を死人の心臓の上へと押し付けた。








慣熟する毒と晩餐会