手紙はこう始まっていたはずだった。
おはよう。君が気分良く目覚めることを私はずっと望んでいたよ。
君が目覚めたということは、私という存在はもうこの世に居ない。
それから、君のことを知っている人間もこの世界には居なくなっているはずだ。
君は、今、本当の意味で一人だ。
けれど、どうか絶望しないで欲しい。
今在る君は、これから、いくらでも仲間を作ることができるだろう。
すまなかった。
君にはどうしても幸せになってほしかった。これは私の我儘なんだ。伝わるはずもないこの手紙もだ。
最後に、愛しい君へ。どうか新たな生で幸せになれるように。
次の瞬間、氾濫する世界に飲まれ、全ては存在を消した。
***
「無から有は創れない」
嘘付きめ。
大佐を心の中で罵りながらエドワードは前の女を見据える。
噂によると、唯一、成功したという人体練成を知るという女。(情報源は大佐)
しかし話を聞いてみれば、まず前置きとして添えられたのは、“無から有は創れない”
エドワードにとってみれば、そんなことは、当の昔に知っている。
ふつふつと湧き上がる苛立ちを、頭の中で噴水を作り上げ、一人の無能を構築する案を出しつつ、なんとか堪えた。
「…そうかい、邪魔したな。」
赤い外套を翻し、たった今、無駄足を踏んだ足を、見えない答えを求めて当てもなく踏み出そうとすると、女が言った。
「つまり、“有は無にはなれない”」
エドワードは女の呟きを繰り返す。
「“有は無になれない”?」
「貴方の弟は、無くなってはいないのでしょう?」
女は鎧を指差して、体はないけれど、と言った。
「で?」
堪えることなく先を促した。
エドワードは大人が嫌いだ。勿体ぶって、いつも真実を何層も上辺で包んでしまいこんでしまう。
ただでさえ、誰も知らない事柄を知りたいのに、時間がいくらあろうと足らない。だから、単刀直入に真実を知りたかった。
そして、女はそのことを諒解したらしい。
「確証はないの。その錬金術師は居なくなってしまったから。だから、私の考えで良ければだけど……記憶だよ。
蘇らせたかった人物がかつてこの世界に居たっていう全て人間、全ての物の記憶。そして、自分自身の体を代価に、錬成する。」
この世界に居たという全ての証を代価にして、その人物は再び蘇る。
蘇った人間は、もうこの世には居ない錬金術師を思い、途方に暮れる。
なぜ、そこまでして自分を蘇らせたのか。
なぜ、皆、自分のことを知らないのか。
「貴方はそれでも取り戻したい?」
「……」
エドワードは首を横に振った。アルフォンスも同じ反応だった。
仮に自分の兄弟をもとに戻せたとしても、世界中の人々は兄弟を忘れてしまう。自分も居ない。
それは、取り戻したとは言えるはずがない。
「それじゃ意味がないな。」
「…そう」
女はホッとしたように頷いた。
「まぁ、とりあえず、理論だけ、詳しく聞かせてもらえるか?」
その時、女は初めて兄弟に微笑んで「錬金術師と膝を詰めて話すのは久しぶりで嬉しいわ」と言った。
***
目覚めた瞬間、再来した世界で、黒い掌が文字を次々に剥がしていくその光景がとても恐ろしかった。
一人っきりのこの世界で蹲り、今はただの白紙を抱きしめながら、賢くなれなかった愛しい錬金術師を思って、
誰も知らない彼女は、産声を静かにあげたのだという。