「もしもね、他人に余計なおせっかいをしなければね」と、公爵夫人はしゃがれた声でうなるように言いました。
「世のなかは今よりよっぽど速く回るだろうに」
―――不思議の国のアリスより
***
妹を連れまわす奇妙な男。世界的に有名になった我が妹の助手だというその男の奇妙さをなぜ皆、指摘しないのだろうか?
前髪だけ黒髪で後ろは金髪という奇妙な髪型で、逆三角の髪飾りをしている。年がら年中青色のスーツ。
一見黒い瞳に見えるがよく見ればそれは深い緑色。あやしいにもほどがある。
母さんに訊いてもイケメンじゃないと軽くいなされた(それでも奇抜だという部分は否定されていない)
私には、あの男が妹をどうにかしてしまうんじゃないかと日々思っていた。
夜。今日も学校のあと、探偵業に勤しんだのだろう。妙に疲れたような弥子に私は我慢ならず、訊いてみた。
あんた、なんか厄介なことに巻き込まれているんじゃないの?弥子は苦笑いをして、いつものことだ、というような感じだ。だから私は。
「あいつ、なんであんたに探偵なんかやらせてんの?」
母さんも父さんも働いてて、私は長女で、よくあんたの面倒を頼まれてた。あんたが推理なんて特技、持ってないことなんてわかってる。
弥子は驚いて、ちょっと照れくさそうに笑った。うん、まあね。って。でも、結構楽しいよ、と。
「あいつは、ちょっと特殊でね?常に謎解きをしてなきゃ生きていけない奴でさ。
けど、自分が解いたことにしちゃうとマナー違反だって。」
それで、あんたが解いたことに?
「そう。……お父さんのこともあいつが解いたんだよ。」
あの狂った警察は、弥子の笑った顔を歪めたくて、それで父を殺したのだという。あの時は怒りで頭が白くなった。
最終的には、私が竹田を殺してやりたかった。けれど、あの後、竹田は神経がイカレて、叫びだし、しきりに弥子を恐れてた。
今でも独房のなかで死刑を叫んでいるという。あれも、思えばあの男と竹田が接触してからだ。
あいつは一体?
「でも、あんまり深入りしないで。大丈夫。心配いらないから。」
あんたはいいの?
弥子は笑った。
***
次の日、路地で、あの男と出会った。
私がそこを通るのを分かっていたように背中を壁に預け、私が現れると人のいい笑顔で近寄ってくる。
「先生のお姉様ですね?」口ごもっていると、男は簡単な自己紹介をして、2メートルはあるかという体を折り曲げた。
ちょうど、男の頭が私の顔の横にある。男は先ほどと違い、声を下げ、「そんなに警戒するな」 耳の産毛が逆立つような声で囁いた。
ヤバイ奴だ。もとより可笑しな奴だとは思っていたが。分類が違う。「少し、あちらのファミレスでお話でもしませんか?」
さっきのが嘘のような、尾の後ろに音符でもつきそうな明るい声。男はニコニコしている。
それにあがなう術を私が持ち合わせているわけもなかった。
「禁煙席でよろしいでしょうか?」
タバコは吸わない。
どこかに逃げる隙はないだろうか。そう考えるまでもなくキョロキョロしてしまう。
そして、その様子をみて奴は、やっぱりやたらとニコニコしている。
まるで、警戒はしているが手中に転げ落ちる獲物を見ている…詐欺師とかそのへんの笑みにみえた。
そんな気がして逆に腹が決まった。話してみよう。
場所は本当に普通のファミレスだった。通された禁煙席の二人用の席。ちょうどほかの席からは見えないように仕切りがあった。
こいつの計算か、はたまた偶然か。計算のほうが比重が大きいのは、こいつの異様な雰囲気のせいだろう。
「注文がお決まりでしたら、この呼び鈴を押してください。」
店員がメニューと水を置いて、去り、本番だ。
「なんの御用ですか?」
「いえ、たいしたお話ではありません!
先生から、自分のお姉様が探偵業を不安に思っていると聞いたものですから、その不安を取り除けたらと思いまして。」
はっきり言えば、薄ら寒い。
さっきの低い声と比べたら今のハキハキとした声がとても胡散臭くなる。
「…そう、ですね。」
しかし、そのままうわべだけの会話なら、私に害はないのだろう。これは、警告だ。これ以上深く突っ込んでくるな。という。
探偵業の不安?私が、探偵業をする点での危険を訊けば、奴は、きっと、安全な点を上げてくる。
なんのこともない、親族が危険と隣り合わせな子供をほっておけるはずがないのだから。
しかし私が、奴の正体を訊けば。弥子を連れて行ってしまいそうなこの男のことを問えば、もう、後戻りはできない。…気がする。
もし、そうしたら、…どうしてくるだろう。竹田が精神崩壊を起こした原因がこいつなら、私はマインドコントロールでもされて、
記憶を飛ばされるか、竹田と同じように精神崩壊?ちらっと見た奴の目はグルグルと渦巻いてるように見え、やはり、緑色。
しかも、少し光ってもいるような気もした。
人間ではない―――のだろうか。
じゃあ、
一体なんだ?
「…あなたは、一体何なんですか?」
沈黙。
魔が差したのだろう。2〜3秒の間。いや、もっと短かったかもしれない。他の客の声が遠ざかった。
それは、触れてはいけない部分に触れてしまったときの本能的感覚だ。しまった!と思ったときには、男はもう笑っていた。
詐欺師の笑みとは違った。蟲惑的な笑み。クッと笑った口から見えたのは鋭いずらりと並んだ牙だった。
なぜ、今まで気がつかなかったのか。
衝動的に立ち上がって走り出しそうになった私を止めたのは、妙に大きい黒い手のひらだった。
男の手。いつも黒い手袋をしている怪しいあの手だ。
見れば、トゲトゲした小さな突起が手袋から生えていて、掴んだ私の服に刺さっている。
コレが「人間」であるものか。
「まあ、お座りください。」
ささ、何か飲んで落ち着いてください。と、男は、サッと笑みの仮面を被りなおし、呼び鈴を鳴らした。
数秒もしないで店員が注文を訊きに来る。ご注文は?と訊かれて奴をみると、「僕はいりません。彼女が、」と返される。
呆然としながらも、余りに平凡な店員の注文を待つ姿勢と、客の談笑の声に、いつもの癖で、カフェオレと舌が動いた。
服の袖に得体のしれない棘が刺さっている居心地の悪い非日常を、気持ち悪い日常が暫し包み、数分して、カフェオレが到着し、
それを一口飲むころには、足は重く、億劫だった。その間、奴は殆どなんのアクションも起こさなかった。
ただ、口元に笑みを浮かべ、ゆったりとしている。
「…さてと、我輩がなにものかと?」
しばらくして男が口を開いた。一人称が変わっている。声も低くなっている。そして、絶対的に威圧感があがっている。
なんとなく、こっちのほうがしっくりくるのは、こっちが本性なのか。もう、逃げようという気はない。逃げられるはずもない。
「なんてことはない。我輩、―――――ただの、魔人だ。
悪意から生まれた謎を食べる珍種の魔界生物。もともとは魔界に居た。
しかし、謎を食い尽くしてしまった。だから上へとやってきた。」
上へ、と言われ、地面を示された。地上。
あんた、弥子。どこが心配いらないの。
呆然としている脳がつぶやいた。
「……だから、謎解き、探偵をしていると?でも、正体がばれるのは、マナー違反で…だから弥子に?」
「…そうだ。」
マナー違反といったとき少し驚いたような顔をして、しかしそのあとドS全快の微笑みを浮かべた。(なんとなく弥子に謝りたくなった。)
「…どうして弥子に?」
訊けば、最初に出会った謎の気配の宿主が弥子だったのだという。父の件だ。
そして、隠し蓑にして、どんどんと謎がそっちから舞い込んでくる方法を思いついたのだという。
そこで、自分の今後を疑問に思う。その方法とは、ネタが上がってしまえば、破綻しかねないだろうに。
どうして、話をしたのか。
「まあ、バレてもさほど問題ない。」
「なぜ?」
「貴様次第だが」
空になったカフェオレのカップが寂しい。喉が渇いてきた。
私しだい。価値観が崩壊していく音が聞こえた。今まで生きてきた法則が全て意味を無くすような。
それでも、最後に残ったのは、あの漠然とした不安だった。
「あの。」
「なんだ?」
「弥子は大丈夫なんでしょうか?」
「隠れ蓑としては十分に働くが?」
私が訊きたかったのはそれではない。
私の不安は、この男が弥子を連れて行ってしまうという予感に対する不安だった。
どこかは知らない。魔界とやら?いや、違う。もっと、遠く。
空と地上が遠くても隣り合わせという感覚ではなく、もっと別な、例えば相対する鏡のように絶対不可侵なところへと。
―――弥子。
私は、それが恐ろしい。
「あの、」
「貴様は何が言いたい」
「…弥子が、最近どこか行ってしまうような気がして。
父が亡くなって、落ち込んでいた弥子が探偵を始めてから、生き生きとしていることは知っています。
だから、私としては応援したい。例え、それが嘘で、隠れ蓑であっても。
けれど、私には貴方が、弥子 をどこかにつれていってしまうような気がしてならないんです。」
「どこか、」
男は呆れたように呟いて、えらく抽象的だな。と言った。私は俯いた。>
それでも、あの子は駆けていってしまう。分かっている。そして、導いたのはこの男。
恨みがましい目でもって、男をねめつけると、男はそれはそれは面白そうに笑った。ずらりと並ぶ、牙牙牙。
「ならば、貴様も着いてくるがいい。」
「…いったいどこへ?」
「“どこかへ”だ。」
***
「ここからどの道をゆけばよいのか、教えてくれません?」
「そりゃ、まったくあんたのゆきたい方角しだいだよ」
「わたし、特別どこへということも―――」
「それじゃあ、あんたがどの道をゆこうと、かまわんじゃないか。」
「―――どこかに出られるものなら」
「なあに、どこかに出られるにきまっているさ」
「たっぷり歩きさえすればね!」