死など綺麗なものでもなんでもない。それは十二分にも理解している。

よくあるフィクションでは、死に際にペラペラと胸焼けしそうな台詞を、やけにすました顔の自分の女に聞かせてやってから、 ガクンと力が抜け、男が死に、女がツゥッと涙を流すなんて演出があるが、アレは嘘だ。本当のものはもっと醜い。そしてあっけない。

死と生によって引き裂かれた二人は悲しいと、観客は自分を投影しては感涙するものだが、自分が感じるものは失笑だ。

死に際に、あんなにもペラペラとよく舌が回るものだ。最後の台詞は「愛してる」?陳腐にもほどがある。 それに血ノリの糧が少なすぎる。即死でなく、話す時間があるというならば死因は出血死あたりだろうに。 あと、痙攣や意識が朦朧としてないところも現実感にかける。 女も女だ。黙って見つめている暇があるなら、止血しろ。血が足りないというのに、頭を持ち上げてどうする。



そしてなによりも、思うのは、死に際に間に合ったなら、いいじゃないか。という楽観的な視点だ。



死は突然なもの。あんなにも満たされた死を迎えられたのならば、それは奇跡に近い。
何度も、孤独な「死にたくない!」と叫ぶ間もなくそれを奪ってきた自分が言うのだ。



ああ、二人は幸せだろうな。きっと。


現実の死など綺麗なものは欠片もない。それは十二分に理解している。

そう、そのはずだった。





−10





なんだこれは。


まず思ったのは、何だってこんなところに人形が捨てられてるんだ?という胆略も胆略な考えだった。

上から吊るされる糸をぶった切ったようにダラン、と力の抜けた大きな人型の人形。 それは、置かれているソファの上から無理やり落とされたようで、こちらを向いてる背中が左腕を下敷いて、妙に歪んでいた。 そして、人形から視線を外し、そこに座って紅茶をちょびちょびと飲んでいたはずの女を探す。

はどこいった?

何度見ようとも、そこには人形があるだけだった。
は何時の間にやら、目の前のソファから立ち上がり、人形を代わりに置いて、この部屋を出てったのか?
瞬時にそんなお粗末な考えに首を振る。ほんの3秒まえに彼女は確かに自分の目の前にいたはずだ。

スクアーロは立ち上がり、人形に近付きながら、3秒前に考えを巡らせる。 ああ、そうだ。猫舌なくせに、そのほうが美味しく淹れられるから、と、わざわざ沸かした熱湯で紅茶を入れて、 冷ましながらちょびりちょびりと舐めるように、飲んでいた。あまりに厄介そうに紅茶を飲んでいたから、それをからかってやると、 彼女は、拗ねたように口を尖らせて紅茶に息を吹きかけて、

そして、は、間抜けな音とともに、真っ白い煙に包まれたのだ。

おそるおそる、の座っていたソファへの前に立つ。 そこに置かれた、等身大の人型のその人形は、白い婦人服を纏っている。 人形にしてはビニールのような品のない髪ではなく、艶のある髪が波打っていた。 スクアーロは、ソファの背に顔を埋めるようにして置かれた人形の肩を掴もうとして、 衝動的にその右腕を止めた。


そして、代わりに左腕で、人形を掴み、顔が見えるようにそれをひっくりかえした。


この時すでに予想はしていたのだと思う。


それは人形ではなく、人の死体であると。

スクアーロは考える。

今日は確か、最近赴任したばかりのドン・ボンゴレがここに訪れていたはずだ。守護者を連れて。 確かあの、雷の守護者の子供も来ていた。あの間抜けな音には覚えがある。 雷のリング戦であの子供が急に大人に入れ替わったことがあった。あの時のだ。 当時、部外者だと最初は糾弾したが、あれは子供の大人の姿で、同一人物なのだから違反ではないということになった。 10年バズーカー。子供の持っていた特殊なバズーカーを確かそう呼んだ。

「10年?」

ソファにねっころがる、この死体の顔は、10年経とうと皮肉のようにその面影を強く残していた。

10年。

「……。」

確かめるように右手で、その白い頬に触れてみる。冷たい。 分かっていただろう?と誰かが言った気がした。そうだ。だから左手で死体の肩を掴んだ。自分の左手は体温を感じないから。 あいにく自分は死体は見慣れてる。それを間違えるはずがなかったというのに。

けれど、それでも、顔を確かめるまでは希望を失いたくなかった。

弾かれたように手を離し、うろうろと、死体が目に入らないように部屋の中を意味なく見渡してみる。 何事もないようにカチカチと時を刻む時計の音に耳を塞ぎたくなるが、かといって それ以外の音のないシーンとした部屋の静寂も苦しかった。 うろたえて、その場でふらついてみて、部屋を出ようとドアの方向へ歩き出すも、足は止まってしまう。

何をしても、行き着く先は、その冷たい身体だった。 熱い紅茶を飲みながら、頬を赤らめて、湯気が出そうだった彼女が、今ではまるで氷のようだ。

なにかとんでもなく醜いものを見るように、眉を顰めながら彼女を見た。 大人びて、スッとした頬、年頃をすこし過ぎて無駄のない細い身体となった優しげな女の姿。

ああ、だ。10年後のだ。間違いない。


そうして、彼女の傍に立ち尽くしたまま、身体の隅々まで、観察し、死因を探してみた。

けれど、目に見えて、どこも欠けていないし、穴が開いているわけでもなかった。 病だろうか?と考えて、ぞくぞくと悪寒が背筋を走った。

もし、なにか怪我が原因なら、自分が守ってやればいいことだ。けれどなにか治せない病だったら? いや、今からでも医者に行かせよう。きっと初期に原因を発見できれば、治せるはずだ。

今から?

「死んでるじゃねぇか」

自分でも気持ち悪いくらい静かな声だった。

いや、違う。5分経てば今の生きてる彼女が帰ってくるはずだ。今の彼女を医者に連れて行く、そうすれば…… けれど、これは10年後の彼女の姿だ。それは、今足掻いたところで変わらないっていうことなんじゃないのか? 10年後の自分は何してたんだ?何をしてたんだ?

「う゛お゛ぉい、」

ソファの前に膝をつき、彼女の首の下に腕を差し入れて持ち上げて、問いかけるように、その顔を覗き込んだ。 力の入っていない首は掴むように支えてやらないと、くてん、くてん、とそっぽを向いてしまう。 それが、彼女が自分を避けてふざけているように感じて、思わず力を込めて首元を掴んだ。

「っ悪ぃ!」

力任せに掴んだ皮膚は彼の爪に傷つけられて、血を滲ませる。 けれど、赤くも成らなければ腫れもしない。きっと死んでそんなに経ってないだけなのだ。 そして、真っ白いその顔は、苦痛に歪むことなく、手を離したことで再び、こてん、とソファの背の方へと向いてしまった。

「……。」

その姿を見て、今度は彼女の頭を自分のほうへ傾けるように移動させ、優しく抱え込んだ。
冷たいし、気持ち悪い。あたりまえだ、死体なのだから。

その冷たさに、もう、何をしてもその人間は生き返らないことを知る。きっと心臓と脈が止まって一時間以上は経過しているのだろう。 それでも、体温が移ってほんのりと温かくなる。



「10年…」



あと10年では死ぬ。



銃で腹をぶち抜かれるでもないし、刃物で切り裂かれるでもなく、人形のように綺麗なまま。 それはマフィアの関係者の最後としては綺麗なものなのかもしれない。 目を覆いたくなる酷い死体の数々は飽きること見ていたし、粛清という名のもとに作り出してもきた。

自分はそんな人間だというのに。

無意識に信じて止まなかったのは、彼女は自分の傍で10年といわず100年でも、 熱い紅茶を舐めるように飲んでいる姿だったことに気が付いた。 彼女の肩に顔を埋めて慙愧する。陳腐なあの物語のほうが、よっぽど終わりがいいものだと思った。死別のほうがまるくおさまる。 現実はめでたしめでたしでは終われないし、自分はきっと主人公ではなく、悪役のほうだろう。

自分の体温の移った、彼女を抱えてスクアーロは呆然と現実を呪った。 何故か、未来を変えてやると、憤ることはできなかった。自分の無力さに打ちひしがれたように、 ただただ、重い頭を抱いて時が過ぎるのを待った。それはまるで、遠い記憶でみたあの陳腐な映画で残された女のようで、

あの時、くだらないと吐き捨てて、映画の途中で映画館を抜け出した過去の自分を今更羨ましく思った。 映画の結末はいったいどんなものだったのだろう。今は一欠けらも予想がつかない。

どうせなら、抱えることも、触れることも、戸惑うくらい酷い死体ならよかった。そうすればこんな悲観は訪れなかった。 例えば、黒焦げな遺体を自分の身内だと、なんの証拠もないのに思い込むことの逆のように、 それは、自覚しているタイマー付きの悪夢なのだ。




きっと彼女が帰ってきて初めて、自分は進むことが出来るのだろう。




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