やっぱり、日常は、常々、非日常に変わるべきだよね。



例の場をニコニコニヤニヤ見守っていたメガネこと、岸谷新羅は、 友人二人が死に物狂い(一人だけ)の追いかけっこを始めたのを見ながら、 何か納得するように、うんうん、と二回ほど頷いて、次第に町のほうへと消えていく二つの背中を見守っていた。

その内一人は、今時珍しい短ランから覗いた赤いインナーをちらつかせ、もう一人は、まるでバットかなにかのように、 通常、学校の前にあるバス停の時刻版を片手で振り上げている。それに新羅は、人知れず、「ああ、やっぱりしっくりくる」とその顔を一層ほころばせた。






それは、彼が小学校に通っていた頃に遡る。






小学生の頃。新羅は、静雄という自分にとって二人目の特異な存在に出会った頃になる。
新羅は、それからというもの、なんかしらの違和感を持って過ごしてきていたのだ。


“なにかたりないんだよね。”


あの化け物の成りかかりのような存在には、決定的になにか足りないのだ。







小さいころから自分の父親に、変わった、と称されれば聞こえのいい面妖な教育を受けてきて、傍に自分の最愛とも言える変異がいた新羅にとって、 静雄という存在は、中途半端で、分類しにくいものだった。

尋常ならざる力を持ってして、作り上げられる理不尽な暴力。その姿は、姿が子供なことも加わって、吹っ飛ばす大人の姿と一緒に居ると化け物と言って過言ではないように見えるのに、 その体は弱く、力を繰り出すごとに、砕け、壊れ、粉砕される。そして、命は生命力が強いといっても、例外なく弱る。


それでは、化け物と呼ぶには役不足で、化け物のなりかかりというのが一番似合っているように新羅は思っていた。


ここで注意すべきは、新羅にとって化け物とは、けしてマイナスなイメージではなく、むしろ、プラスの印象だということを書いておく。
なにせ、新羅にとって、化け物はなんであろうと愛しい“彼女”に含まれる、愛しい要素の一つなのだから。
そして、“なにかたりない”と感じていた新羅は、化け物の“成りかかり”だから、ものたりなさを感じているのかな?と首をひねりながら、小学校を卒業し、中学に入学したとき、その、ものたりない違和感にぴったりはまる人物を発見した。


折原臨也。


化け物に足りない部分をもってそうな人物は、予想に反して、言動が割と大人しめであり、どこか大人っぽい、普通少年だった。


なぜだか、新羅のお眼鏡にかなってしまった少年は、実は、中身はまったくもって普通ではなかったが、 そんなことは、普通にクラスメイトとして出会った新羅は知るはずもないだろう。 だが、新羅は見つけてしまった。そして、この長年の違和感を払拭し、自分の願いを叶えるために新羅は行動を起こしたのだ。



新羅の切なる願い。彼は常日頃から思っている。




―――世界が混沌と化せばいい。


なぜならば、そうすれば、彼の愛しい“変異”が世界に存在したって、
その“彼女”を愛する自分がいたって、

―――なにも可笑しいことはなくなるじゃないか。



そうして、よりいっそう、この世界が混沌になりますように。と、“化け物のなりかかり”である静雄と、 “なりかかりを埋める”はずの臨也を会わせたのだ。 行動の結果は上々。街を疾走する、二人の少年は、びっくり人間よろしく、街を混沌と導いている。

新羅は、そんな二人を速やかに見送り、これから成長していくだろう混沌を楽しみに思いながら、
愛しい“彼女”の待つ家へと歩みを進めた。


しかし、最後に少しだけ。


夕焼けを横目に、もうどこにいるのかもわからない二人の友人の姿を追うふりをして新羅は思った。




「どうして、臨也だったんだろ?」



中身が異世界人で、原作の未来を知っていて、 本当の原作なら犬猿の仲で、静雄との出会いは原作通りなのだ。ということを高校1年生である新羅は知らない。 ただ、彼のなかで、なにか間違いを正せたような晴れ晴れとした気持ちが浮かぶのみだ。

そのまったく少しの後、気分良く、自分の愛しい首無しのもとへと、速やかに新羅は馳せ参じるのだった。








神様の理不尽