“いいよ、べつに、インコと話せるし。”
インコは考える。
自分の器用な鉤爪と嘴にかかれば造作もない鍵のついた鳥籠のなかで。
たとえば自分が、あまり喋ることのないメスだったら、この人生(鳥生?)は変わっていたのかもしれないと。
そう、もしかしたら、前の主人である彼女に捨てられなかったのかもしれない。
もしかしたら、喋るたびに変な目で見られることもなかったのかもしれない。
しかし、彼(彼女かどうかは今後討議する)は「それじゃあ、楽しくないわよ。」とお馴染みの口調で言ってみた。
それに雌なんて地味じゃない。自慢の飾り羽を揺らして、彼は頷いた。うん、しっくりくる。きっとこれが私の運命だったのね。
そう、彼はその運命を嘆いているわけじゃない。むしろ楽しんでいた。
彼は今も酔ったような演技をしながら、今も続く物語を、自慢の語彙で舌をまわしているのだ。
***
この口調はきっと彼女の口調が移ってしまったせいね。彼は自慢の色彩鮮やかな羽をつくろいながらしみじみ思った。
なんせ、彼は雛のときから彼女に育てられたのだ。彼女の声は耳に染み付いている。
雛の彼を買った彼女はインコを選ぶとき、店の店員にわざわざよく喋るのは雄か雌か訊ねたそうだ。
そして一段と派手で立派になりそうな、よく喋る雄の彼を選んだ。彼はそのときのことをおぼろげながら覚えている。
たしか、その少女はまん丸な頬を赤らめて、この子!この子よ!と母親の手を握り締めながらその場で跳ねて見せたのだった。
喋るのはどっちだ。と訊いたのだから、当然その少女、彼女は、彼に言葉を教えるのに躍起になった。
まだ幼かった彼女がおませな言葉づかいで
「おはようよ、おはよう、ほぅらしゃべってみなさい」と高飛車に彼に言ってのけ、
賢い彼は毎回流暢に、それを繰り返してみせた。
すると彼女は抜けた前歯の隙間をみせてニッコリと笑うので、彼はなんだか嬉しくなって、
店のなかで聞いて覚えた言葉をしきりに繰り返して彼女に聞かせてみせた。
けれど、彼女はそれに少し膨れて、私が教えるのよ!とインコに文句を言った。
彼は鳥ながらに笑ってしまいそうになった。もし、この時人間の笑い声を覚えていたならば、きっとコロコロと笑っていただろう。
しかし、今思えばそれに留めておけばよかったのに、と彼は後に思う。
幸せでいっぱいだった賢いインコは、やがて、言葉の意味を理解して「おはよう」を朝につかい、「おやすみ」を彼女が寝る前に言うようになった。
彼女の喜ぶ顔が見たくて彼は次々に言葉を理解していった。彼女が静寂を嫌って、何の意味もなくつけているTVを聞いては、社会を理解して、
母と子の会話を聞いては、人間の情というものを理解した。彼は人間そのもののように会話できるだけの知識と感情を持っていった。
そして、ついに彼は、寂しく一人で留守番をする彼女の話相手になるようになった。
彼女が「おままごとをしましょう」といえば、彼女の娘役も、夫役も、あるいは母親役も彼は器用にこなし、彼女が何かお話を聞かせて、とせがめば、
彼は昔話を諳んじてみせた。もしかしたら、彼のほうが彼女よりも知識や語彙はあったかもしれない。
彼は幸せだった。彼女が笑えばとても暖かかった。
しかし、それからだ。少しずつインコと人間の関係が崩れていったのは。
そう、鳥は鳥のまま、彼女のペットでいればよかったのに。
まず、きっかけをつくったのは彼女の母親が彼女に言った言葉だった。
彼が彼女といつものように話していると、久しぶりに休みだった母親が「誰かいるの?お友達?」と
キッチンからひょっこりと顔を出したのだ。当然その部屋には彼女とインコしかいない。彼女は無邪気に言った。
「インコと話してるの。」
母親は怪訝そうな顔をした。
それはそうだ。聞こえた会話はインコが喋ったとは思えないほど、ちゃんと筋が通っていたように聞こえたのだ。
それこそ、人間と間違えるほどに。
彼はそんな母親の顔を見ながらジッと黙った。
彼は彼女と話すのは好きだったが、この大きな人間の前では喋ってはいけない気がしていたのだ。
この大きな人間は、ワタシにお話しましょうなんていってきたことがない。彼女の母親はインコに対してはほとんど無関心だった。
だから、彼は黙った。それに“誰か?”なんて今更訊いてきた大人にも密かに腹が立っていた。貴方が居ない間、寂しいこの子と話していたのはワタシよ。
本当に今更ね。
彼の瞳にはもしかしたら、彼女の母親に対する敵意が少しあったかもしれない。
母親は首を傾げて部屋を出て行き、その場は収まった。
しかし、そのあとから、彼が彼女とお喋りしているとき、たまたま母親がいると、「誰かいるの?」と問いただすようになった。
彼女はそのたびに、笑顔でインコだよ。と答えた。母親は、だんだんとインコを疎んじ、彼を彼女から離すように仕向けるようになる。
彼は、最初は彼女の母親に対して憤りを感じたが、段々とその心中を察せられるようになった。
母親は娘が心配になったのだろう。
このころの彼女といえば、学校から帰るとインコに夢中で、友達もすくなかっただろうしね。と、彼は言う。
「あの子の話はいつもほかの子達を眺めていた話ばかりだったもの。」
それを思えるようになって、彼は、娘を思う母の気持ちがわかるような気がして、彼女とインコを引き離そうとする彼女の母親に、
なにも言わずにいることにした。泣く彼女には悪いとは思ったけれど、彼は彼女に人間の友達が必要だと思っていたことは確かなのだ。
鳥には限界がある。だから、彼は何も言わず、抵抗もせず彼女の母親に従うようにした。
しかし、それもいけなかったのかもしれないわ。後に彼は珍しく頭をうなだれる。
「あの頃のワタシってば本当に、裏目なことばかりしてたのね。」
若さって怖いわぁ。少しかすれたような声だった。
その頃、彼女は、母親が入るように言った習いごとに通うようになり、慣れない人間関係で疲弊しているようだった。
彼女は彼に愚痴を零して、時に泣きわめくようになった。
母親はといえば、そんな彼女をほっといて、仕事が忙しいらしく、ほとんど家にいない。
ある日、彼女は泣きながら言った。
「お母さんなんて大嫌い。」
嘘だ。ほんとうは、もっともっと残酷なことを彼女は言った。
母親が彼女に届かないように箪笥の上にと追いやられた彼は、上から「そんなこと言わないの、」と彼女をたしなめた。
とても悲しい気分だった。
彼には彼女の気持ちも、母親の気持ちも分かって、そうとしか言えなかった。
母親は貴方を思って友達を増やす機会をあげようと、貴方に習い事を習わせようと思ったのよ。
けど、貴方はそんなことよりも、きっと、自分と母親と話したいと思っているに違いないのよね。だってこの子の世界は今までそればかりだったのだから。
彼女はそんなインコに嫌な笑みを浮かべて言った。
「インコのくせに」
その時の絶望感ったらなかった。
急に自分のとまっている止まり木が楊枝のように細くなってしまったみたいにふらふらとした。
彼女とはペットとというより友達のようで、一度だって自分をそんな風に見下したことはなかったのに。
彼女との関係は壊れてしまった。
こんなにもあっけなく。
彼女はそれから今までの彼女とは思えないほど、非行を繰り返すようになっていった。
彼女の母親 はそんな彼女に戸惑って何も言えないまま、時間は過ぎていく。
そんな二人の様子を見ながら彼は歯がゆくて歯がゆくて仕方が無かった。
彼は彼女をなんとかしたかった。
彼は彼女に何度も話しかけた。うるさいと言われようとも。籠を叩かれようとも、しつこく何度も言ってやった。
こんなことをして、お母さんが困るでしょう?
どうしてそんなことをするの?
きっと貴方はそんなことしたいわけじゃないのよ。
ねぇ、お喋りしない?
何度も何度も話しかけ、そして彼は、
自分と彼女と彼女の母親の亀裂は埋まらないほどになってしまっていることに、気がついてしまった。
***
時は過ぎる。
彼女が家を出て、一人暮らしをするそうだ。
大きくなった彼女が、居間で背中を見せている母親を睨みつけている。
母親はあの頃と比べると酷くかすれた声で言った。
「インコはどうするの?」
「いらない」
「あなたが買いたいっていったのよ。覚えてる?ちゃんと世話しなさいよ。」
「あんたに言われなくないわよ。」
二人は目も合わせずに最後の会話をして、そして、そのままだ。
ひっつかむように籠を持たれた彼は彼女の腕のなかで考える。
なにがどうしてこうなってしまったの?
たくさんのタイミングの悪さと、不幸が重なったせいだ。と彼は思う。
誰が絶対に悪いなんてことは、とっても珍しいことよ。彼女が悪いわけでも、彼女の母親が悪いわけでも、ましてやワタシが悪いっていうわけじゃないと思うわ。
そうして、彼は籠の中から携帯を取り出す彼女をみていた。携帯の画面には、約束をする文面。
〈今度会わない?〉
そうして、やってきた新しい止まり木はとても賑やかな場所だった。
インコは謳う。
悲劇のヒロインなんて胸くそ悪いだけ。ワタシはハッピーエンドが好きなのよ。
いつかきっとまた会って、今度こそワタシの話を聞いてもらうわ。
今は、「おはよう」も「おやすみ」も、新しい主人は彼のお喋りがいいと言ってくれた。
なら、喋るわ。ワタシもお喋りは大好きだもの!
***
「飼うの?本当にあなたってお人好しねぇ」
「いいよ、一人で独り言って本当に寂しいんだから」
「ワタシ、インコよ?」
「私がいいと言ったから今日はインコ記念日」
「…意外と強引なのよねぇ」
また彼女と会うまで、インコは、話して、話して、
そして、また、言葉を見つける。