ガラ!
「おっと、静かに
「きゃぁあ!?誰よもう!!?」
女の肩ぐらいを目指して、飛びかかったはずの腕は空振り、パレンツァはその場でたたら踏んだ。
そして、え?と顰めた顔面には、もわっとした湯気と、なにかふわふわとした感触が通り過ぎていき、目で追えば、
その極彩色はバサバサと上空に飛び、風呂場に設置してあったカーテンレールへと止まって文句を言ってきた。
「は?」
「んもう、乙女のお風呂に勝手に入ってくるなんて!いくらワタシが魅力的だからって…!
はぁ!?おっさんじゃないの!?何なのホント!?」
目の前でペラペラと喋っているのはどう見てもただの鳥だった。
随分状況にあった喋りをしているというか、この状況から察するに、さっきまでシャワーを浴びていたのも、この鳥だったらしい。
そういえば、ここの住人はインコを飼っているんだったとパレンツァは思い出し、急にホッとして、思わず自分で自分を笑ってしまった。
「なんだ。鳥かよ、はは、俺も焼きが回った、ははは」
「なんなの、このおっさん。急に笑い出して。というか、乙女のシャワー覗いておいてなんなのその反応。ムカつくわぁ」
「ああ?この鳥公!お好み焼きの材料にして食っちまうぞ!」
「いやねぇ、アンタみたいなおっさんに“食べちゃいたい”なんて言われてもそそられないわぁ」
というか、
「アンタ何?」
不意に空気が静まりかえり、一人と一羽は視線を介して硬直した。
やっと、この闖入者に対しての認識を正しくしようと、両者が行動に移そうとした、その瞬間だった。
近くの部屋から何かが無残にも裂かれる音と、絶叫がこだまして、両者は悲鳴がしたほうへと振りかえった。
「トラス!?」
叫び声はトラスのものに思われた。あまりに悲惨な声に、パレンツァは踵を返し、声がしたダイニングに向かって駆け出した。
後ろから、不審げな「もしかして、泥棒?」という確信めいた声がしたが、それに構っている暇もなかった。あれは命に関わるような悲鳴だ。
パレンツァは、寝室に戻り、リビングへとやってくると、そこには、満身創痍なトラスの変わり果てた姿があった。
「トラス!…ど、どうしたんだ…」
全身に走る裂傷に身を横たわらせ、二三回唇をパクパクとしたトラスが言った。
「…猫です…猫は一匹じゃない…二匹いたんです…」
「は?猫?」
トラスが着ていた服は無残にも七夕の飾りのようなありさまになり果てていた。
頭を抱え上げ、トラスを起こしたパレンツァは、その様子を何度も目を往復させながら確認し、信じられない思いを持て余す。
トラス自信は猫がやったと言ったが、まるで草刈り機のなかに巻き込まれたような姿だった。
猫のはずがないだろうと思いながら、パレンツァは戦慄く。
「ね、猫のはずがないだろう?こんな…」
「いいえ、猫です。豹みたいな…冷蔵庫の中にいたんです。…い、今は、ソーセージを、食べてるはずで、す…」
息も絶え絶えになりながら、答えたトラスの声に被さるようにして、キリキリキリとビニールを力任せに破く音と、何かを咀嚼するような音が聞こえ始めた。
パレンツァは視線をダイニングの方へと向け、肉食動物が獲物を食いちぎるような生々しい音に震え上がった。いる。確かにあそこにいる。
ようやく、トラスが言った“猫”を理解したパレンツァは、自分が、ホラー映画の登場人物になったような気がしてしょうがなかった。
さっきまで、なんの変哲どころか、所帯じみた室内に落胆すら感じていたというのに、今ではその様相すら、普通を模してわざとそうふるまっているように感じる。
息が喉を擦り、出ていくわずかな音でさえも、咀嚼音を立てているそいつに届かないことを願い、二人は極力息を止め、恐ろしい音の響く方を見守った。
「これからどうすればいい」見えない獣への絶対的な恐怖を感じながら、二人の思考は、ほとんど逃げるほうへと傾きかけていた。
また次を探せばいい。命があるかぎりはそれも自由だろう。ここで、もし、あれに食われるようなことがあれば、もう次はないのだ。
しかし、この魔窟では逃亡の道さえ許されない。二人の考えは空しくも、叶わない。
二人が目を合わせ、じりじりと後退しようとしたその時、午後の部屋を満たす静寂に場違いな、陽気にさえ聞こえる声が、二人に圧し掛かってきた。
「はぁい!もしもし?」
悪夢だ。とパレンツァは思った。
油が切れた玩具のような動きで首を回すと、あの風呂場に居た極彩色の鳥が、電話の受話器を両足で押さえつけ、
どこかに連絡を取っている。その口調は軽やかで、慣れた風だった。
「事故?いいえ、事件のほうだと思うわぁ」
まさか。
「いたずら?やぁねぇ、マジよ。大マジ。」
まさか。
「え、ああ、今まさにって感じよ!自宅に不審者が侵入してきてるの。 多分、
その瞬間、パレンツァは立ち上がり、膝の上に頭を乗っけていたトラスは、ずれ落ちた頭が床に当たり「あ痛」と呻いて、顔を顰めた。
だが、パレンツァがそのうめき声に気づくことはなかった。走り抜けていった予感がインコに向かって感覚を研ぎ澄ます。
男っぽい声が女っぽく、彼らの正体を突き詰めた。
「まぁ、泥棒だと思うのよねぇ」
パレンツァは走った。
目標は、鳥が押さえつけている受話器だった。頭には、電話に向けてのセリフが回っていた。
「え、いえ、すいませんなんでもないんです。はははうちのインコがねぇ、ほんとすいません。だから来ないで。勘弁してください」
だが、走り出した一歩目が、床に転がっていたボールを踏んでしまい、体がその場に伏した。
それによって、こちらを警戒したらしい鳥が受話器を掴みながらどこかへと飛び、
飛びながら「住所?えーと」と流暢に正しいこの場の住所を通話相手に伝えている。相手は恐らくというか、絶対に サ ツ だ。
そう確信したパレンツァは、両手を使い、状態を起こし、再び鳥と受話器に向けて走り出そうとした。
だが、走りだろうとした足元の床には、侵入した時には気づかなかった、先ほどと同じ網目状で中に鈴が入った形状をしたボールが無数、転がっていた。
そこで、感じたのは、言い知れない焦りだった。もしかしてこの部屋事態、罠だったのでは、という、あり得ない予感すら脳裏に過る。
もちろん、そんなはずは無い。パレンツァは知らなかったようだが、このボールはただの猫の玩具であって、行きつけのペットショップから飼い主が「もしかして遊ぶかも」という、ほくほくした気持ちで買ってきたはいいが、
猫達は、まったく興味を示さず、「今日こそはもしかしたら」と一縷の望みを賭け、朝、飼い主が部屋に撒いて行ったものであった。
酷い焦りをなんとか飲み干し、ボールを避け、「はぁい、無茶はせずに待ってるわぁん」と玄関の方へと飛びながら、ハートを振りまいている鳥を追いかけ、手を伸ばすも、
手は、受話器を掠り、パレンツァはその場で蹲ることになる。背後でトラスの「パレンツァさん!?」という驚愕の声がした。
だが、それに答えることはパレンツァにはできなかった。
「な、何なんだ!これは!」
ここで、襲いかかってきた現象。それは、どう説明されようとも、説明できないものだった。
「なんで、
なんで、俺はこんなところにいるんだよ!?」
インコが持っていた受話器が手を掠り、次に大きく足を踏み出したとき、パレンツァの足は水面に触れ、
それに驚いて、足を後ろに戻すと、再びパシャンと水面に触れた。どこにも進めなくなったパレンツァは、唯一、地面のある片足を頼って、その場に蹲り、
周囲を確認し、自分が、大海に浮かぶ、60センチ四方ほどの孤島にいるのだと気がついた。
「パレンツァさん!?」
様子の可笑しいパレンツァにトラスは声を荒げた。どうにも、パレンツァの正気が疑わしい。
ブルブルと震えながら、廊下の床に蹲り、自分の周囲を見渡して、掬いあげては放り投げるといった行動をし始めた。
トラスは、その様子を豹のような猫にやられた傷により霞む目で、じっと見つめ、パレンツァの頭に、妙にかわいらしいものが乗っているのに気がついた。
「え?あ、パレンツァさん! 頭にハムスターがついてますよ!?」
灰色の背から白いおなかへのグラデーションが美しい大福ほどのハムスターがポテ、と、額に乗っている。
いつの間に。トラスのびっくりしたようなその声は、自分が孤島にいるという幻覚を見ていたパレンツァの耳に、なんとか届いたらしかった。
頭を払おうとしたパレンツァの手を避け、ハムスターは素早い動きで、部屋のどこかへと消えていった。
それと同時に、パレンツァの視界も霧が晴れるように元に戻る。正気に戻ったパレンツァだったが、釈然も後にして、受話器を持ったインコを探すことにする。インコは、玄関のほうにいた。
「んもー、これくらいいいじゃない!警官の制服っていいわよねぇ、まぁ、なにより大事なのは中身のほうだけど。
訓練とかするんだからやっぱり筋肉つくんでしょう?いいわよねぇ…
ちょっとこっちに来てくれる人の肩に止まってもいいかしら?いいわよね!」
―いや、あの、肩って…貴方は…その、男性ですよね?―
「あら、性別なんて気にしちゃ嫌よ!大事なのはハートよ!」
―その前に、肩はちょっと無理なんじゃ。体格の問題が…いや、性別も問題ですけど。―
パレンツァはこの世の理不尽を呪った。
監獄とシャバの瀬戸際に、通報した鳥は余裕そうに目の前でナンパをしている。
まさに天国と地獄。遥か昔、運動会で流れていたその曲をパレンツァは思い出し、再び走り出した。
勝算はあった。目の前は玄関。その扉は閉じられており、上手くすれば追いつめられると思われた。パレンツァは走った。
未だに男やら女やらの問答をしているカラフルな翼へと手を伸ばした。いける。パレンツァは、今、大きく、足を、楽園イタリアへと踏み出したのである。
ゴールテープを切る前のように、パレンツァの耳には歓喜と拍手の音で満ち溢れていた。ゆっくりと閉じてゆく手のひらの内側に触れる、羽のなめらかな感触に顔がほころぶ、
しかし、それを掴みきる前に、体の支柱がずれていく。ほころんだ顔が絶望へと塗り替えられる。手のひらから羽の感触が消え、靴下に冷たい感触がある。
水だ。幻覚とは違う本物の水が廊下で水たまりを作っている。滑る。視界がずれていく。その目の前には自分たちが馬鹿にしていた鍵のついた扉があった。扉は堅いのだ。
倒れた足から扉まで、パレンツァが横倒れになる隙間は無い。ならば、どうなるか。
――すなわち、
視界は暗くなり、音が響いた。
「あーらら」
顔面を扉で強打したパレンツァは、薄れゆく意識のなかで、インコの呆れたような声と、自分が滑った水たまりを作った犯人からのバシャリという冷たい止めを受けた。
それは、玄関の真横に設置された水槽からのものであって、勝ち誇ったように、鰭を揺らしたアロワナによるものだった。
***
「なにごとぞ」
飼い主が警察から会社に連絡を受けたのは暫く経ってからだった。
警察です、と言われた時には、理由なく肝を冷やしたが、事情を伺ってみれば、自宅に泥棒が入ったらしい。
頭を真っ白にしつつ、上司に話し、急いで帰ってみればどうだろう。泥棒は、無事逮捕され、盗られたものはないようだった。
それなのに、それなのにだ。
「…なに、ごとぞ…」
玄関は水浸し、アロワナの水槽の水はぎりぎりまで減っており、部屋はぐちゃぐちゃ、冷蔵庫は荒らされ、ソーセージの残骸が転がり、
インコは警察の人(マッチョ)の肩を独占し、豹柄猫は餌をやった覚えはないというのに満ち足りた顔で昼寝、ベランダが騒がしいと思ったら、
鳴き続けるカラスに制裁を加えるトラ猫の姿が。
「……」
言葉も無く頭を抱えていると、警察の人(マッチョ、インコとの2ショット)にポンと肩を叩かれた。
とりあえず、明日は有給をとらざる得ないと、飼い主は思った。
***
ところ変わって、警察署に連行されている泥棒二人はと言えば、妙に悟ったかのような面持ちで、車内から外の景色を眺めているところだった。
包み込む重苦しい沈黙のなか、服を簾のようにしたトラスが不意に「…あ」と何か思いついたように呟いた。
「なんだよ」
「あ、いいえ」
「言えよ。」
目の周りを青くし、疲れ果てたパレンツァが言った。
もう、何を言われようとも、動じない自信があった。
「じゃあ…。その…俺、思うんですよ。あの、カラスに乗る猫なんですけど」
「それがなんだってんだ」
「あれをですね、TV番組に投稿したら、多分賞金とか貰えたと思うんです。きっと。」
「…」
パレンツァは無言でトラスの頭を引っぱたき、叩かれたトラスは、再び、遠い空を見つめることにした。
遠く、遠く、イタリアの空に憧れて。
BGMは「天国と地獄」でどうぞ
それぞれワンマンプレイで、最終的に結果が合わさって、解決するっていう印象がヴァリアーにはあったりします。
っていっても、今回、泥棒を撃退しようと思って行動したのは、ルッスとスクアーロとあと一人くらい…