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【妖刀?】



《そうです!妖刀!知ってますか太郎さん?》

【知ってるかって言われても・・・セットンさん、そういうの詳しいんじゃないですか?】

[妖刀ですかー。村正とかみたいな?]

《違いますようセットンさん!あれは持ってると不幸が押しかかるっていうタイプの奴じゃないですかぁ。
 ああいうのとは別の奴です!もうマンガみたいに、持ってたらその刀に操られて人をズバズバーッと斬っちゃうのですよう!》

[いや・・・・・・そういうやつの名前ってたいていムラマサですよね?]

【ムラマサブレード?】

[くびはねられた!]

【ウィザードリィ?ウィザードリィ?セットンさん、ゲーマーですね】

《ああんもう、脱線しないで下さい!・・・・・・というか、》


《フォーカルさん?生きてます?》


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未来某日、チャットルームにて。










悩んでいた。

彼女は悩んでいた。



近日、無事に高校に入学して、新しい生活、新しい人間関係の中で、 彼女は世界から見れば至って平凡な日常をビクビクしながらも謳歌していた・・・・・・はずなのに、 ここに来て、真綿で首を絞められていくような問題に直面して、彼女はひたすらに悩んでいた。
彼女は、この、真綿でじわじわと締められているような、感覚に覚えがあった。



これはアレだ。
夏休みも中盤になって、宿題で得意なものや、自分にとって普通なものを片付けたあと、 もっとも苦手な算数のワークの隙間から、そういえば渡されたなぁ、と思ってたくらいのプリントがヒラリと落ちて、 なんとなしに開いてみたら、夏休みの宿題に、毎日、日記をつける、という趣旨が書かれていたりなんかしたときの心境に似ている。


時期的に言えば、もう夏休みは半分も過ぎていて、プリントを挟んでいた算数のワークも、 プリントに気づかない程度に開いていないという最悪なコンボだ。 もし、この時、趣味で自分の日記をつけているというなら、問題はないのだろうけど、 当時、男の子顔負けで虫を追い掛け回し、朝から晩まで駆け回っていた彼女がそんな趣味を持っているはずがなかった。


暗い冷たい闇が、受話器からだんだんと自分の背後にむけて近付いてくる過程を報告してきたような薄ら寒い気分がする。
小学生のあの頃だったら、泣き喚いて呆れる親にSOSをして助けを求めるか、 一時的に現実逃避をして、開いたプリントを再び二つ折りにしてしまうことも出来ただろうが、 彼女は良くも悪くも、あの頃から成長して、今は晴れて一人暮らしの高校生である。


背後から近付く、形を持たない期限というものから逃げることはできない。
責任感や、プライドや、あるいは罪悪感というものが彼女の足を繋ぎとめ、 彼女はひたすらに悩んでいるのだ。



高校に入学したばかりなのに、受け取ってしまった、少し早い夏休みの宿題。


彼女は引きつった笑みを浮かべながら器用にため息を吐く。これは、夏休みの宿題と命名するには重過ぎる。
言わば、“夏休みの任務”と言ったところだろうか?そんな考えが彼女の頭を過ぎった。

近所のリサイクルショップで千円で購入した、白いちゃぶ台の前に座りながら、 悩みの種である、一見可愛らしいといってもいいような蝶ネクタイを彼女は落ち着かない雰囲気で見つめた。

そして、ため息。

そのとき彼女の胸を締める思いは、“なんで拾ってきちゃったんだろうなぁ”という、ずんぐりと重い黒ばかりだった。
この蝶ネクタイ。これは、悩む彼女のものではなく・・・


***


入学式も終わり数日。
その日は健康診断から、クラスの委員決め、と、まさに学校生活における第一歩と言った感じに、 時は恙無く運んで行き、そして、若干早い放課後となった。

本来なら、知り合って間もない友達、というより、友達になりうるかもしれない人たちと、 「放課後どっか行こうかー?」なんて雑談に、付き合って、まだ明るい陽を味方に町に繰り出すのが、 学校から開放された生徒の大体の過ごし方であったが、 それに当てはまらず、まだ賑わいを見せる教室から、早々に抜け出す人間もいる。

彼女あらため、もそんな人間の一人だった。

HRが終わると、まだ荷物のすくない軽い鞄を肩に掛け、ざわざわとしている周りを見渡してから、 まるで気配を消すように教室の出口へと向かうも、 目ざといクラスメートが「さんもー帰るの?これからカラオケ行かない?」と呼び止められる。
は、あー、となんとも言えない気持ちを噛み締めながら、なるべくそんな気持ちが覗かないように気をつけて振り向いて、



「あ、えっと、ごめん。ちょっと用事があって・・・」



と、当たり障りのない言葉で断った。
次に、「まだ部屋の片付けとか必要なものをそろえるの終わってなくて・・・早く帰れる今日にやっときたいんだ。」と付け足す。


早く帰れるのは、授業の始まる前日である今日までだったし、部屋の片付けが終わってないのも、 一人暮らしにあたってやっと分かってきたもろもろ必要なものを買いに行きたいのも本当だったが、 胸で燻っていたのは、そんな義務感ではなくて、なんともいえない、 奥歯から喉の奥まで飲み込めない液体がたまっているかのような思いだ。



「ごめんね、じゃあまた明日」



用意された人間の枠の中で、新しい人間関係に希望と好奇心を見出した、まさに青春まっさかりな若者達の、 生ぬるいような、すこし作られたような、残念がるけど、内面ではとっくに諒解して、切り捨てているような、 再三の誘いを振り切っては教室をでると、騒がしい教室と違って、 人もまばらな廊下は気温が2、3度下ったかのような錯覚を覚える。
いや、もしかしたら人口密度の関係で本当に廊下は涼しいのかもしれないけれど。


まだ目に新しい廊下を歩きながら、引き戸に取り付けられた窓から教室の中をちらりと覗く、 そこには、先ほど遊びに行くのを断ったのことなど忘れたように笑い合う、クラスメート達の姿があった。

それに、少し、溜息が出る。


彼女達のなかで

は、取るに足らない存在であって、例えばそれは世界規模であっても取るに足らない存在であるに変わりはない。”

そんなことが証明されたような気がして、少し憂鬱になったのだ。




―――――――いいや、彼女も本当のところは分かってる。


まだ会って数日に相手に自分の存在理由を求めるのは、可笑しなことだ。
なぜかここ最近、そういうことに思考が傾いてしまっているだけだ、と。


それは、少し早い五月病なのか、それとも若さゆえの感傷なのか、はたまたこの歳で人生の黄昏を迎えたのか、 それは彼女には分からない。 ただ、歩みだした足を機械的に動かしながら、彼女の頭は憂鬱な思考を回転させる。



誘われたのは嬉しかった。



黙って帰ろうとした自分に、気さくに話しかけてくれたことは、本当に嬉しかった。
けど、その誘いには頷くことができなかった。


部屋の片付けも、生活に必要なものの買出しも、一日くらいずらしたって、あまり対した問題にはならない、と 頭のどこかで首を横に振って、納得しようとした自分に、訴えかける自分も居たが、は誘いを断った。



断ってしまえば、安心する。
そしてやっと、相手を慮る余裕ができて、申し訳なく思って自己嫌悪。



怖いのだ。



気さくさに隠れた相手の本音を無意識に探ってしまって、不必要な心構えに、負けてしまう。
相手にとって、自分を遊びに誘うというのは、単なる社交辞令で、 もし誘いに意気揚々と頷いたら、「社交辞令に何本気にしてるの?」と思われ、 相手は嫌嫌ながら自分を引き連れてカラオケに行くことになるのでは、と兢々してしまう。

それが、自意識過剰な無駄な被害妄想だということは、馬鹿らしいほど彼女は理解していたから、余計相手に申し訳ない。




(せっかく誘ってくれたのに。)



そこで、誘ってくれたクラスメートの笑顔を思い出そうとして、は思わず立ち止まる。


クラスメートの“目”が思い出せなかった。
鼻から思い出す視線を上に上げようとするとブルリと背筋が震えるような気がする。



怖い。



すごく怖い。



この誰にも打ち明けられない被害妄想が妄想であるという確証は、馬鹿らしいと吐き捨てられはするが、
真実でない可能性は100%ではないのだ。

教室を覗きみたときのあの子達の、私を忘れさった笑顔が、妄想を頷ける証拠ではなかったか?

妄想が真実でなかったか?

いや、もっと悪いかもしれない。

あの子達の話題は、怯えて尻尾を巻いて立ち去った私ではなかっただろうか?

・・・・・・。

あ、もしかして自分は、人を悪者にして、自分を肯定しようとしてる?

ああああ、なんて嫌な人間なんだろう。
なんで、こんなに怖いんだろう。初対面とか、ずっと一緒だった人とかは平気なんだけどなぁ・・・

・・・・・・。

・・・・・・やめよう。


彼女は再三考えたあと、思考するのを止めた。

これ以上考えたって意味のないことだ。
これから、まだ誘ってくれた彼女達が居るだろう教室に駆け戻って、 「やっぱり、カラオケ行きたいな!」などと言う自分の未来は、絶対無いと断言できる。


は機械的に足を運び、教室からすみやかに遠ざかる。回る回る憂鬱な思考も、無理やり、今日の買い物へと向けた。









指折り、必要になりそうなものを数えていき、あと買うものは、と考えて、


そこで、は自分と同じように、早々と下駄箱で上履きから靴に履き替えている存在に気づいた。
丁度、その人物がいるのは、自分と同じクラスの人間が使うスペースだ。


私服OKのここ来良学園だったが、入学してまだ日も浅いことから、ほとんどの生徒が大人しめのブレザーに身を包み、 目立つことの嫌いなもカッチリとその制服を着ていたが、目の前の彼女には叶いそうもない。

肩に触れない程度のところで切りそろえられた黒髪に、丸い眼鏡。ボタンは一番上まで閉めて、 その上のリボンも曲がることなくシャンとしている。まるで、良き生徒の鏡とも言うべき同窓を目の前にしては考える。

ええと、彼女は確か・・・は彼女が自分のクラスの委員長に今日決まったことを思い出した。


ああ、園原さん、だ。

園原杏里さん。

同じクラスの人の。


・・・・・・。


ええと、―――――――挨拶したほうがいい?






ドクッ!






そのとたんに、の心臓は鼓動を早めていく。顔面は熱を持ち、足元が危うくなる。
なんと声を掛けたらいいんだろう!?

は散々温まったフライパンに水滴を零した時のように、一瞬で蒸気を上げた頭で考える。


「あ、同じクラスだよね?」――――――ここの下駄箱を使ってるから訊かなくてもわかる。

「園原さんも、今帰り?」―――――――馴れ馴れしい感じなような気がする。

「さようなら」――――――――――冷たくないか?



タイミングを計りかねて、ぎこちなく上履きを下駄箱から取り出しながら、
なんとなしにバレないように横目で彼女を見ると、不意に目が合ってしまった。















あ、




















ああああああああああ!








人もまばらな下駄箱で、二人の女子生徒はどちらともなくそれぞれそのまま固まった。
一人は恐怖のような焦りで、一人は疑問のような表情で。予想外の出来事にの脳は回る回る。



目ッ、目ッが、あってッてててッ・・・あ、あ、あい、あいさッつつつ!


「あ、」






もし、その頭を、まるでやかんの蓋を開けて覗き込むように、中身が見れたとしたら、急激に沸騰する様が見れただろう。
しかし、の頑張りの末の“あ”という五十音順でいえば最初の文字は、蝋燭が消える最後の煙のようにその場に響いた。


「あ、あああ・・・」



の拙いだろう言葉も待たずして、クラス委員長である園原杏里は小さく会釈をすると、
すばやく靴を履き、そして、そのまま走るような勢いでその場から去ってしまったのだ。






「・・・・・・・、」






ゴロゴロ!ゴボ!ブクブクブク・・・・コポ・・・   ・・・プスン、



自分が嫌になる。
は頭から立ち上る煙の幻想と一緒に溜息を吐いた。


なんで、こんな性格になっちゃったんだろう。


20年にも届かない自分のこれまでの人生を考える気もないが、 ここ最近始まった高校生活で起こった憂鬱がぐるぐると回想する。
けれど、それも早々に考えるのをやめた。 園原さんが戻ってくるはずもないし、時間を巻き戻るなんて超常現象が起こるはずも無い。

彼女を追いかけるような情熱もない自分を一層嫌になりながら、
は暮らしに必要な物品を揃えに、60階通りへと足を進めることにした。




***



そうして、時間は少し進む。

長いこと商品を眺めて考え事をしていると、気を利かせた店員が明るい上がり調子な声で「何かお悩みですか〜?」と、 話しかけてくることが苦手なは、まるで直感に従ったかのように、商品をカゴへと放り込み、 店員が話しかけてくる間を与えずに買い物を終了させた。 もちろん、適当に選んだわけではなく、前日からネットなどで下調べをして、店の階段などに張り付けられた広告と、 調べた事柄とを見比べて、いろいろ考えてはしている。

指を指す手のひらがデザインされた紙袋をさげながら、 携帯にメモした必要なものを1つ1つチェックしていき、その結果に彼女は満足した。 まずなによりも、汚れても目立たない深い色をした肉厚な足拭きマット。これがなによりもこれからの生活に心強かった。
足拭きマットが丸められ、棒状となったものを軽く撫でながら、彼女は、最初の晩の背筋が震えるような床の冷たさを思い出した。



一人暮らしのアパートに越してきた初めての晩、引越しで疲れた身体を湯船に浸けて、 そして、出たとき、彼女は一人暮らしの辛さの第一歩を始めて実感したのだ。


あれは、彼女にとって予想外だった。
まさか一人暮らしでの初めての障害があれほど早く、しかもなんだかドン臭い出来事からだとは思っていなかった。

足拭きマットが何時も置いてある実家の気分で、外に出たときの衝撃は凄まじいものだったのだ。
十分にお風呂で暖まった足の裏を舐めるような冷気が一気に立ち上り、背筋が凍りついた。
それだけならまだしも、マットの敷かれていない床は、の身体から滴り落ちる水滴でビショビショになり、 隣に置いておいた着替えが湿ってしまった。 東京は暖房管理が高水準のわりに床冷えが半端なく酷い。床暖房があるなら別として。


脱衣所で凍りつきそうになった彼女は、バスタオルで作った島の上でバランスをとり、なんとか着替えた。
そして、そのとき、唐突にああ、一人なんだなぁ、と思いながら、例えば、トイレでトイレットペーパーが無くなったときなんか、 大声で自分の母親にトイレットペーパーを要求することもできないんだなぁ、と奇妙な郷愁に襲われることになったのだ。

ああ、一人暮らし。

それが、彼女が始めて体験した一人暮らしの障害だった。



そんな回想のあと、はマットの入った紙袋の逆の手持ったトイレットペイパーも確認して神妙な顔で頷いた。
どうやら、買い忘れはないみたいだ。

手軽な掃除に便利なコロコロも、床冷えの大いなる味方なスリッパも、流しに必要な生ゴミ用のゴミ箱も買えた。
あと必要だとわかったものは、意外と朝日が鋭い窓にかけるカーテンと、
リビングの床に敷く大きな絨毯なのだが、これは学校帰りの今日じゃなくて、休みの日にでも買いに行くとしよう。



は両親が仕送りしてくれるアパートの家賃と生活費、それからほんの少しのお小遣いを考えながら、
そのありがたさに目を瞑った。

もともと、の家は来良学園から少し遠く、毎日の通学を考えると疲れるかな、というところにある。
だから、自身、一般的に少し早い、高校生で一人暮らしをしようとは思っておらず、 疲れはするものの実家から通ったほうが気が楽だよね、と入学が決まったその時は思っていたのだが、 何事も経験、という教育を掲げている両親が、一人暮らしを提案し、一人暮らしデビューと相成った。


人と関わることが苦手なは両親に言われ、最初こそ、尻込みしたが、“一人暮らし”という言葉に魅力を感じないわけじゃなく、 モデルルームのようなそろいの家具の中で、暮らす自分を想像しては、擽ったそうに笑ってみたりと、 最終的には一人暮らしで過ごす高校入学を楽しみにしていた。


けど、現実はそんなに素敵なものではないようで、そろいの家具どころか、生活するに必要なものをそろえるのに精一杯。
しかも、妙な悟りを開きそうなる有様。

しかし、はそれに関しては憂鬱ではなく、苦笑いで留めている。
中学生最後に持ったキラキラとした夢は砕けて散ったが、逆に、彼女は、必要で便利なものを集めて、 モデルルームのように完成された美しい空間ではなく、自分に優しい、自分のための空間を作ることに 早くも方向性を変え、楽しむことにしたのだ。


今日の戦利品は日々の生活をどんなに豊かにしてくれるだろう。

そう考えると胸の中が暖かい空気に満たされたような気がする。

彼女は午前の憂鬱を一時忘れ、紙袋に斜めに入れた足拭きマットが飛び出さないように直しながら、 60階通りを駅の方向に沿いながら、自分の住処へと足を進めた。


と、


マンション近くで、はあることを思いつく。
今、家には朝炊いた白米はあるが、その友であるオカズが何もなく、そういえば近くにコンビニがあったなぁ、という二つのこと。



(今日は、買い物して少し疲れたから、コンビニでなにか買って帰ろうかなぁ。)



彼女は料理は好きなほうで、自炊が面倒ということはなかったが、いつも家に帰ると母の料理を食べてきた身から考えると、 自分で夕ご飯を買って食べる、という行為が一人暮らしっぽくて、財布の緩みを自覚しながらも、 両手いっぱいの荷物を抱えてふらふらと、アパートの近くのコンビニへと足を向けることにした。

それが、現在の彼女の悩みに繋がっていくことになる。





はこの時知らなかったのだ。


今、そのコンビニに設置されているはずのゴミ箱が、池袋の空を飛んでいたことを。




***




「なんで拾ってきちゃったんだろうなぁ」


言葉にすると、あの現実感のなかった光景が現実味を帯びてくれるような気がして、 せっかくコンビニで温めてもらったお弁当に口をつけないまま、 は悶々と呟きながら、考え続ける。目の前にはやっぱりあの蝶ネクタイ。

少し埃でくすんでしまっているそれを、彼女は持ち上げて、指の腹で汚れを落としながら、 誰に聞かせるつもりもなくもう一度呟く。





「あの人に・・・返さなくちゃいけないよね・・・?」




手の中の蝶ネクタイは、ただただ彼女に身を任せるばかりである。