人間の脳って、人が思ってるより本当はもっと優秀なんです。









例えば、サヴァン症候群って知ってます?
まぁ、解説するから知らなくてもいいんですが。



サヴァン症候群。

ごく特定の分野に限って常人には及びもつかない能力を発揮する者の症状を指すものです。
例えば、その名の通りに、賢者のように一度見たものは忘れない、という特殊な能力だったり…

いやぁ、すごいですよねぇ。
町ですれ違った人の顔も、無造作に覚えられるし、落ちた雨粒の場所を順番に覚えられる。
まるごと覚えた本の文章をあえて、逆さまに音読したりできたり…ほんと、羨ましい能力だ。



…けれど、実は、人間の脳の容量を考えれば、これはいたって普通のことなんだそうです。
つまり、やろうと思えば貴方にだってできる。でも、そんなことできませんよね。

それは、ほら、それが普通で平凡で、貴方が群集のその一人ってことで。

ハハッ冗談です。

そうそう、なんでできないか、といえば、普通の人の脳はすべての記憶を持っていても、
それを引き出す道を暫くつかってないとすぐに脆く崩れてしまって、その記憶が孤島状態になっちゃうから、なんだそうで。

…。

・・・ああ、“彼女”。
あの子は別に、サヴァン症候群ってわけじゃない。

普通の人間みたいに「昨日の夕飯なんだっけ?」ってくだらない苦悩もするみたいだし。
・・・ただ、あの子も特殊といえば特殊な分類なんでしょうね。彼女の脳にかかる道は、何時だって変幻自在。

言わば、検索機能のついた市立図書館って感じなのかもしれません。




―――――――――――――――――――――――――――情報屋から聞き出した“彼女”の情報の一部抜粋。














いつでもない、どこでもない、これはただのワタシの独り言。





何をしてても、何処にいても、これは急に訪れる。




それはワタシが思うに、いつでも誰でもなりうることで、ありふれた現象だといえば、まぁそこらに転がる石ころとか雑草とか、 そういうもののように、本当にそこら辺にあるものだ。

自覚したのは確かワタシが小学生の頃だった。
そのときは夏休みの後半だったと思う。

よくある話、漫画やアニメやらの主人公はよく、夏休みの最後に、溜めに溜め込んだ宿題を判泣きでやるというのは、 もう、セオリーのようなものだが、現実問題、宿題を最後の日まで、まったく手をつけないという人間は、あまり居ない。 苦手なものを後回しにして、最後の最後までとっておいてしまうというのはありがちだが、 何も手をつけないという事態は、もはやフィクションの舞台特有のものだと、少なくともワタシは思っている。



なぜならば、やらなければならない事をやらないというのは、
ある時期を境に、宿題をやるという行動よりも、精神を摩滅させ始めるからだ。

その威力は、日が過ぎていくたびに強くなり、身体の中心が縮むような冷えるような感覚に苛まれ、やがては頭がいっぱいになり、 やらない、という命令を出しているのは自分の頭なのに、まるでどうしようもない事態に自分が陥ったような錯覚に陥る。

まぁ、勉強が死ぬほど嫌いで、見ると息が止まってしまうって人なら、それは本当にどうしようもない事態なんだろうけれど。 だが、本当はそうではないのだ。それは単なる錯覚で、差し迫るカウントダウンに頭を抱えたり、忘れようと振舞うくらいなら、 その安っぽいビニールでコーティングされたカラフルな表紙をめくり、シャーペンを握ればいいのだ。

時間にして1つの宿題を終えるに約2時間くらい(まぁ物や人にもよるが) 夏休みの期間、一日24時間×約50日と考えれば安い消費だろう。 それに、宿題は各自好きなように完遂すればいい。

素直に問題に頭を回転させるもよし、裏についている薄いブルーの色一色で印字された答えを写すもよし。
夏休みの宿題など、済んでいれば誰も文句は言わない。

延べ30人ほどの一クラスのX乗の宿題を見なければならない、教師が、 夏休み前まで成績不良だった生徒の宿題20ページの問題が全てあっているとしても、 とりあえず出来ていれば、提出物に○を入れて成績の資料にすることは、例え小学生でもなんとなしに思っていることだ。 まぁ、ここで狡賢い器用な子供なんかは、わざと間違って78点くらいに留めておこうかなぁ、なんて考えて、 間違える問題をランダムに決めたりもしているわけだが、これは余談だ。



ものすごく話がそれてしまったが、ワタシは夏休みの後半となったその日に早くも呵責に負けて、やれやれと宿題を広げながら、 機械的に答えを記入していっていた。その時、ワタシは答えを写していたのか、それともちゃんと自分で解いていたのかの 記憶はあまりない。ただ、忙しなく手を動かしながら、ただ1つの思いが、 ジワリと水っぽいものを包んだ布から水が染み出すように頭のなかを支配していた。




「暇だなぁ」



そして、その染み出た考えを、つい口から零れた落とし、ワタシは手を止めた。



暇?



はたして今の状況は暇なのか?

ワタシは先ほどまで忙しなく動いていた手をひっくりかえし、木炭を擦り付けたように黒くなった小指の付け根らへんを見た。

いいや、暇ではない。

現に今、ワタシは宿題を片付けていたし、それ以外にもやりたいことはある。


暇?


書き途中だったイコールの下の線を書きながら、唐突に浮かび上がった矛盾を考えると、 式に値するイコールの向こう側が書かれることは見送られること決定だった。 初めは、自分という意志と行動との矛盾に対する単なる好奇心だった。


暇、暇、暇、


手のひらが汚れているのも忘れて、ワタシは肘をついて、そこに矛盾を吐き出した口を乗せる。


暇、暇、暇、


未だにワタシに訴えかける脳は、乳白色のその身体のなかに突然、空洞が出来てしまったかのように、 その空洞を埋めようと身を捩っていた。けれど、意外と身の固いそれは、 空洞を埋めるには体積が足らないようで、ただ、ただ、そこを埋める何かを求めている。


暇、暇、暇、


何故か寒気がした。
なにかこれは気づいてはいけないもののような気がして。
忘れてしまおうと思うも、一回自覚してしまった、その空虚はなくなりはしない。


暇、暇、暇、


まるで放送時間の過ぎたテレビが映し出す砂嵐の一つ一つの灰色の塊がそれぞれ好き勝手に喋りだしたかのような勢いで、
それはワタシに訴えかけてくる。

ワタシは五月蝿くて耐えられない。
空洞を埋めようと、意味の無い思考に没頭してみるも、空洞は“暇”という訴えを響かせるようにそこに面を構えたままだ。





暇、暇、暇、
、暇、暇、暇、暇、
暇、暇、暇、暇、暇、
、暇、暇、暇、暇、暇、暇、
暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇
、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、
暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇
、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、
暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、
、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、
暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇、暇







暇。





ワタシはソレを頭の空腹だと呼んだ。